疾患・特集

108:血管疾患(2)福井県小浜市と血液循環の密かな関係(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

メディカルコラム

望月吉彦先生

更新日:2019/04/22

哲学と血液循環の関係(1)」より続きます。

■関連記事

英国人医師のウィリアムハーヴェイが1628年に「動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究」という本を出版し「血液は体中を循環する」という今では当たり前のことが西欧世界では広く知られるようになりました。
しかし、日本には伝わりませんでした。1628年当時の日本は鎖国をしていたからです。日本で「血液が循環する」と知れ渡ったのは1774年のことです。この年に杉田玄白がプロデュースして出版した「解体新書」の中でハーヴェイの血液循環説が紹介されたのです。

ここで日本での人体解剖の歴史を簡単に振り返ります。小浜藩(今の福井県小浜市)の人々が大きな役割を果たしています。

日本で最初に人体解剖を行ったのは京都の漢方医の山脇東洋です。1754年(宝暦4年)、京都の「六角獄舎」で死刑囚の解剖(当時は腑分け:ふわけと称していました)が行われました。日本初の解剖に5人の医師が立ち会いました。

  • 山脇 東洋(京都の漢方医:1706-1762):やまわき とうよう
  • 小杉 玄適(小浜藩医:1730-1791):こすぎ げんてき
  • 原 松庵(小浜藩医:山脇 東洋 の弟子、生没年不詳)
  • 伊藤 友信(小浜藩医:山脇 東洋 の弟子、生没年不詳)
  • 浅沼 佐盈(山脇 東洋 の弟子、生没年不詳):あさぬま さえい

この5名です。当時の京都所司代(知事のような役目)は酒井忠用(さかいただもち)で小浜藩主でした。小浜藩は今の福井県小浜市(おばまし)です。小浜市は、オバマさんがアメリカ大統領に就任した時、少し話題になりました。

酒井忠用は1752年から1756年まで京都所司代を務めました。その在任中の1754年、山脇東洋、小杉玄適らが人体の解剖の申請を京都所司代酒井忠用に提出し、許可されたのです。小杉玄適は酒井忠用の侍医でした。そういう関係もあって解剖が許可されたのでしょう。酒井忠用は「日本で最初に人体解剖を許可した人物」として医学の歴史に名が残りました。

山脇東洋は漢方医でしたが、動物の解剖を手がけていて、どうも人間の臓器は当時の漢方医学で教えられていた「五臓六腑」とは違うのでは無いか?と考えたのだと思います。また、山脇はドイツ人医師ヨーハン・ヴェスリング(Johann Vesling、1598-1649)が1641年に出版した解剖学書「Syntagma anatomicum, publicis dissectionibus, in auditorum usum, diligenter aptatum」を手に入れています。この本はラテン語で書かれていますが、後にオランダ語に翻訳されています。オランダから出島に伝わった同書を何らかの方法で手に入れたのでしょう。この「ヴェスリングの解剖学書」に載っている解剖図は、山脇東洋ら漢方医が習ってきた中国医学の「五臓六腑」の解剖と随分違いました。どちらが正しいかそれを確かめるために人体解剖を行ったのだとされています。山脇東洋はオランダ語を学んでいませんから、ヴェスリングの解剖書の内容はわからなかったと思います。しかしヴェスリングの解剖書に載っている人体解剖図を見ながら、実際に人体解剖を行い、それまでに中国から伝わっていた人体解剖は間違っていることに気づいたのです。

この解剖から5年、1759年山脇東洋はこの解剖を元に「蔵志(ぞうし)」という日本で最初の解剖書を出版します。その図を書いたのが浅沼佐盈(あさぬまさえい)(前述の5番目)です。絵をかける弟子(浅沼)を連れて行った山脇は着眼点が違います。
他の人は何も書き残さなかったので、ほとんど、その名前が残りませんでした。やはり書き残さないと駄目ですね。余談ですが、解剖をされた罪人は「屈嘉(「くつか」あるいは「くつよし」)」という名前でしたが、山脇東洋は「屈嘉」を厚く弔い、「利剣夢覚信士」という戒名を付け京都京極の誓願寺に埋葬しています。「屈嘉」は日本で最初に解剖され、その内臓が記録された人物となりました。

時は流れ、ヴェスリングの解剖書よりもさらに精密な解剖書「ターヘルアナトミア(ドイツ人医師クルムス著した解剖学書のオランダ語訳書)」が日本に伝来します。「ターヘルアナトミア」は江戸にいた小浜藩医の杉田玄白(1733‐1817)や中津藩医の前野良沢(1723-1803)の下にもありました。当時、簡単に手に入るような本ではありません。前野良沢は長崎留学をした時に入手していました。前野良沢は留学当時46歳です。当時なら、隠居してもおかしくない年齢で長崎に留学し、オランダ医学やオランダ語の勉強もしていました。
山脇東洋と一緒に解剖に立ち会った小杉玄適は小浜藩医で同じく小浜藩医だった杉田玄白の同僚でした。小浜藩つながりです。その小杉玄適から人体解剖の重要性を聞かされていた杉田玄白は、同僚の医師 中川淳が借りてきた「ターヘルアナトミア」に載っている解剖図を見て、「ターヘルアナトミア」の価値に気づいたのです。そして小浜藩主に頼み込んで「ターヘルアナトミア」を買い上げてもらい自分で読むことができるようにしていたのです。

  • 小浜藩主酒井忠用が人体解剖を許可し、
  • その人体解剖に立ち会った小杉玄適と杉田玄白は小浜藩医で同僚だった。
  • 人体解剖に興味があった杉田玄白が「ターヘルアナトミア」を小浜藩に買い上げてもらった。

凄い「小浜藩つながり」です。それが解体新書につながります。
いつかは自分も人体解剖を行いたいと思っていた杉田玄白ですが、たまたま前野良沢と知り合い、1771年3月4日江戸小塚原の刑場で死刑になった罪人の解剖を「ターヘルアナトミア」を参照しながら見学することができたのです。解剖した人体は「ターヘルアナトミア」に描かれている通りだったのです。
そしてこれが凄いのですが、解剖見学の翌日の3月5日、解剖に参加した33歳の杉田玄白・48歳の前野良沢・32歳の中川淳庵が集まり「ターヘルアナトミア」を皆で翻訳することを決めたのです。決断が早いですね! 翻訳と言っても、「オランダ語→日本語辞書」は無く、その作業はほとんど暗号解読のような作業でした。杉田自身はあまりオランダ語が得意ではなく、実質的翻訳者は前野良沢だとされています。
苦節3年、そしてついにそれが1774年の「解体新書」出版につながります。上述のごとく「解体新書」には「ハーヴェイの血液循環説」も紹介されています。
解体新書は、日本初の本格的解剖書(翻訳ですが)です。人体の名前もオランダ語から苦労して翻訳されています。有名なのは「神経」「軟骨」「頭蓋骨」「十二指腸」「処女膜」などです。今でも使われている言葉がこの時に「新造語」されています。
「動脈」は中国語にすでにあった言葉です。静脈は「血脈」と記されています。後に宇田川玄真(1770-1830)の著書「和蘭内景医範提網」に初めて「静脈」という言葉が使われ今でも使われています。「動(どう)」に対して「静(せい)」ということでしょう。血管の性質、実態も表しているとても良い「造語」です。でも、それなら静脈は「せいみゃく」と呼称すべきかもしれません。しかしなぜか「じょうみゃく」と呼ばれ今に至っています。「静」の音読み(中国語読み)は「せい」と「じょう」ですが、「静」を使ったほとんどの熟語は「せい」と呼んでいます。例えば、平静、動静、安静、静寂、静電気etc.「じょう」と読むのは少ないですね。理屈はなく、語呂で「じょうみゃく」と読まれるようになったのでしょうか。

今回の話は、皆さまにはあまり面白くないかと思います。しかし、解剖はとても大切です。そもそも病気が発生する場所が正確にわからないと、病気を明らかにすることができません。解体新書が刊行されてはじめて日本に本格的西洋医学が始まったと言っても過言ではありません。
学生時代、「解剖学」の勉強は大変でした。ラテン語で人体の各部位の名前を覚えるのです。簡単ではありません。悪夢のような勉強でした。どれくらい悪夢かというと今でも解剖の口頭試問の時に質問された「口蓋骨垂直板」のラテン語名を間違って答えた場面を思い出すくらいです。「lamina perpendicularis ossis ethmoidalis」が正解なのですが、「lamina perpendicularis ossis sacri」と間違ってしまい「違います」と言われ、冷や汗をかいたのを思い出すのです。結局、なんとか正解を思い出したのですが、一瞬「落第か?」と思いました。医師になってから残念なことにこの憎き「口蓋骨垂直板」という言葉を使ったことがありません(笑)。

次回から、代表的な血管の病気について、ご紹介しようと思います。

【参考文献】

  • 医学用語の起り(東書選書) 小川鼎三(著)
  • なりたちからわかる!「反=紋切型」医学用語『解体新書』 小川 徳雄、永坂 鉄夫(著)
  • 血液は循環する―ハーヴェイ伝 (世界を動かした人びと) 阿知波五郎(著)
  • 動物の心臓ならびに血液の運動に関する解剖学的研究(岩波文庫 青 908-1) ウイリアム・ハーヴェイ(著)
    原本はラテン語“Exercitatio Anatomica de Motu Cordis et Sanguinis in Animalibus”
    英語なら“An Anatomical Exercise on the Motion of the Heart and Blood in Living Beings”
  • 新装版 解体新書(講談社学術文庫) 杉田玄白ら(翻訳)、酒井シヅ(現代語訳)
  • 冬の鷹(新潮文庫) 吉村昭(著)
    前野良沢に焦点を当てて、解体新書の成立過程を解き明かしている歴史小説です。面白いです。

余話1:

杉田玄白が70歳の頃に書いた回想録『形影夜話』(1802年)に「昔の医学書に天然痘や梅毒が書かれていなかったのに、今はずいぶん天然痘や梅毒を診ることが増えた」「毎年1000人あまりの患者を治療するうち、実に700~800人が梅毒である」 と記しています。
梅毒は、今も激増しています。注意が必要です。

余話2:

解体新書には杉田玄白(訳)、中川淳庵(校)、石川玄常(参)、官医・桂川甫周(閲)とあり、実質的翻訳者である前野良沢の名前がありません。前野は不完全な翻訳のまま「解体新書」を出版することに反対したからと言われています。でも完全を目指すより、出版を優先し世の中に「ターヘルアナトミア」を早く広めた杉田玄白も偉かったと思います。

余話3:

「蔵志」の図は漢方医の浅沼佐盈が書いていますが、かなり平面的な絵です。しかし、「解体新書」の図は写実的で迫力があります。こちらはプロの画家「小田野直武(1750-1780)」が画いているのです。小野田直武の描いた「絹本著色不忍池図:けんぽんちゃくしょくしのばずのいけず」という絵は重要文化財になっています。 それくらいの「プロ」ですから、「解体新書」の図が素晴らしいのは当たり前かもしれません。でも元は「ターヘルアナトミア」の図です。模写して手を加えているので、今なら盗用とされて問題となるでしょう。

「蔵志」の図
「蔵志」の図

「解体新書」の図
「解体新書」の図

余話4:

福井県小浜市には杉田玄白の名を冠した公立「杉田玄白記念小浜病院」があります。

■関連記事

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。