望月吉彦先生
更新日:2023/8/14
2021年日本不整脈心電学会の学会誌である「心電図」に拙稿が掲載されました。この論文を書くに至った経緯、途中経過などを何回かにわけてお示しします。論文を書くに至った経緯の詳細など興味を引かないかもしれませんが、何かの役に立つかもしれません。
どなたでも読めます。お時間があるときにお読みください。医学知識は不要です。気楽にお読み頂ければ幸いです。
このサイトからPDFをダウンロードして頂ければ幸いです。
世界中どこの医療機関にもある「心電計」を開発し、世界で初めて心電図の記録に成功したのはオランダ人医師アイントホーフェン(1860-1927)です。以前にも世界で最初に発明された心電計で記録されて「心電図」をお示ししました。再掲します。
これがオランダのライデンにある「ブールハーフェ(Boerhaave)博物館」に展示されているアイントホーフェン医師が世界で初めて作成した心電計で記録に成功した心電図です。
ブールハーフェ(Boerhaave)博物館は、日本語のオランダ旅行のガイドブックには載っていませんでした。しかし、今はインターネットがあります。同博物館のホームページを見て、ライデンにあることがわかりました。さらにライデン駅からの行き方の詳細は、アムステルダムにある観光案内所で教えて頂きました。同博物館には、
など、オランダが世界に誇る科学業績を紹介しています。オランダを訪れる機会がありましたら、ぜひ、訪問してください。
余談です。当クリニックが五反田から浜松町に移転し、再開業した日の出来事です。
開業当日、大量吐血している患者さんが受診されました。飲酒後に嘔吐、その後、大量吐血したのです。ブールハーフェ(Boerhaave)症候群を疑いました。この症候群は、食道に異常がないのに嘔吐により食道壁全層が破裂・穿孔する怖い病気です。診断が遅れると死亡します。この方はすぐに近隣の専門病院に紹介、即刻、緊急で内視鏡検査が行われ「ブールハーフェ症候群」と診断され、食道の出血部を止血して事なきを得ました。この病気は放置すると極めて危険な病気です。名前からお分かりになると思いますがブールハーフェ医師が発見した病気です。
救急診療をしている病院に勤めていると年に数名、ブールハーフェ症候群を発症した方が来院されます。ほとんどが大量飲酒後に嘔吐してから発症します。ブールハーフェ(Boerhaave)の名前は、医師以外には日本では知られていませんが、オランダではその名前が自然科学博物館に冠されるほど有名な科学者兼医師です。
話を元に戻します。心電計の発明でノーベル生理学・医学賞を受賞したアイントホーフェン医師ですが、心電計の改良は息子さんと一緒に行っていました。ノーベル賞の受賞講演でも息子さんと一緒に行っていた改良についても触れています。心電計の改良に大きな役割を果たしたアイントホーフェンの息子さんは戦時下の日本で亡くなっています。そのことに関する論文が上記の論文です。この論考を書くのに20年という月日を要しました。
元々、「Iodine-impregnated drapes enable recording of precordial electrocardiogram (Ann Thorac Surg. 1999 Apr;67(4):1184-5.).」という論文をアメリカのThe Annals of Thoracic Surgeryという雑誌に投稿、掲載されたのが心電図を学び直す契機でした。 心電図に関する論文はたくさんあり、教科書も毎月の様に出版されます。それほど、心電図は面白く、未だに新発見があります。
しかし、アイントホーフェンが考えついた「心電計の原理」、「心電図を記録する原理」に関する教科書はほとんどありません。アイントホーフェンの書いた心電計に関する論文は数式が多く、あたかも物理学、数学の論文のようです。この「原理」について書かれた教科書は、日本では、私の知る限り、一冊しかありません。
それがこの本です。
本橋均著「絃の影を追って:W. Einthoven の業績」, 初版. 医歯薬出版. 東京, 1969
という本です。この本で著者はアイントホーフェンの論文(主にドイツ語)を読み解き、心電計の原理を解き明かしています。名著です。
この本の文中にアイントホーフェン医師と共同研究をしていた同医師の息子さんのことが少しだけ紹介されていました(同書106頁)。
アイントホーフェンの息子は1945年3月の東京大空襲で亡くなったと書かれています。びっくりしました。それから、この東京大空襲で亡くなったアイントホーフェン医師の息子さんに関して少しずつ調べましたが、何もわかりませんでした。それに関する書籍、論考、レポートなどを探しましたが全く解りませんでした。
2018年頃、八重洲ブックセンターで、東京で亡くなったアイントホーフェン医師の息子さんのことを記してある本を見つけました。それがこの本です。
小宮まゆみ著「敵国人抑留―戦時下の外国民間人」歴史文化ライブラリー 吉川弘文館(2009年)です。
どうしてこの本を見つけられたか、お伝えしましょう。元は私どものクリニックの名に冠してあるエミリオ森口先生との会話から、はじまりました。エミリオ先生は現在、ブラジルにあるクリーニカス・デ・ポルト・アレグレ病院 (Hospital de Clínicas de Porto Alegre)で内科教授を勤められています。脂質代謝が専門です。
エミリオ先生は日系ブラジル人で、毎夏、ブラジル奥地に住む年老いた日系ブラジル人の「巡回診療」を長年(エミリオ先生の父、祖父の代から行っているそうです)なさっています。この活動は日本でも知られるようになり、2021年には社会貢献支援財団から「社会貢献者表彰50周年記念表彰」を受けています。
そのエミリオ先生ですが、年に1-2回日本に来られます。その時にブラジル移民の方々の苦労話など聞いて「南米移民」に興味を持つようになりました。八重洲ブックセンターには「移民」に関する書籍が集まっているコーナーがあり、そこで本を色々見ていたら上記の「敵国人抑留―戦時下の外国民間人」という題の本を見つけたのです。あれ?もしかしたら本橋先生の本の中にあった「1945年3月の東京大空襲で亡くなったアイントホーフェン医師の息子」に関することが記されていないかと思い、ページをめくっていたらその中に、「ジャワから連行されたオランダ人」という項があり、アイントホーフェンの名前を見いだしたのです。
え?え??というようなことが書かれていて、この本の記述からアイントホーフェン医師の息子の消息が少しずつわかり始めました。
論文というか記録を残すことはとても大切です。医師はカルテを記します。これはとても大切な記録です。日本では法律でカルテの保存義務年限が5年と決まっています。最初に就職した大学病院には昭和初年頃のカルテも保存してありました。当時、マイクロフィルム化していました。今はどうなっているのでしょう。
メイヨークリニックには100年以上前のカルテがカルテ保存庫に残っているそうです(メイヨークリニックに留学した先輩から伺いました)。カルテをきちんと書かないと後世の医師に笑われるかもしれないです。今は電子カルテが普及してきました。電子媒体での記録はどうなるのか? とても興味深いです。能う限りなんとかして100年、200年単位で記録が残る方法を模索して欲しいです。
医学論文、科学論文を書くのは大切ですが、嘘の論文はいけないです。日本人は一般的に「嘘をつかない」と思われています。本当でしょうか? 数年前、大騒ぎになったSTAP細胞事件は世界中の研究者を巻き込みました。結果的に「追試による検証」ができなかったために論文は取り下げになり責任者は悲痛なことになりました。
あまり紹介したくないのですが「The Retraction Watch Leaderboard」というサイトがあります。論文撤回数ランキングです。論文撤回とは「投稿して掲載されたが、実は間違っていた、実験はしていなかった、、等々の理由で論文を取り下げること」です。そのランキングトップ10名のうち5名は日本人研究者です(参考:The Retraction Watch Leaderboard)。
一番は184本、二番は172本の論文を撤回しています。数が多すぎて、論評する気にもなれません。まわりは気づかなかったのでしょうか? 不思議です。
最後にとても素晴らしい余話を。近年、私の中では一番「凄い!」と思った科学論文に関する報道です。
京都大学からの発表です。2020年10月15日のことです。
酒井章子京都大学生態学研究センター教授、直江将司森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員、長岡信幸氏らの研究グループは「ミヤマニガウリという植物は秋になると葉が花や実を包み実の成長を促すこと」を明らかにしました。
植物において、葉は光合成のための器官であり、開花や結実のための葉は、これまで知られていませんでした。ミヤマニガウリの葉は、葉緑体も少なく、光合成よりもいわば「温室」として実を守ることに特化した葉だといえます。
この現象は、論文の第一著者の長岡氏によって、2008年に発見されたとあります。長岡氏は、山形県の月山山麓にある県立自然植物園で毎年観察を重ね、葉が寒さから実を守っているのでは、と考えました。相談を受けた酒井教授、直江研究員らが、2018年に長岡氏と調査を行い、ミヤマニガウリ葉の役割が明らかとなりました。この葉っぱによる自然の「温室」は厳しい寒さから花や実を守る一方、花粉媒介を行う昆虫の訪花を妨げます。温室の形成が植物の交配にどのような影響を与えているのかは、今後明らかにされるべき興味深い課題です。
本研究成果は、2020年10月7日に、「Proceedings of the Royal Society B(英国王立協会紀要)」のオンライン版に掲載されました。
Proceedings of the Royal Society Bはインパクトファクター 5.3 の雑誌です。「B」は Biological Sciencesの略称
ちなみに、Proceedings of the Royal Society Aは「Mathematical, Physical and Engineering Sciences」に関する論文が載ります、インパクトファクターは2.7です。
長岡信幸さん山形県立自然博物園で指導員を務める元中学校の教員で91歳です。91歳で筆頭著者として論文を書いてインパクトファクターを得ています。筆頭著者としてインパクトファクターを得た日本人研究者としては最高齢かも知れません。
自分が世界最初の発見者となるような「本当の発見」に巡り会うことは、ほとんど、ありません。長岡信幸さんのように「身近な発見」をきちんと検証して論文にする。凄いことだと思います。
なんとこんなことを書いていたら、私もある発見をしてアメリカの大学の超有名研究者と研究をすることになり、私の発見は無事論文になりました。後日ご紹介します。
次回は「菅原道真の試験点数は? 満点だったか?」などの話題を含めて雑誌「心電図」に載った論文を書くに至った経緯をさらにお示しします。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/
※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。