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086:世紀の書き写し間違い~「銀杏」の話(1)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2018/05/21

銀杏に青葉が繁る季節になりました。春と秋では随分と葉の様相が違いますね。

写真1:春の銀杏
写真1:春の銀杏
春の銀杏はいかにも太古の植物という感じがします。木や幹全体にびっしりと葉が生い茂っています。

写真2:秋の銀杏
写真2:秋の銀杏

今回と次回で「銀杏」にまつわる話を紹介しようと思います。今回は命名秘話?、次回は「銀杏と家族計画との関係」をお伝えします。銀杏にはさまざまな「物語」が山のようにあり、興味が尽きません。

絶滅したと思われていた銀杏が「長崎」の地に

さて、今回は銀杏にまつわる「世紀の誤記?」についてです。皆さんは「銀杏」という漢字をどのように読むでしょうか?「イチョウ」「ギンナン」が普通の読み方でしょう。「ギンキョウ」とも読めます。しかし、学名は聞いたことも無いような名前です

ヨーロッパでは銀杏の化石は2億年前の地層に見つかります(=2億年前のヨーロッパでは普通に見られた植物であることがわかります)。しかし、700万年前以降の地層には銀杏の化石は見つからなくなっていました。そのため「銀杏は絶滅した」と思われていました。その「絶滅」した銀杏の木を今は世界中で見ることができます。それゆえに銀杏は「植物のシーラカンス」とも呼ばれています。

銀杏が世界中で植栽できるようになったきっかけは長崎の銀杏にあります。1690年、医師でもあり博物学者でもあったドイツ人のエンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer)が長崎オランダ商館の出島付き医師として来日、2年間滞在、滞日中植物についてもさまざまなことを調べています。この時の長崎滞在でヨーロッパでは絶滅したと考えられていた「銀杏」が長崎の地で普通に繁殖しているのに気づきました。

なぜ当時の日本で「銀杏」を普通に見ることができたかについては諸説あります。ここでは立ち入りません。参考文献の「イチョウ 奇跡の2億年史:生き残った最古の樹木の物語」などを参照ください。

ケンペルは帰国してから20年後に「Amoenitates Exoticae」(和名=廻国奇観:かいこくきかん)と題したアジア旅行記を著します。この本の中で、ヨーロッパでは絶滅していると思われた「銀杏」を日本では普通に見ることができることを紹介しました(参考文献1)。絶滅したと思われていた銀杏が化石では無く生き残っていたのですから、この本を読んだヨーロッパ中の植物学者はびっくりしました。長崎から銀杏の種がヨーロッパに持ち込まれ、各地に植えられ、今では欧州中で銀杏を見ることができます。博物学者リンネは、「銀杏」のラテン名(学名)を「Ginkgo biloba」と名付けました(図1 緑下線部を参照ください)。

図1:「銀杏」のラテン名(学名)「Ginkgo biloba」
図1:「銀杏」のラテン名(学名)「Ginkgo biloba」

ケンペルは、日本では銀杏のことを「Ginkgo」と呼ぶと書き残していますので、それから取ったのです。「Ginkgo biloba」を普通に読めば「ギンコービロバ」ですね。ビロバ(biloba)はラテン語で「2つの裂片(れつへん or れっぺん)」という意味で、銀杏の葉の形を表しています。葉に切れ目があり2つに分かれているという意味でしょう(図2)。

図2:銀杏の葉:
図2:銀杏の葉
「切れ目」があります。学名のbiloba(二つの裂片)の由来になっています。

しかし「Ginkgo」はなんだか変です。「ギンコー」に相当する日本語なら、銀行か吟行です。ケンペルが来日していた当時に使われていた各種の辞書によると「銀杏」は、「いちょう」や「ぎんなん」と読まれていたことがわかっています。もしかしたら「銀杏」は「ギンコー」と読まれていたのかもしれません。「ギンコー」と読まれていなかったことを証明するのは難しいですね。無いことの証明は難しいからです。それに挑んだ方がいます。
ケンペルが来日していた時代に出版された辞書を筑波大学生物科学系教授の堀輝三(ほりてるみつ)先生と奥様の堀志保美氏が徹底的に調べたところ、当時日本で広く使われていた絵入り辞書2冊に銀杏が「ギンキョー」とも読まれていることを発見しました(参考文献2-4)。そのうちの一冊は、「訓蒙図彙:きんもうずい」と言う絵入り辞書です。大英博物館にあるケンペルコレクションの中にも見つかりました(図2)。
ケンペルは銀杏の読み方を「訓蒙図彙」から学んだのだろうということが推察されます。でもそれは「ギンキョー」です。「ギンコー」ではないです。これに関しては色々な考察がなされました。「印刷工の単純ミス説」、「ケンペルの出身のドイツ語方言原因説」など諸説ありました。2011年に九州大学名誉教授 Wolfgang Michel氏の「Ginkgoの書き間違い」を指摘した論文が出て、この問題に「けり」が付いたと思われます(参考文献5)。
どうやらケンペルが『書き写し間違い』を犯したのが真相のようです。『世紀の書き写し間違い』と言っても過言では無いです。Michel氏は、大英博物館に残っているケンペル自筆の原稿の「Ginnan」の横に「Ginkgo」と書いてあるのを発見します(図3)。ケンペルは日本語を読めませんので、日本人から銀杏の読み方を聞いて書き残したのです。ケンペルに読みを教えた日本人はこの銀杏という植物は日本では「ぎんなん」とか「ぎんきょう」と呼ばれていると教えたのでしょう。「ぎんなん」は正確に「Ginnan」と書き写しています。しかし、「ぎんきょう」は「Ginkgo」となっています。普通に書き写せば、ケンペルはドイツ人ですのでドイツ語なら「Ginkjo」と記したはずです(注:英語ならGinkyoでしょう)。ケンペルはメモを残す際に「j」と「g」を書き間違えたのだろうと、Michel先生は考察しています。

ここからは私の推測です。実はケンペルは正しく「Ginkjo」と書いたつもりだったのかも知れません。筆記体フォントを使って、「Ginkjo」と「Ginkgo」を比較してみましょう。

ゴシック体筆記体
「Ginkjo」「Ginkjo」
「Ginkgo」「Ginkgo」

筆記体だと「Ginkjo」も「Ginkgo」も似ていますね。g の上に[・]が無いので「j」と「g」は区別できますが、この[・]があったか無かったかで、ギンキョーがギンコーになってしまった可能性もあると思います。
何を言いたいかと言うと、ケンペルは正確に「Ginkjo」と書いたつもりだったのが「j」の上に[・]を書き忘れ、そのために「Ginkgo:Ginkgo」と自分でも誤読して、『Amoenitates Exoticae:和名=廻国奇観』を出版してしまったのかもしれません。
ちなみに、Wolfgang Michel先生のホームページには、

「けんぺるの筆記体」
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/serv/ek/handwriting/index.html

という項目があり、ケンペルが書いた文字の筆記体一覧を見ることができます。この中に、「g」はありますが「i」はありませんでした。あれば比べることができました。

それはともかく、今なら「銀杏」の発音をインターネットで簡単に調べられるかもしれません。あるいは「銀杏」の発音を教えてくれた日本人に手紙やメールで問い合わせれば良いかもしれません。しかし時代が違います。発音の確かめようも無いまま「Ginkgo」として本を出版してしまったのでしょう。
発音は正確に聞いたけれど、書き写す時にうっかりしたために「銀杏」は「Ginkgo」という欧米人にも日本人にも「なじみの無い変な学名」をつけられてしまいました。字を書く時は、できるだけ楷書で正確に書いた方が良いですね。

明治天皇陛下の御製に、

うるはしく
かきもかかずも
文字はただ
よみやすくこそ
あらまほしけれ

という和歌があります。
「文字はただよみやすくこそあらまほしけれ=文字は読みやすいのが良いなあ」
とあります。明治天皇陛下も読みにくい文字の判別に四苦八苦していたのでしょう。
今は電子カルテの時代です。パソコン上のカルテを読むのには苦労しません。しかし、以前は手書きのカルテが普通でした。手書きカルテ時代には、どう見ても読めないカルテ、判じ物のようなカルテ、外国語まがいの文字の羅列のカルテ、略号だらけのカルテが実に多く困ったのを思い出します。そのような「他人には読めない」カルテの判読に苦労する度にこの和歌を思い出していました。

話を戻します。いずれにせよ『書き間違った文字』を元に銀杏の学名が決まってしまいました。「Ginkgo(ギンコー)」を訂正させようとする活動もなされていますが、なかなか難しいでしょう。

図3:「訓蒙図彙」に載っている銀杏の説明図
図3:「訓蒙図彙」に載っている銀杏の説明図
銀杏の横に「ぎんきゃう」と書かれているのが解かります。
旧仮名遣いの「ぎんきゃう」ですから、現代仮名遣いなら「ぎんきょう」でしょう。ややこしいですね。

図4:ケンペルの草稿原稿
図4:ケンペルの草稿原稿
「Ginnann」の上に、「Ginkgo」? と書いてあります。これが間違いの元ですね。

銀杏については、明治時代に入って、日本人の「画工」平瀬作五郎が銀杏の生殖に「精子」が関わっていることを発見しました。世界的な大発見です。そのことがきっかけとなり英国から27歳の女性植物学者が来日します。それが、「家族計画」とか「性生活の研究」につながるという話は次回に。

【参考文献】

  • 世界を旅した博物学者 ケンペル」(長崎大学附属図書館のサイト)
  • Hori, S and Hori, T.(1997)A cultural history of Ginkgo biloba in Japan and the generic name Ginkgo. In: Hori, T. et al.(eds)Ginkgo Biloba-A Global Treasure. From Biology to Medicine. Springer-Verlag Tokyo, pp. 385-411
  • 「日本の巨木イチョウ―写真と資料が語る 23世紀へのメッセージ」内田老鶴圃 堀輝三(著)
  • 「写真と資料が語る総覧・日本の巨樹イチョウ―幹周7m以上22m台までの全巨樹」内田老鶴圃 堀輝三、堀志保美(著)
    3.4.を読むと、堀輝三先生は2002年に筑波大学を退官後、日本中の銀杏の巨木を求めて旅をして、その記録を残されているのですね。残念なことに堀輝三先生は2006年に逝去されています。
  • 九州大学名誉教授 Wolfgang Michel氏の「Ginkgo」の書き間違いに関する考察論文
    ENGELBERT KAEMPFER FORUM: GINKGO
  • 銀杏に関するありとあらゆる情報を集めたサイトがあります。その名も「THE GINKGO PAGES」です。必見の価値があります。日々更新されています。
    THE GINKGO PAGES
  • イチョウの精子と植物の生殖進化の映像です。
    http://www.kagakueizo.org/movie/education/128/
  • 「イチョウ 奇跡の2億年史: 生き残った最古の樹木の物語」河出書房新社 ピーター クレイン(著)、矢野 真千子(翻訳)

号外です。
私の恩師で東京慈恵会医科大学心臓外科の初代主任教授、新井達太先生が本を出版されました。心臓外科黎明期の話、手術にまつわる興味深い話などが数多く載っています。是非、ご一読下さい。

新井達太著:「この道を喜び歩む 」幻冬舎 刊行

新井達太著:「この道を喜び歩む 」幻冬舎 刊行

表紙にフランス語が書かれています。その内容については本書をお読み下さい。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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