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10歳から原因不明の強い痛み、25年にわたる闘病記 医療者が線維筋痛症になって思うこと(1)

全身が激しい痛みに襲われる線維筋痛症を発症して25年以上になるCさんに、闘病記を公表してもらいました。公表する理由の1つとして、Cさんは医療に携わった経験があることを挙げています。というのは、医療に関わる人の立場をふまえて闘病経験を伝えることが、病気に悩む患者さんに役立ててもらえると思ったからです。今回は、原因不明の痛みを発症しはじめた10歳ころから就職した20歳代前半までを紹介します。

はじまりは10歳ころ、突然の立っていられないほどの痛み

Cさんが線維筋痛症を発症したのは10歳ころでした。突然、両ひざに激痛が走りました。立っていられないほどで、インフルエンザで関節の痛みがひどくなるようなイメージです。痛みがおきたり、おさまったりというのを繰り返していました。
Cさんは、幼少時から消化器の症状や、睡眠障害、音に過敏になるといった症状がありました。また、家庭の事情で幼少のころから家事などをしており、難病の兄弟の面倒もみていました。小学校に行きながらでしたので、自分の体に支障があるのに大変な状態でした。
しかし家族は、成長期にひざの関節が痛くなるオスグッド病(成長病という一過性の病気とされています)などのように、成長が終了すると治る成長痛と思っていたようです。
これだけの症状があったのに、早期発見・治療につながらなかったことが、25年以上にわたる闘病生活に至ったといえるのではないのでしょうか。

激しい痛みにガマンできず授業中にやむなく離席することも

Cさんは高校、専門学校へと進みましたが激しい痛みに悩まされ続け、症状はおさまりません。
小学校のときはひざの痛み、高校生のころは肘の痛み、専門学校のころは首から腰にかけての痛みに悩まされました。雨が降る前には痛くなることがよくありました。
専門学校のころは、激しい痛みにガマンできず、授業の途中でトイレに行くふりをして出て行き、体を伸ばしたりすることが多かったとのことでした。
家族は理解がなく、Cさんが痛いと言っても精神論、根性論をもとに注意するばかりでした。
1990年代は、線維筋痛症という病名があまり知られていない時代でした。Cさんは原因がわからないまま、つらい10代を過ごしましたが、20代はもっとつらい経験をしました。

全身に激痛、痛くないところを数えるほうが早い

Cさんは、20代前半に医療機関に入職しました。しかし働きはじめると、すぐに全身にわたって激しい関節の痛みに襲われました。
10代のころは痛いところは部分的でしたが、20代前半のころは指の細かい関節まで強い痛みが走るようになり、全身で痛くないところを数えるほうが早いくらいでした。
医療機関に勤めはじめたころで、強いストレスを感じていたようでした。強い負荷がかかったことによって、激しい痛みが全身に広がっていったようです。
当時を振り返って、Cさんのコメントは以下です。

当時は、全身の痛みを訴えても、受け入れられることはほとんどありませんでした。家庭や学校、職場などで理解を得られず、否定され続けることで、最後は「私がおかしいのか?」と自分を責めていました。
医療機関に勤めていると、「周りの理解があっていいね」とよく言われました。しかし実際は、健康な職員より休む日数が少ないのに、1日でも休むと責められているような状況でした。
周りに人はいても、心が孤独に陥る。とてもつらい状況です。そんな方々に伝えたいのは、仲間や理解者はどこかに必ずいるということです。
SNS、医療機関、患者会など、相談できる人や機関の選択肢を増やしておくと、気持ちも楽になります。

痛みの治療を受けることが必要と思って探したけど相当の期間がかかる

Cさんは、医療機関で正確な診断をつけてもらい、治療を受けることによって、悩まされている全身の激しい痛みや消化器症状、睡眠障害など数多くの症状を和らげることが必要だと思いました。
治療してくれる医療機関を必死に探しました。しかし、探しても、探しても、なかなか見つかりません。出会うまでには数年間がかかりました。結果的に、「ドクター・ショッピング」と言われるような状況にならざるを得なくなったのです。
次の記事でドクター・ショッピングから解放されるまで数年間かかった状況を紹介します。

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公開日:2019/11/06