望月吉彦先生
更新日:2022/01/24
20世紀最大の発見とも言われるのが「DNA(デオキシリボ核酸)の二重らせん構造の発見」です。DNAの二重らせん構造を世界で初めて電子顕微鏡で見て撮影に成功した話を紹介します。
その前に少し変わったTシャツをお目にかけましょう。
図1:科学Tシャツ
このTシャツには科学史上の重大な発見とその発見者の生年が記されています。読み飛ばしても構いません。
あれれ?
DNAが2重らせん構造をしていることを「発見」したのはご存じ「ワトソンとクリック」では?
ワトソンとクリックはこの発見?でノーベル賞を受賞しました。しかしその発見にはさまざまな「疑惑」(後述)が指摘されるようになっています。文献2.3.に詳しいです。ワトソンはロザリンドの死後、彼女に対するひどい悪口を書いています。
そういうこともあり、Tシャツのデザイナーは敢えてDNAの2重らせん構造の発見者をR. FRANKLINとしたのだろうと思います。
クリックはすでに亡くなっていますが、ワトソンは今も生きています。しかし、ある不名誉な理由で表舞台には出られなくなっています。ノーベル賞のメダルも売ってしまいました。本稿の主題とは少し離れますが、このことを少しだけ紹介します。
図2:「Photograph 51」ロザリンド・フランクリンが撮影したDNA結晶のエックス線解析写真
この写真はBBCニュースが「The most important photo ever taken?」と
書いているくらい重要な写真です。
ロザリンド・フランクリン女史は1950年、ロンドン大学のキングス・カレッジでX線結晶学の研究生活をスタートさせます。 X線結晶学とは「結晶性物質にX線を照射し、その回折から結晶構造を研究する」学問です。物理学の1分野です。1953年、そのロザリンドは、DNAの二重らせん構造の解明につながるX線回折写真の撮影にも成功。「Photograph 51」と名付けます。図2の写真です。
この写真は「ロザリンド・フランクリンが知らない間」に2つのルートでワトソンとクリックに渡り、この写真を見たワトソンとクリックは「DNAが2重らせん構造」をしていると予想、その予想を論文にしてNATUREに掲載されます。
参考:1953年4月25日号のNATURE
http://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/ResearchSeminar/20190215WatsonCrick.pdf
https://cellbank.nibiohn.go.jp/legacy/visitercenter/lecture/genetics/watson.pdf
ワトソン・クリックの論文の最後にロザリンド・フランクリンへの謝辞があります。
「We have also been stimulated by a knowledge of the general nature of the unpublished experimental results and ideas of Dr. M. H. F. Wilkins, Dr. R. E.Franklin and their co-workers at King’s College, London.」
ロザリンド・フランクリンは自分の撮影した写真が彼らに渡ったことを知りません。NATUREに掲載されたワトソン・クリックの論文の次はなんとロザリンド・フランクリン自身が「Photograph 51」を引用して書いた論文です(http://www.crl.nitech.ac.jp/~ida/education/ResearchSeminar/2019/20200210FranklinGosling.pdf)。
しかしその後、この発見は「盗まれた」と言われるようになります。「DNAが2重らせん構造」をしていることを本当に「発見」したのはロザリンド・フランクリンだと言われるようにもなっています。
「Photograph 51」が渡されています。
「Photograph 51」を見せたことに関わるワトソン、クリック、ウィルキンス、マックス4名全員が1962年にノーベル賞を受賞しています。マックスはノーベル化学賞、ほかはノーベル生理学医学賞です。偶然でしょうか? なお、ロザリンド・フランクリンは1958年に38歳で亡くなっています。
この間の事情は「Photograph 51」という戯曲になり、ニコールキッドマンが主演(つまりロザリンド・フランクリン役)、英米で上演されました。そういう事情もあり、一般の方にもロザリンド・フランクリンのことはよく知られるようになりました。それゆえに上述のTシャツデザイナーはロザリンド・フランクリンの名前を、あえて、Tシャツに載せたと思います。
さて話は変わります。今号はそんな「ややこしい」発見の話ではありません。すっきりした素晴らしい「発見」の話です。DNAの「二重らせん構造の撮影に成功した」女性科学者の話です。話は1985年に始まります。
この電子顕微鏡が「肝」です。私は1983年に卒業していますから卒業してからの出来事です。1985年、超高分解能走査型電子顕微鏡が鳥取大学医学部に設置され新聞テレビ等で大きく報道されました。
この超高性能走査型顕微鏡を用いて
・エイズウイルスの写真
・抗体の写真
・バクテリオファージの写真
などの撮影に成功し、故田中敬一教授(1926-2019)は世界的に有名になります。これに至るさまざまなことは、岩波新書に田中先生が書いています(文献4)。
これらの写真の中でも特に有名になったのが、田中先生がボローニャ大学開学900年の催しに招かれて講演した時に公開したバクテリオファージの写真です。この講演で、田中先生はこの超高性能走査型顕微鏡で撮影した写真を次々に披露、最後に大腸菌の上にのるバクテリオファージの写真を見せたところで爆発的拍手がおこり、しばらく収まらなかったとあります。
図4:世界で初めて撮影されたバクテリオファージの走査型電子顕微鏡写真
(文献4:「超ミクロ世界への挑戦」203頁より 引用許可を得ています)
それだけではありません。
「Congratulations! Bologna (1088-1988)」と書いてある旗をバクテリオファージが持っているように合成したスライドを見せて講演を終了した瞬間、割れんばかりの拍手が鳴り響いて講演は大成功だったと記しています(図5)。格好いいスライドです。評す言葉がありません。生涯に一度でも良いからこういう「知的に格好良い」講演をしたいですね。
図5:ボローニャ大学(1088-1988)の旗を持ったバクテリオファージの走査型電子顕微鏡写真
(文献4:「超ミクロ世界への挑戦」目次部より 引用許可を得ています)
世界最高性能の顕微鏡があれば誰でも撮影できるかというと、そんなに単純な話ではありません。詳しい話は、田中先生が著した「超ミクロ世界への挑戦(岩波新書)」にありますが、「試料を見えるようにするのが先」です。走査型電子顕微鏡の黎明期にさまざまな工夫をこらし、「見える試料作り」に成功したのが田中先生です。それゆえに日立がこの機械を鳥取大学に納入し、田中先生一門は様々な試料を見える形にしてそれまでに見えなかったモノ(前述のエイズウイルスの写真などです。注:エイズウイルスはその後管理が厳重になり2度と撮影できないのです)を撮影し次から次に世界をあっと言わせていたのです。
電顕の資料作りは簡単ではありません。手作りの機械、セメダインを用いた機械、試料を処置してたまたま3日放置したらその「3日」が最善手だったとかとにかく様々なことを行ってはじめてようやく見える試料ができたと岩波新書に載っています。
「超ミクロ世界への挑戦(岩波新書)」は絶版になっています。
残念なことに今は絶版ですがアマゾンで古本が安価に購入できます。ぜひお読みください。面白いです。読み始めたら止まらなくなるほど面白いです。ええ? あれ? 本当? なんでこんな? そういう話が満載です。田中敬一先生というと古い自転車に乗って通勤していた姿を思い出します。あの田中敬一先生が、まさか、こんな凄いことを成していたとは思いませんでした。
田中先生の解剖学の試験は厳しくて今でも年に1回くらい夢に出てきます。厳しい口頭試問です。次から次に骨を示し、示された箇所の「日本語名」と「ラテン語名」を答えるという試問です。10分で20問ぐらい、なんとか乗り切れそうかなと思ったのですが最後に出てきたのが「口蓋骨垂直板」でした。
田中先生「そのラテン語名を述べてください」
望月「うーん。。。うーん。。。。そうだ! 「Lamina perpendicularis ossis palatini」というラテン語が不意に頭から湧き出てきて無事進級できました。これが出てこなかったら2次試験に回り、下手をすると落第でした。悪夢でした(笑)。ラテン語なんて書けないですがこれだけは書けるのです(笑)。
さてこの鳥取大学の走査型顕微鏡を使って撮影された凄い写真を最後にお目にかけます。田中先生のお弟子さんである「稲賀すみれ先生」が撮影した写真です。1991年、参考文献1. の論文が発表され世界中の研究者をあっと言わせます。題名が
「SEM images of DNA double helix and nucleosomes observed by ultrahigh-resolution scanning electron microscopy」
敢えて訳せば「超高分解能走査型電子顕微鏡によるDNA二重らせんとヌクレオソームの走査型電子顕微鏡像」でしょうか。
DNAの二重らせん構造の写真撮影に世界で初めて成功したのです。この論文の画像を今回紹介しよう思いましたが、版権を持っている雑誌の出版社(イギリス)から許可を得られませんでした。「残念だなあ」と思ったのですが、そうだ!論文の著者の稲賀すみれ先生に直接連絡を取れば論文には載っていない写真を提供して頂けるかもしれないと思い、論文に載っているe-mailアドレスにメールを送って連絡をとりました。断られるかと思いましたが、論文に載っている写真よりきれいなカラー写真を提供して頂きました。と言うわけで拙文を書くのも多少苦労しています(笑)。論文には載っていない写真ですので紹介しても問題無いと思います。
お目にかけましょう。DNAが2重らせん構造をしています(図6、7)。
図6:DNAが2重らせん構造を示していることが解る写真
図7:DNAの二重らせんが途中から左巻きから右巻きに変わっていることが解る写真
(注:図6、7共、稲賀すみれ先生より提供して頂きました)
「世界で初めて撮影されたDNAが本当に二重らせん構造をしていること」を示した写真です。DNAが二重らせん構造していることは一目瞭然でわかりますね。日本は元より世界中に「DNAの二重らせん撮影に成功」と報道され、世界中の科学者を驚かせました。当時の新聞に稲賀先生は「これが見えた時、とても嬉しかった」と答えています。誰も見たことが無いモノを世界で初めて見る喜びは何物にも代えがたいでしょう。
「世界で初めてDNAの2重らせん写真の撮影に成功」したことで稲賀すみれ先生の名前は科学史に残りました。なお左巻きと右巻きの2重らせん構造があると予想されていましたが、この試料では右巻きから左巻きに変わっています。つまりこの論文では「DNAが2重らせん構造をしていることとその2重らせんは右巻き、左巻きがあること」の2つを証明できたのです。
DNAの二重らせん構造の解明はロザリンド・フランクリンが撮影した写真で始まり、稲賀すみれ先生が撮影した写真で締めくくりとなりました。2人の女性科学者がDNAの構造解明に重要な役割を果たしたことになります。
図8:DNAが2重らせん構造の撮影に成功!との報道(稲賀先生よりご提供頂きました)
図9:稲賀すみれ先生(掲載許可を得ています)
最高倍率の走査型電子顕微鏡にDNAを入れれば写真なんて簡単に撮れると思うでしょうが違います。試料は「撮影出来るように工夫」しないと撮影できません。工夫の仕方は教科書に載っていません。「言うは易く行うは難し」です。この写真のDNAはニワトリの赤血球の核の中にあるDNAです。DNAのひもは20オングストローム(1オングストローム=10-10m)、直接電子線を当てると損傷されるので白金の粒子をひもに蒸着すれば「見える」のですが白金の粒子は30オングストロームもあります。それでは白金の粒子の方がDNAを覆ってしまいDNAの状態観察は不可能になってしまいます。要するに「普通の方法」では撮影できないのです。しかし稲賀先生はさまざまな工夫をこらして見ることに成功します。あり得ない様な話です。
その一端をお示しします。
アメリカ製の洗剤ジョイで細胞膜を洗うと細胞内の中味が散らばって出る。細胞膜はリン脂質で出来ているので界面活性剤(洗剤)で洗えば水と一緒になり、流れてしまう。そこまでは私にも解ります。しかし、洗いすぎれば細胞内の成分も一緒に流れてしまう。洗い方は簡単では無いと素人の私にも解ります。その洗い方は「名人芸」でとにもかくにも「気合い」で、DNAが残る洗い方に成功し、その生のDNAにカーボンを蒸着して親水性に処理して細胞内のDNAが2重らせん構造をしている写真が撮れたと文献7.にあります。正直、私には理解不能です。
さまざまな苦労、様々な電子顕微鏡開発、電子顕微鏡研究があって初めて「DNAの二重らせん構造写真」撮影に成功したのでしょう。今回は、その写真をお目にかけました。
田中敬一先生が東京で講演を成された際にサインをして頂きました。私の宝物です。
最後になりますが、DNAの写真を提供して頂いた稲賀すみれ先生、超ミクロ世界への挑戦に載っているバクテリオファージの走査型電子顕微鏡写真の掲載を許可して頂いた故田中敬一教授の奥様である田中昭子様に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/
※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。