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171:血管疾患(8)心臓血管外科のレジェンド DeBakey先生(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

メディカルコラム

望月吉彦先生

更新日:2023/05/22

前回、現在使われている人工血管の原型を開発したDeBakey先生のことをお伝えしました。今回はそのDeBakey先生(Michael Ellis DeBakey 1908 – 2008)の紹介です。

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写真:心臓血管外科学を発展させたDeBakey先生

心臓血管外科学を発展させたDeBakey先生ですが、正式名はMichael Ellis DeBakeyです。
DeBakeyを日本語でなんと発音するか、難しいです。日本語文献でDeBakey は「ドゥベーキー」「ドベーキー」「ドベーキ」などと表記されています。本稿では英語表記とします。

DeBakey先生は両親がレバノンから米国に移住した移民です。レバノンはアラビア語が公用語です。
DeBakey一家の元の名前は「دبغي」 です。
このアラビア語表記をDeBakey先生の両親が「Dabaghi」としています。
これをDeBakey先生が英語でも簡単に読める「DeBakey」に変更したと思います。

DeBakey先生は業績が多すぎて簡単には説明できません。本稿で、主な業績、エピソードを紹介します。
医師なら絶対にDeBakeyの名前を知っています。ある病気の分類にDeBakeyの名前が冠されているからです。心臓血管外科を勉強していると、どの教科書、論文にも彼の書いた「教科書や論文」が多数引用されているのに気づきます。この人は「一人」なのかと思ったほどです。

DeBakey先生の業績

1. タバコと肺がんの関係を明らかにした一人です(1936年、28歳の時に書いた論文)。

2. 第二次世界大戦に軍医として参加。戦闘地域でも適切な医療を受けられるようにMobile Army Surgical Hospital(MASH:移動式軍用外科病院)を創設。戦闘地域でも普通の外科手術が受けられる体制を整えます。
35歳-40歳頃の仕事です。朝鮮戦争時には戦闘地域で通常の外科手術が受けられるようになっていました。
ちなみにこの「MASH」の原型は戦闘地域での「歯科病院」です。戦闘中には虫歯が広がりやすく、虫歯があると著しく戦闘意欲が著しく失われることに気づいた米軍が始めたのが軍隊用の「戦地歯科病院」でした。一旦戦闘が始まると、歯磨きもできずどんどん虫歯が進行するから歯の治療は軍隊に必須でした。一方「日本軍兵士(中公新書)」によると日本軍は歯科治療をほとんど行わなかったので、日本軍の兵士はいつも虫歯で苦しんでいたそうです。彼我の差をこんなところでも感じます。

3. 頚動脈狭窄症に対して血栓内膜除去術を世界で初めて行っています。それまでは診断がついても放置されていた疾患です。頚動脈にこびりついた血栓を除去する手術です。放置すると脳梗塞を高率に発症していましたが、この手術術式が確立されたことで、この病気による、脳梗塞は激減しました。

4. 高齢者および障害者向け公的医療保険の必要性をケネディ大統領に進言、後に米国の高齢者や身体障害者向けの医療制度「Medicare」となっています。

5. アメリカ国立医学図書館(United States National Library of Medicine (NLM))の拡充に尽力、NLMは世界で比すべくもない巨大な医学図書館となっています。貴重な医学書のコレクションでも有名です。文献検索システムの「PubMed」を運営していることでも有名です。お世話になっていない医療関係者はいないでしょう。

6. 冠動脈バイパス術の創始者の一人です。

7. 同種血管(屍体から取った血管)を用いて動脈疾患の手術を多数行っています。おそらく世界一の症例数です(前回記事を参照ください)。

8. ダクロン製人工血管を世界で初めて臨床使用。人工血管の臨床使用は世界で2番目でしたが、DeBakey先生の考案した「ダクロン製人工血管」が人工血管のゴールデンスタンダードになり、今でもそれは続いています。

9. この人工血管を用いて様々な大動脈瘤手術を行っています。腹部大動脈瘤、胸部大動脈瘤、胸腹部大動脈瘤、大動脈解離などの手術を行い素晴らしい成績を残しています。今から50年くらい前に、素晴らしい手術成績を残しています。「凄い」としか言いようがありません。

患者さんの術後CT

私が行った、全ての大動脈を人工血管に置換した、患者さんの術後CTです。こういう手術もDeBakey先生の考案した人工血管と手術術式が無ければできません。世界中の大動脈疾患の患者さんがその恩恵を受けています。

10. 大動脈疾患の自然歴を明らかにしています。CTが開発されるまで大動脈瘤の診断は容易ではありませんでした。DeBakey先生はCTが普通に使えて診断が容易になるよりもはるか以前に大動脈疾患の自然歴を明らかにしていたのです。そのお蔭でこのタイプの動脈瘤は手術、このタイプの動脈瘤は経過観察しても良いということがわかり、大動脈の治療レベルは飛躍的に上がりました。

11. 大動脈解離(だいどうみゃくかいり)(注:以前は解離性大動脈瘤と言われていた病気)を研究し、大動脈解離を3つの型に分類、今もDeBakey分類として使われています。この分類を知らないと大動脈解離の治療はできません。大動脈疾患治療の基本中の基本ですので、すべての医師はこの分類を覚える必要があり、必然的にDeBakeyの名前を覚えます。大動脈解離は「型」により治療方針が違います。Ⅰ型、Ⅱ型は緊急手術の必要があります、できるだけ早期に手術をしないと助かりません。DeBakey先生は、大動脈解離に対する基本術式を確立しています。

DeBakey分類

後年、DeBakey先生自身、DeBakeyⅠ型の大動脈解離を発症しています。

大動脈解離の手術症例を示しましょう。

大動脈解離の手術症例1
大動脈解離の手術症例2

Ⅰ型の大動脈解離症例です。夜6時に搬送されてきました。手術が終わったのは翌日の午後7時でした。上行大動脈から弓部大動脈全置換を行っています。特殊な血管の病気で血管が薄くもろくて、出血のコントロールに難渋したのです。

12. DeBakey先生が直接指導した外科医は約700人。孫弟子を入れると数千人になるとも言われています。日本人外科医も多数指導を受けています。

13. 生涯の手術件数が6万人を越えています。

14. 90歳まできちんとした手術(良い手術成績を残しています)をしていました。

15. 1996年、88歳の時モスクワに赴きエリツィンロシア大統領の冠動脈バイパス術を行っています。もっとも実際に執刀したのはロシア人外科医です。その外科医と共に日本では“手術” と称されるオペ「operation(作戦)」を一緒に行ったのですね。

16. 世界初の人工心臓を開発、臨床使用への道を開きました。

17. 日本人とも大いに関係があります。DeBakeyの人工心臓の研究には阿久津哲造(1922-2007)、能勢之彦(1932-2011)の両先生が大きな貢献をしています。

18. 米国内で3流大学とみなされていたベイラー医科大学を全米屈指の一流大学にしました。

19. 現在の心臓血管外科は、彼の業績なくして成り立ちません。

20. 98歳まで手術室で指導をしていました。少なくとも90歳で人工弁置換術を行っています。実際にDeBakey先生が90歳の時に手術をしているのを見た先生から話を伺ったことがあります。

21. 世界最大のメディカルセンターであるテキサスメディカルセンターを作り上げています。テキサスメディカルセンターは全米12位のbusiness district(オフィス街)です。49の施設と140の建物が集中しています。DeBakey先生が、この地で医業を始める前に何も無かった土地です。なお、DeBakey先生唯一の「後悔」はこのテキサスメディカルセンター周囲に、人工血管、人工弁、医療器具、人工心臓など彼の考案したさまざまな医療機器を作る会社を誘致しなかったことです。誘致していれば、今の10倍の規模のbusiness districtを作れたと、90歳の時に嘆いていたそうです。

テキサスメディカルセンター

22. 自分が研究し、手術方法を確立した「手術をしないと助からないと彼が分類したタイプの大動脈解離」を97歳の時に発症(2006年)、この年齢でこの病気に対する手術は行われないのが普通で、彼も当初は拒否していましたが、説得されて手術を受けて助かっています。彼の優秀なお弟子さんが手術をしたのですね。大手術を受けて回復した後、「優秀な外科医を育てて良かった。自分の育てた弟子に手術をしてもらって良かった」と書き記しています。言われた外科医も嬉しかったでしょうね。

23. 上記手術を受けて回復した後、アメリカ合衆国議会が国内外の文民に授与する最高位の賞である議会名誉黄金勲章(Congressional Gold Medal)をワシントンのアメリカ議会で授与されています。つまり前年の手術から回復したのですね。

議会名誉黄金勲章

どれ1つとっても「一生モノ」の仕事です。DeBakey先生は多くの手術を毎日のようにこなしつつ、論文を書き、研究をして、ビジネスとして医療オフィス街を作り、弟子を育て、アメリカのVIPのみならず世界中のVIPの主治医を務め、世界中の学会から招待を受けて講演しています。90歳を過ぎても手術を行っていたのです。「人間業」ではないと思います。どうして色々なことを一流のレベルで平行して行えるのか不思議です。

若い時から勤勉で、朝は5時に起き、7時まで勉強、研究、論文を書いた後に、ポルシェで病院まで行き仕事をして6時には家に帰り、夕食後は11時頃まで書斎にこもって仕事をしていたとあります。亡くなる直前まで、そういう生活を続けていたそうです。もちろん、DeBakey先生自身の勤勉さが上述の偉業を成し遂げた原点だとは思います。しかし、お弟子さんの書き残した追悼文を読むと「信頼すると任せて仕事をさせてくれた」とあります。同時に「DeBakey先生から命じられた仕事はいつも期限付きで、期限内に成果が上がらない時は厳しかった」とあります。自分にも他人にも厳しく、任せるところは任せて「医業の本道」を生涯全うした結果が上述のような業績になったのでしょう。なおDeBakeyが生きた時代も良かったのだと思います。
彼が生きた時代には

  • 人工血管の良い材料が発明された
  • 人工心臓の材料となる良い素材が開発された
  • 人工弁の材料なる良い素材が開発された
  • 手術に使う糸や針、手術器具が大幅に改良された
    DeBakey先生が考案し、彼の名前のついた器具が沢山あります。私も普通によく使っていました。一番よく使ったのがDeBakey鑷子(せっし、ピンセット)です。実に使いやすく持ちやすく、しかも臓器を損傷しない、そういう理想的な鑷子です。
  • 抗生物質が普通に使えるようになった

このように、DeBakey先生が生きた時代には、さまざまな素材が開発され、手術に供されるようになったのです。そういう時機にDeBakey先生がいたのは、人類にとって幸せでした。受賞はしませんでしたがノーベル賞の候補にもなっています。その先生も年には勝てず、100歳になる8週間前、99歳でお亡くなりになっています。

DeBakey先生のお墓

DeBakey先生のお墓です。質素ですね。

それにしても素晴らしい仕事を次々と成し遂げています。80歳を越えても次から次に色々なことを始めています。新しい人工心臓製造会社も、80歳を過ぎてから興しています。超人です。真に偉大な生涯でした。
DeBakey先生は偉大すぎて、大部の本でないとその生涯は描けないでしょう。

戯れ言です。日本では以下のような文言の方が「受けます」。DeBakey先生の生涯とは真逆です。。
足利にある「香雲堂本店」という、「最中(もなか)」がとても美味しいことで有名な和菓子屋さんの包装紙です。文章の中にある仕掛けがあります。

包装紙

私が面白いと思った逸話を紹介したいと思います。

逸話1:

両親はレバノンからアメリカ合衆国ルイジアナ州に来たレバノン移民です。父が薬局を経営し、母は裁縫師でした。後年、DeBakey先生の手術が上手かったのは、母親に習った裁縫技術が役に立っています。いつか紹介したカレル先生もフランスのリヨンの裁縫師に縫い方を習っています。外科医の技術のほとんどは「切る」ことではなくきれいに「縫う」ことです。そういう意味で幸せな一歩を年若い時から身につけていたのでしょう。父親は勉強家で家に本があふれていて、DeBakey先生の身近に学問があったのですね。

逸話2:

なぜルイジアナ州だったのでしょう。アメリカ合衆国ルイジアナ州は最南部です。実はこのルイジアナ州には「Cajun country」と呼ばれる地域があります。この地域はフランス出身者が多いのです。レバノンはフランスの植民地だったことがあり、フランス語が公用語の1つです。DeBakey先生の両親もフランス語の読み書きが普通にできたのでこの地域を移民先に選んだのでしょう。日産自動車のカルロス・ゴーン会長はレバノン人、彼はフランスで高等教育を受けています。レバノン人ですからフランス語が普通にできたのですね。

逸話3:

彼にはSelma DeBakey, and Lois DeBakeyという二人の妹がいて、二人ともベイラー医科大学のScientific communication学の教授でした。Scientific communication学とは、「文法的に正しく、しかもわかりやすい英語を用いて文章を書く方法」を教える学問です。このDeBakey先生の妹さん、二人がアメリカでこのような学問を興したと言っても過言ではないくらい有名でした。つまり彼の膨大な著作の影には二人の優秀な妹さんがいたのですね。

DeBakey先生の論文は理路整然としていて、実にわかりやすいのです。凝った表現もなく、わかりやすいので「抄読会」で彼の論文が当たると嬉しかったのを思い出します。他の先生の英語は妙に凝っていたり、辞書に載っていない表現を使ったりしているのですが、DeBakey先生の論文は理路整然としていて読みやすい英語でした。伝えたい内容がDeBakey先生の中にあり、それを上手に表現してくれる妹さんが二人もいたのも、彼の業績が世界的になった1つの大きな要因だと思います。

逸話4:

彼のお弟子さんには優秀な方が多く、なかでも有名なのは次の4名です。破門された方も含まれています。

心臓外科全般:Denton Arthur Cooley先生(1920-2016)
大動脈外科:Ernest Stanley Crawford先生 (1922-1992)
人工心臓、心臓移植:George P. Noon先生
外傷学:Kenneth Mattox 先生(1938-)

それぞれの分野で世界のトップです(した)。その上にいて、指導しているのがDeBakey先生です。
この4名の中で、一人、De Bakey先生から破門された先生がいます。Cooley先生(Denton Arthur Cooley )です。
Cooley先生は1960年までDeBakey先生の元で働いていましたが、独立して「Baylor St. Luke's Medical Center」で手術を行い始めます。1962年には自分で基金を募り、The Texas Heart Institute(テキサス心臓研究所)を設立、Baylor St. Luke's Medical Centerを自分の病院として活躍し始めます。DeBakey先生の働くベイラー医科大学メソジスト病院とは通りを隔てたすぐ隣に病院を作ったCooley先生は、それでもベイラー医科大学の教授として教育を行っています。
そんなDeBakey先生とCooley先生の間に大きな溝ができます。1969年4月4日のことです。この日、DeBakey先生はワシントンに出張中で自分の病院にいませんでした。DeBakey先生が不在の日に、Cooley先生は、自分の病院で「世界初の人工心臓移植術」を行ったのです。患者さんの名前は「Mr.Haskell Karp」47歳男性でした。この方は心筋梗塞で心不全を生じ、Cooley先生曰く「やむなく人工心臓を使ったが、それは心臓移植までのつなぎとして使った」そうです。ほどなくして心臓のドナーが現れ、人工心臓を取り外し、心臓移植を行いましたが、残念なことに拒絶反応が生じてこの患者さんはお亡くなりになっています。

出張先で「世界初の人工心臓使用」を聞いたDeBakeyは激怒しました。なぜなら、ベイラー医科大学での人工心臓の主任研究者はDeBakey先生だったからです。DeBakey先生のあずかり知らないところで「人工心臓」が使われたのです。
Cooley先生は「自分達の使った人工心臓はアルゼンチン人外科医のリオッタ先生と共同開発した、DeBakey先生の作っている人工心臓とは違う新しい人工心臓だ」と反論しました。リオッタ先生はDeBakey先生の下で人工心臓開発をしていたのです。それを突かれたリオッタ先生は「休日に自宅ガレージでクーリー先生と共に人工心臓を作っていた」と抗弁しました。
しかし、クーリー先生が“作った”人工心臓はDeBakey先生が作り上げた人工心臓と瓜二つでした。

というわけで、米国外科学会でも問題となり、クーリー先生は「譴責処分」を受けます。そう言うわけで、DeBakey先生から、クーリー先生は破門(ベイラー医科大学の教授職を取り上げられた)されたのです。その後も、このお二人は通りを隔てた病院で手術を多数行い、二人とも驚異的な手術成績を残します。

逸話5:

私はDeBakey先生に、直接習ったことはありませんし、話をしたこともありません。遠くから仰ぎ見る外科医でした。そのDeBakey先生とエレベーターで二人きりになったことがあります。1998年の胸部外科学会に招請されて来日された時のことです。すでに先生は90歳でしたが、1時間の講演をなさっていました。至ってお元気でした。その学会場での出来事です、偶然、エレベーターに乗っていたらDeBakey先生がそのエレベーターに乗ってきました。短時間ですがエレベーター内で、二人きりになりました。ちょっとドキドキしました。今,思うと何か気の利いたことを述べて、学会誌にサインでも頂いておけば良かったと後悔しています。

逸話6:

クーリー先生はDeBakeyと対立しましたが、DeBakey先生に勝ると劣らない業績を上げています。
「Texas heart instituge journal 」

最後にDeBakey先生の口癖を紹介しましょう。
「You can never learn enough!」

【参考文献】

  • DeBakey ME (1991). “The National Library of Medicine. Evolution of a premier information center”. JAMA 266 (9): 1252–8.
  • 能勢之彦, 人工臓器の歴史を語る 世界の巨人たち第二話 : アメリカ人工心臓計画の礎を築いたマイケル・ドベイキー先生
    人工臓器 40 (3), 240-248, 2011-12-15
  • O. H. Frazier, 「Michael E. DeBakey, 1908 to 2008」 J Thorac Cardiovasc Surg . 2008 Oct;136(4):809-11
  • M E DEBAKEY,「ANEURYSM OF ABDOMINAL AORTA ANALYSIS OF RESULTS OF GRAFT REPLACEMENT THERAPY ONE TO ELEVEN YEARS AFTER OPERATION」Ann Surg. 1964 Oct;160(4):622-39.
    川田志明 耳寄りな心臓の話(第13話)『巨星、墜つ!心臓血管外科の厳父』マイケル・ドベイキー(1908-2008)
    https://www.jhf.or.jp/publish/bunko/13.html
  • Left common carotid artery cannulation for type A aortic dissections.
    Mochizuki Y, Iida H, Mori H, Yamada Y, Miyoshi S.
    Tex Heart Inst J. 2003;30(2):128-9.
  • Novel single-stage operation and inflow source: for thoracic aortic aneurysm and limb ischemia.
    Kawajiri H, Mochizuki Y, Kashima I. Tex Heart Inst J. 2011;38(5):547-8.

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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