望月吉彦先生
更新日:2018/06/04
前回から引き続き、銀杏に関する話題を続けます。最初に中学校の理科のお復習いです。
植物は、
に分かれます。2.の種子植物はさらに、
に分かれます。裸子植物と被子植物の違いは胚珠(はいしゅ:種子になる部分)が子房(しぼう:後に果実になる部分)に覆われているかどうかの違いです。難しいですね。
さて、ここからが本題です。
植物の進化をたどると花が咲かない植物(シダ、コケ、藻など)が一番古い植物で、次に裸子植物、一番新しいのが被子植物です。生殖方法は進化とともに変化しています。
コケ類、シダ類、藻類などの原始的植物は精子を放出し、雨水などで精子を泳がせて受精します。「えっ?精子?」と思われるでしょう。花が咲かない植物には雄株(おかぶ)と雌株(めかぶ)があり、雨が降ると雨水が雄株にかかり精子を放出させます。そして精子を多数含んだ雨水は地面を流れて卵子を持つ雌株にたどり着き、運の良い精子が卵子と出会って受精します。この辺りは動物と一緒です。
一方、花の咲く裸子植物、被子植物は「雄しべ」から「雌しべ」へ花粉が届くことで受精します。例外が2例あります。数多ある「花の咲く」植物のうち、イチョウとソテツにだけ精子が見つかっています。植物学上の大発見です。二つとも日本で発見されています。今から100年も前のことです。イチョウの精子は東京小石川植物園のイチョウで発見され(図1)、ソテツの精子は鹿児島県立植物園にあるソテツで発見されたのです。
図1:東京小石川の植物園にある精子が見つかった銀杏
イチョウの精子は元々、東京帝国大学理科大学に画工(植物専門の絵描き)として雇われていた平瀬作五郎が発見したのです。平瀬は作図法の教科書を書いています(図2)。かなり科学的な「絵」が上手だったのだと思います。
図2:平瀬の書いた作図法の教科書
その平瀬が1896年9月9日、銀杏に精子を発見したのです。
銀杏には雄木(おぎ)と雌木(めぎ)があります。ちなみにギンナンの実が生るのは雌木です。銀杏の雄木から花粉が飛ぶのが4月です。花粉は雌木の種子に到達します。種子内に到達した花粉は5ヵ月をかけて花粉管を伸ばします。その花粉管から精子が放出され、精子は自身で繊毛を動かし、自分で泳いで卵細胞に到達し受精します。この過程を平瀬は目撃したのです。
ソテツにも同様な精子があることを発見したのが、平瀬の上司だった池野成一郎です。池野は当時、東京帝国大学理科大学助教授でした。文末に挙げた参考文献1-6は、その平瀬、池野が発表した論文です。文献3はドイツの「植物学中央雑誌」に掲載されています。文献4は、フランス語で東京帝国大学理学部紀要に掲載されています。
平瀬は「銀杏の精子発見」を最初は日本語で後にはドイツ語とフランス語で論文を書いて発表しているのですね。凄いです。画工として働きながら、どのようにしてフランス語やドイツ語を、それも論文が書けるレベルまで勉強したのでしょうか?我が身を省みると言葉もありません。池野もドイツ語で論文を書いています(文献5)。池野、平瀬はさらに英国のAnnals of Botanyにも論文を書いています(文献6)。当たり前ですが、この論文は英語です。
一体、このコンビは何でこんなに超人的なことができたのでしょうか? 今でも、フランス語、ドイツ語、英語で論文を書くのは簡単ではありません。それぞれ単独でも難しいのに、三ヵ国語で書く…… それを100年以上も前に行っていたのですから凄いですね。論文を書くにあたって、彼らに言語指導をした方(外国人?)がいらっしゃったのでしょうか?
西欧言語で書いた論文(これが大事です。日本語で書かれた論文では世界には伝わりません)を発表したことにより「イチョウとソテツに精子が存在すること」が、世界中に瞬く間に伝わったのです。
平瀬はこの大発見を成した後、東京帝国大学を辞して彦根中学校(現・滋賀県立彦根東高校)に移り研究も止めています(その辺りの経緯は文献8に詳しいです)。研究は止めていますが後に「銀杏の精子発見の業績」に対して学士院恩賜賞を受賞しています。東京帝国大学教授になっていた池野成一郎との共同受賞です。1912年のことです。平瀬は大学には進学していませんでしたし、学位も持っていませんでした。そのため、当初受賞は池野教授一人に予定されていたそうです。しかし池野教授が「平瀬が受賞しないなら、私もいらない」と言ったため、平瀬、池野の同時受賞となっています。良い話ですね。文献6-10には平瀬作五郎の生涯、銀杏の精子発見の世界的意義について書かれた文献や、銀杏精子の動画などを挙げています。是非、ご参照ください。
さて、ここで銀杏とは関係無さそうな女性を紹介します。
この女性はイギリスでは知らぬ人はいないくらいの有名人です。名前をMarie Charlotte Carmichael Stopes(1880-1958)と言います。以下、Marie Stopes(マリー・ストープス)と略します。
マリー・ストープスは、1999年に英国ガーディアン紙が行った読者投票 「The Guardian's Woman of the Millennium:ガーディアン紙が選ぶ1000年を代表する女性」において、第一位になっています。彼女が著した本は、ニュートン、シェイクスピア、ダーウィンが著した本に混じって「世界を変えた12冊の本(参考文献12)」に選ばれています。英国ではよく知られている女性です。
マリー・ストープスがなぜ、今もイギリスだけでは無く、世界中に影響を与えているかを簡単に紹介しましょう。彼女が書いた「世界を変えた書物」の題名を示します。
「Married Love or Love in Marriage」(1918年刊)です。ちょうど、100年前に出版されていますね。日本語に訳するなら「結婚愛または結婚における愛」となるでしょう(この本は参考文献11で、Digital libraryにあり誰でも読めます)。
結婚と結婚における愛の話などありふれていると思われる方もいるでしょう。しかし、この本の内容は単純な「愛」の話ではありません。今でも読めば、「これはちょっと」というような話が載っています。下の図3、4のChart1、Chart2は同書内に載っている図です。
図3:ChartⅠ:Curve showing the Periodicity of Recurrence of natural desire in healthy women. Various causes make slight irregularities in the position, size, and duration of the "wave-crests," but the general rhythmic sequence is apparent.
図4:CHART II :Curve showing the depressing effects on the "wave-crests" of fatigue and overwork. Crest a represented only by a feeble and transient up-welling. Shortly before and during the time of the crest a Alpine air restored the vitality of the subject. The increased vitality is shown by the height and number of the apices of this wave-crest.
この図を見て「あぁ、これは!?」と思いませんか?
そうです。この本は結婚後の性教育の本だったのです。この本は発売後たちまちベストセラーとなります。1924年、日本でも翻訳され、「結婚愛:矢口達:訳」という題で刊行されたのですが、直ちに発禁となってしまいました。後に伏せ字を多用してようやく出版が許可されます。内容は過激ですが、扇情的な記述では無く、科学者として真面目に「性に関する考察」を書いています。それでも結婚後の女性の性生活を扱っているので出版当時はかなり刺激的でした。
このマリー・ストープスですが、日本と少なからぬ関係があります。彼女は前述の平瀬作五郎が銀杏に精子を発見した数年後に化石研究のために来日しています。東京帝国大学に留学したのです。日本から欧米の大学への留学は当時、数多く行われていましたが、その逆は珍しいでしょう。女性の留学も珍しい時代です。英国人女性初の日本への「留学」かもしれません。
私は、化石研究をしていた女性科学者マリー・ストープスが後に世界を驚かすような過激な本を書くに至った遠因は、日本で経験した出来事にあると思っています。それには日本の「銀杏」も関係すると考えています。本邦初の考察?です。次回、その考察を紹介しようと思います。
マリー・ストープスは、東京で細菌学で有名なコッホにも会って会話を交わしています。そのあたりも次回ご紹介しようと思います。
望月吉彦先生
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