望月吉彦先生
更新日:2019/5/27
前回の続きです。世界で初めて足の動脈瘤の治療に成功した外科医「ジョン・ハンター(John Hunter、1728-1793)」、彼は実にさまざまなことを行っています。
(1)先に医師、解剖医になった兄と共に「解剖教室」をロンドンに開き屍体を集めて授業料をとって人体解剖を教えていました。そんな教室は、世界中でもごく少数でした。今、医学部では、御遺体(尊い献体です)を用いて解剖を行います。その先駆けですね。
(2)生きた犬を開腹して犬の腸にミルクを注ぎました。その結果リンパ管が白く(ミルクの色)なったので、リンパ管は脂肪の通り道であることを証明しました。
(3)ハンターは軍医をしていた時に
A.「銃弾摘出術」を行わなかった患者は全例助かっていること
B.「銃弾摘出術」を行った患者の死亡率は極めて高いこと
の2点に気づき、以降、「銃弾摘出術」を行いませんでした。
このことに示されるように「死亡率が高い」か「不必要」と判断した治療や手術を、ハンターは行わなかったのです。こういう冷静な科学的判断が下せる医師、外科医は当時ほとんどいませんでした。それだけでも凄いことです。
(4)ハンターは、病人を診て、病状を考え、病気を治療する時にはいつも
「観察せよ、記録せよ、推論せよ」
と説いていました。科学的思考の第一歩ですね。
(5)ハンターは自分の頭で考えることの大切さを繰り返し、説いています。曰く、
「自分の頭で考えよ」
「常に疑問を持ち、自分の頭で考える外科医をそだてることが必要」
「世の定説は、真の知識というより単なる信仰に基づいている。定説を改めようとするのは定説の誤りを認めて得意になりたいからでは無く、自分たちの無知を認めて改めるためである」
「確立された教義に疑問を持ち自分の頭で考えよ」
今でも通じる考えですね。でもハンターが生きた時代にこれを説くのは危険でした。「教義」に疑問を持つこと=神への冒涜と捉えられたからです。このために彼の書いたある本が出版されなくなり、大きな業績を他人に譲ることになってしまいました。
(6)ハンターの弟子は文字通り、「綺羅星のごとく」です。種痘で有名なジェンナー、パーキンソン病で有名なパーキンソン(パーキンソンはハンターの講義を詳細にノートテイクしていたのでハンターが何をどのように講義していたかがわかったのです。優秀な生徒はいつでも優秀ですね)、アメリカにハンター流の動脈手術を広めたライト・ポスト、ヘルニア手術を考案したことで有名なアストリー・クーパーなど、多士済々です。
(7)史上初の人工授精を施行し成功。天才的な方法です。詳細をここで書くのは少し憚られますので参考文献をお読みください。
(8)歯の移植に成功。健康な歯を抜いて(もちろん「健康な歯をもった他人」に対価を払って)、虫歯で歯を失った患者に移植しました。一時的に成功を収めたが歯の移植で梅毒が広まることがわかり中止となりました。
(9)墓地から多くの屍体を掘り起こして、「解剖」に「解剖」を重ねた結果、他の医師よりも圧倒的な解剖学の知識を得ました。しかしやったのは壮大な「死体泥棒」ですので、非難も受けています。
(10)珍しい「人体」を標本にして残しています。珍しい体格や奇形を有している人の死体を解剖して標本にしています。特に有名なのはアイルランドの巨人チャールズ・バーン(Charles Byrne 1761-83)の骨格です。バーンは身長が243cmもあり見世物としてロンドンで人気を博していました。巨人症だったのです。死後、ハンターの手で標本にされるのを恐れて、二重三重にハンターの魔手から逃れようとします。しかし、ハンターはさまざまな手段を用いて(倫理的にはあまり良いこととは思えませんが)、ついにバーンの死体を入手し、骨格標本を作ります。今、ロンドンのハンテリアン博物館(参考文献参照)でそれを見ることができます。ただの骨格標本ですが、アメリカ人の脳神経外科医クッシングはこの標本を見ていて、脳のトルコ鞍が異常に拡大していることに気づき巨人症が脳腫瘍によって引き起こされると推論しました。CTが普及するよりずっと以前の話です。見る人が見ればわかるという典型例です。なお、この骨の標本があるおかげでDNAが分析されこの巨人症のバーンさんと遺伝的につながりがある家系が、4家系アイルランドにいらっしゃることがわかりました。そんなことは、ハンターの時代には考えられなかったでしょうが、ある意味、ハンターという希有の収集家のお蔭です。
(11)世界中の色々な動物の剥製を集めたりもしました。時にはマッコウクジラの解剖もしています。色々な動物を飼育して、成長過程や体温を測ったりもしています。犬、鶏、魚、ナメクジ、ウサギ、コイ、マムシ、雄牛、冬眠中の動物、もちろんヒトも含めて体温を測定し「温血動物(=恒温動物)の体温は一定である」ことを確認しています。そんなことは今では常識ですが、世界で最初に発見して、記録したのはハンターです。
(12)広大な屋敷の裏側は「解剖教室」、表側は「医院」にしていました。そのため、後のスティーヴンソンの小説「ジキル氏とハイド氏」のモデルとも言われています。
(13)当時のイギリスでは、梅毒と淋病が猖獗(しょうけつ)を極めていました。原因は当然ながらわかりません。ハンターは仮説を立てます。それは「梅毒と淋病は同一の原因で起きる」のだろうという仮説でした。そう思った彼は淋病の患者から採取した「膿」を健康な被験者のペニスに接種します。なんと無謀なことでしょう。そして被験者の詳細な記録をつけます。この被験者には最初、淋病の症状が現れ、次いで梅毒の症状が現れました。それで淋病と梅毒の原因は同一であるという論文を書きます。この被験者はハンター自身です。なんというか凄いです。もちろん、後にこの仮説は間違っていることがわかりました。ハンターが自分のペニスに接種した膿は、淋病と梅毒の混合感染者の膿だったのです。
(14)世界初の自然史博物館を創立し、現在も残っています(参考文献参照)。ハンターが収集した14000点にのぼる標本が展示されています。
(15)ダーウィンより70年も早く進化論を唱えていました。しかし、その内容が当時としては過激で出版が許されなかったのです。当時は聖書の天地創造の記述を文字通りに受け入れていたので、それを覆す進化論はキリスト教的には困った事だったのです。それでジョン・ハンターの書いた動物の進化に関する著作はお蔵入りとなってしまい、ダーウィンが「種の起源」を発表してから2年後にようやくハンターが動物の進化について書いた「博物学、解剖学、生理学、心理学、地質学に関する小論と推察」という本が出版されます。題名だけでもハンターの知識量が半端ないことがわかります。何時も早朝から深夜まで、勉強、講義、診療を繰り返していたそうですので超人的な知力、体力の持ち主だったのでしょう。
(16)フイゴ(鞴)を用いた人工呼吸法を発明、さらに電気ショック(おそらくはライデン瓶による発電?)による蘇生も行っています。2階から転落して心臓が止まった3歳の子供に、電気を流して止まった心臓を蘇生させることにも成功したという記録を残しています。世界初の「除細動器」です。本格的な除細動器が発明される200年も前のことです。
どれ一つとっても凄い仕事で、普通の人なら、一生に1回こういうことを成すことができればそれだけでも賞賛されるような仕事です。
(17)行ったことのほとんどを書き残しています。これは「言うは易く行うは難し」です。
ハンターは、現在の医学から見ると間違ったこと、現在の倫理観からすると「どうかな?」と思うようなこともやっています。しかし、ハンター無くして近代外科は語れないほど、色々なことを成しています。
ハンターのことを色々と読んでいた私にセレンディピティが訪れました。ある大学の文学部の先生が血管の病気で入院されてきました。緊急手術を行い、助かりました。手術後、元気になった時に伺ったら「望月先生はジョン・ハンターを知っていますか?」「私はハンターが生きていた時代のスコットランド英語の研究をしているのです」と仰ったのです。
以前、参考文献1の「解剖医ジョン・ハンターの数奇な生涯」を読んでいたので、よく知っていますと答えたら、びっくりしていました。私と違い、この先生の専門はハンターの書いた英語そのものを研究することだったのです。色々なことを教えていただきました。本稿にあるハンター関係の図は全てその先生からいただいた資料からとっています。
矢印で示しているのが、膨らんだ動脈=動脈瘤 です。人工血管もなく、血管縫合用の糸も針もない時代に、ハンターは、このような動脈瘤の外科的治療に成功しています。その流れが、なんと日本にも伝わり「世界初の動脈瘤摘出手術に成功」したのは大阪の日本人外科医で、世界的な雑誌に詳細な報告を書いています。現代の世界的な血管外科の教科書(もちろん英語)にも載っています。
というようなお話は次回に。
※文中に使用したハンテリアン博物館の写真は、ハンテリアン博物館より提供され、同博物館の許可を得て掲載しています。
※(2019年6月17日追記)記事に間違いがありました。間違いをしてくださる読者はありがたいです。
望月吉彦先生
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