望月吉彦先生
更新日:2026/03/02
血圧には、収縮期血圧と拡張期血圧があります。血圧を測ると、
120/80
というような数字で血圧が示されます。120が収縮期血圧、80が拡張期血圧です。収縮期血圧は心臓が収縮しているときの血圧、拡張期血圧は心臓が拡張(大動脈弁は閉鎖しています)している時の血圧です。
1896-1897年頃、イタリアのリバロッチは脈を触診しながら血圧が測れることを示しています(前々回)。しかし、この方法では収縮期血圧しか測れません。

図1:リバロッチ法による血圧測定
話を始めます。前回の続きです。
血圧の測定法を確立したコロトコフ(Николай Сергеевич Коротков:1874-1920.英語表記はNikolai Sergeyevich Korotkov, Korotkoff,Korotkov NSなど)の紹介を続けます。
1904年2月8日、日露戦争が始まり、コロトコフは赤十字の従軍医師に志願。戦場で働きます。働いた場所はハルビン。中国領です。
日露戦争になんで血圧が関係するのか?と思われる方も多いでしょう。日露戦争当時、銃弾による血管損傷に対する治療は困難を極めていました。今でも血管損傷の治療は大変です。当時も今も胸部大動脈、腹部大動脈などが銃弾で損傷を受ければ「即死」でしょう。
死なない程度の血管損傷、つまり銃弾が血管をかすめる程度の血管損傷があった場合、動脈壁が損傷し(ただし軽微な損傷)、動脈から血液が漏れ、漏れた部分が運良く血管外膜で覆われると仮性動脈瘤(かせいどうみゃくりゅう)という状態になります。動脈と静脈が同時に損傷を受けて仮性動脈瘤+動静脈瘻(どうじょうみゃくろう)(動脈と静脈の間に小さな穴があいた状態)になったりします。
日露当時、その治療は困難でした。放置すれば、仮性動脈瘤や動静脈瘻になっている血管は破裂します。それは死を意味していました(注:現在、そういう疾患(仮性動脈瘤、動静脈瘻)の治療はかなり安全にできますが、それでも簡単ではないです)。
日露戦争当時、動脈瘤や動静脈瘻をきちんと診断することは困難でした。今から100年以上前です。レントゲンの発見は1895年です。日露戦争は1904年です。世界中で簡単にレントゲンが撮影できた時代ではありません。戦地でのレントゲン撮影など考えられない時代です。たとえ、レントゲン撮影ができても普通のレントゲンでは動脈瘤、動静脈瘻の診断はできません。CT、MRI、エコー、血管造影などがある現代、その診断は容易になりました。治療に使う人工血管、また血管吻合技術などは夢のような時代です(注:血管吻合手術法を確立し、ノーベル医科生理学賞を受賞したフランス人医師カレルが血管吻合の論文を書いたのは1902年です。普及したのはそれから数十年が経ってからです)。
そういう医療事情の下、日露戦争に従軍していたコロトコフは当時、30歳で日本軍兵士が撃った銃弾が作ったロシア兵の動脈瘤、動静脈瘻の治療に当たっていました。
当時、動脈瘤の手術を行い良好な成績を残していたのはイギリス人外科医、ジョンハンターくらいしかいませんでした。ジョンハンターの動脈瘤に関する手術については以前、「血管疾患(6)ジョン・ハンター無くして近代外科は語れない(2)」で紹介しました。
1785年12月12日、ジョンハンターは動脈瘤の中枢側を糸で結紮(けっさつ:しばること)するという手術をおこないました。この手術は「Hunterian ligation」「Hunterian operation」と呼ばれています。動脈瘤はこの手術で小さくなり、破裂の危険は減ります。ジョンハンターの患者さんは、慢性の外傷による(御者の)膝窩動脈瘤(しっかどうみゃくりゅう:膝裏の動脈瘤)です。銃弾外傷だと、創部の汚染により感染し易いでしょう。血管周囲の損傷もあります。一方、良いこともあります。日露戦争に従軍するような兵士は若いので、元々の血管は動脈硬化も少ないから、血管の性状は良かったと思います。
さて、どんな手術をすれば良いのか? 当時の外科医は苦悩しています。ジョンハンターの患者さんのような慢性の動脈瘤だと動脈瘤の中枢側を結紮しても、回りに側副血行路がある程度できているので、結紮した末梢側が壊死することは少なかったと思います。しかし、急性の動脈瘤では側副血行路ができているかどうか?不明です。現代の医学なら、そんな側副血行路はあまり問題になりません。動脈瘤ができている血管を人工血管を使って置換すれば良いからです。
以下のリンク先に医学的な写真があります。苦手な方はお気をつけください。
図2:胸部大動脈瘤→人工血管置換術
繰り返しになりますが、日露戦争当時、いかなる動脈瘤の診断も困難でした。コロトコフはモスクワ大学外科学のピゴロフ教授が書いた教科書に「腫瘤を見たら、動脈瘤かどうかを鑑別するために、腫瘤に聴診器を当てみよ」という記述を読んでいました。これが、血圧法の発見(拡張期血圧の測定法の発見)につながったのです。

図3:左浅大腿動脈にできた仮性動脈瘤
さて、動脈瘤の診断は聴診器でできたのでしょうか? 答は「否」です。聴診器で動脈瘤の診断はできません。コロトコフが行っていた四肢の銃弾による動脈瘤から発する音は聞こえたとは思います。瘤はこぶ状ですから、血流が渦をまくので、いわゆる血管から発する音(血管雑音)を聴取できたかも知れませんが、どの程度そういう音が聞こえたのかわかりません。一方、銃弾により動静脈瘻ができた場合は違います。この場合は、その部位に聴診器を当てれば「連続性雑音」と称されるからの血管の「音」を聴くことができます。動脈と静脈には血圧の差が100くらいあります。収縮期にも拡張期にも動脈から静脈に血流が流れるため、連続的(心臓の収縮期にも拡張期にも)に雑音が聞かれます。
話は逸れます。当院、開院以来、こういう連続性雑音を聴取した患者さんがお二人いらっしゃいます。
1人は 血尿を指摘されて来院した患者さん。腎機能は正常でした。なんとなくおかしいと思い、背中側から腎臓の辺りに聴診器を当ててみたら、連続性雑音が聞こえます。精査したら「腎動静脈瘻(じんどうじょうみゃくろう)」という珍しい病気で、カテーテルにより治療をしていただきました。
もう一人は健診に来られた方です。心電図で、かなりの左室肥大を認めました。高血圧はありません。弁膜症でもあるのかなと思って胸に聴診器を当てたら、背中側で大きな連続性雑音が聞こえます。伺ったら小児期と高校生の時、健診で心雑音を指摘され大病院で検査を受け「異常なし」と判定されていたそうです。しかし、この雑音は異常です。大動脈と肺動脈に間に「異常血管」があると予想。某大学病院で診断、治療をして頂きました。とっても珍しい病気でした。聴診は大切です。
閑話休題。
さて、コロトコフは銃弾による動脈瘤、動静脈瘻に聴診器を当てて何をしていたのでしょう。文献3-6の記述からコロトコフが行っていたことをまとめてみます。
1. 聴診器で動脈瘤、動静脈瘻の「診断」を試みていた。
2. 動脈瘤、動静脈瘻は手術で中枢側の動脈を結紮すれば破裂の危険は無くなります。しかし、ここが問題なのですが、動脈を結紮すればその先の血管には血流が流れなくなり、その結果、結紮部末梢の四肢の血流は低下します。四肢は壊死に陥り切断せざるを得ないこともありました。コロトコフは同じような手術(つまり動脈瘤中枢の結紮)をしても壊死になる例と壊死にならない例があることに気づきます(素晴らしい着眼点です)。
3. 壊死になるか、ならないか、壊死にならないようにするにはどうしたらよいか?コロトコフは考えます。壊死になるかならないかは、血圧が関与しているのではないか?それなら全ての動脈瘤、動静脈瘻症例の患部の中枢側、末梢側の血圧を測ってみよう。この辺りは誰でも思いつくかもしれません。しかし、コロトコフは違います。聴診器をあてながら動脈瘤、動静脈瘤の中枢、末梢の血圧を測ったのです。もちろん、今の血圧測定方法ではありません。前々回で紹介した「リバロッチ法」(脈を触診して血圧を測定する方法、現在も用いられています)を用いて血圧(収縮期血圧だけです)を測定していました。
コロトコフが偉かったのは、リバロッチ法で血圧を測定しつつ、聴診器を動脈瘤、動静脈瘻に当てていたことです。聴診器を動脈瘤、動静脈瘻部に当てて、その中枢側に血圧計を巻いて触診で脈が触れなくなるまでマンシェットに圧をかけて行きます。脈が触れなくなったら、マンシェットの圧をゆっくり下げていきます。そうしたら血管から変な音(後にコロトコフ音と命名されます)が聞こえたのです。そしてマンシェットの圧がある程度下がるとこの音が消失したのです。ある程度下がった時の血圧が拡張期血圧でした。
コロトコフの目的は、血圧測定方法の発見ではありません。彼の目的は「いかにして動脈瘤、動静脈瘻を結紮した後の結紮部末梢の血流低下による四肢壊死、四肢切断を予防すること」でした。そのため、来る日も来る日も上記のような「リバロッチ法による血圧測定+聴診器を使用した血圧測定」を行っています。 彼の結論はこうです。
「動脈瘤、動静脈瘻の中枢側の動脈を動脈瘤部分の脈動が無くなるまで圧迫してもその末梢側の血圧が測れる症例は、術後に四肢切断にならない。それは動脈瘤、動静脈瘻を迂回する側副血行路が作られていることを意味するからである」
「ハンターの方法のように動脈瘤、動静脈瘻の中枢側だけ、結紮(けっさつ=しばる)のは良くない」
というものでした。
1905年5月10日、コロトコフはロシア外科学会で自身の戦争体験を発表しました。
報告書「外傷性動脈瘤(銃創46例の観察)」です。
コロトコフは銃弾によってできた動脈瘤の中枢側結紮術、いわゆるハンターの手術は四肢切断になることが多く、手術をするなら、アンティルス手術(動脈瘤の中枢、末梢の両側を結紮)を行うべきだと述べています。

ハンターの手術(hunterian operation、hunterian ligation)瘤の中枢側のみ結紮

アンティルス(Antyllus)の手術(紀元2世紀):動脈瘤の中枢側、末梢側を結紮
(注:アンティルスは紀元2世紀ごろのギリシャの外科医)
座長をしていたフェドロフ教授はこの議論を総括しています。
「あらゆる治療法の中で、私は動脈と静脈を切開する方法が最良だと考えている、動脈と静脈を結紮し、両者間の連絡を切除する方法である。それはアンティルスの方法である。 この報告で提案されているように、動脈圧を測定することで四肢の温存を確実にし、正しい手術計画を選択することができる。」
コロトコフはこの発表の際に「拡張期血圧」という言葉を使ったらしいのですが、この発表がロシア語であること、100年以上前の発表であることなどから、ロシア語原典を入手できませんでしたので、この発表時にコロトコフが「拡張期血圧」という言葉を使ったかどうか不明です。
しかし、コロトコフがこのような「銃弾による動脈瘤、動静脈瘻」に対する治療を開発する過程で拡張期血圧を発見していたことは確かです。この辺りは次回で追求します。
なお、現代の視点で見ると「ハンターの手術が駄目でアンティルスの手術が良かった」理由がわかります。ハンターの手術では末梢側の血管から血流が瘤内に入ります。それでは側副血行路が発達しないのです。アンティルスの手術では中枢、末梢、両側とも結紮するので中枢側で逃げ場がなくなった血流が側副血行路形成に役立ったと思います。
それにしても、コロトコフの観察眼は鋭いです。ベッドサイドでの真摯な観察が大発見につながったのです。
注:こういう動脈瘤の治療は今でも大変です。ロシア側ではコロトコフが奮戦していました。日本側ではどうだったのでしょうか?明治時代に日本で動脈瘤の手術は行われた記録は見つけられませんでした。つまり日本軍の兵士は、日露戦争時銃弾による動脈瘤ができたら、四肢を切断していたか、出血するまで放置(つまり死亡する)か、つまり真っ当な治療が行われていたとは思えません。
しかし、日露戦争後8年が経った1913年(大正2年)、世界初の頚動脈瘤手術は日本で行われました。
「Ein durch Exstirpation geheilter Fall von Aneurysma der arteria anonyma. Dtsch Med Wochenschr39: 1147–1148 37.1913」
頚動脈瘤の中枢、末梢を結紮して動脈瘤を摘出。動脈瘤の治療に成功しています。欧米の教科書にも載っている大業績です。
注:ベッドサイドで患者さんを診ていると、思わぬことを発見することがあります。
[Iodine-impregnated drapes enable recording of precordial electrocardiogram]
Mochizuki Y, Okamura Y, Iida H, Mori H, Shimada K.
Ann Thorac Surg. 1999 Apr;67(4):1184-5.
↓全文を読むことができます。
https://www.annalsthoracicsurgery.org/article/S0003-4975(99)00056-9/fulltext
https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_column201121
望月吉彦先生

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