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200:インフルエンザの病原体を世界で初めて発見したのは日本人研究者(4)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2025/11/04

副題:「さかかみか? さかがみか?」それが問題だ

注:本稿では「ウイルス」を「ビールス」と表記しています。理由はこちら。ただし、固有名詞(書名、施設名など)の表記は別です。
https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_column250741&doorSlug=dr

1919年(大正8年)、世界に先駆けてインフルエンザの病原体を発見した日本人研究者のことを紹介してきました。
以下は「インフルエンザの病原体を発見」したことを証明する論文です。
「THE INFECTING AGENT IN INFLUENZA: AN EXPERIMENTAL RESEARCH」 1.
Lancet: Volume 193, Issue 4997p971June 07, 1919
著者は
1.Prof. T. Yamanouchi(山内保:やまのうちたもつ)
2.Dr. K. Sakakami(坂上弘蔵:さかかみこうぞう)
3.Dr. S. Iwashima(岩島寸三:いわしますんぞう)
の3人です。

山内保のことを前回で紹介しました。今回は坂上弘蔵の紹介です。本論は本稿の半ば以降です。

2. 坂上弘蔵(さかかみ こうぞう)

山内一也(やまのうち かずや)著「インフルエンザウイルスを発見した日本人」の6頁には、
「当時細菌濾過器など細菌学実験のための最新設備を備えていたのは伝研、北研、星製薬細菌部であり、(中略)LANCET論文の第2著者になっている坂上はこのワクチン部門の主任ドクトルだった。従って実験場所は星製薬細菌部という結論に達した」
(筆者注:伝研とは伝染病研究所の略で現在は東京大学医科学研究所、北研とは北里研究所の略)
15頁には、
「坂上の経歴は英国の有名な細菌学者アルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)の下に留学したことしかわかっていない」
とあります。
少し調べると星薬科大学報74号に以下のような記事があることがわかりました。一部抜粋して紹介します。

「星薬科大学は本年創立100周年を迎えましたが、創立者星一が設立した星製薬株式会社の社内に設けられた教育部が本学の前身です」
「当時の日本ではインフルエンザの原因は細菌であるとする説が主流でしたが、山内博士は星製薬の主任ドクトルであった坂上弘蔵とともに、星製薬の「細菌部」で研究を行い、病原体が細菌ではなくウイルスであることを世界で最初に発見したとされています」(筆者注:Yamanouchi が書いたLANCETの論文のことです。)
「この成果は星製薬の設立からわずか8年後のことであり、星一が感染症の研究にもただならぬ熱意を持っていたことを物語っています」

坂上弘蔵は星製薬で主任ドクターとして細菌研究に従事していたのでしょう。しかし、山内一也先生曰く、「アルムロス・ライト卿の下に留学したことしかわかっていない」とあります。

「わかっていない」ことを調べてみようと思いました(笑)。山内一也先生が調べていたのは、どうやら、新聞記事がメインのようです。それ以外の医学記事、学術記事、学位記、論文etc.を調べてみました。その結果、実に、たくさんのことがわかりました。
まずは坂上弘蔵の学位記を調べてみました。なんと学位記が見つかりました。

1923年(大正12年)5月25日付け官報に載っていました。それによると、
「京都帝国大学にて、本月17日付けを以て東京府坂上弘藏に就いても医学博士の学位を授与せり」とあります。坂上弘藏とありますが、藏は蔵の旧字体ですので、坂上弘藏=坂上弘蔵で間違いないと思います。
坂上弘蔵は京都帝国大学出身だったのでしょうか? なお、山内保は1913年(大正2年)に学位を授与されているので、山内保の方が10歳くらい年上だったのかもしれません(学位授与年だから、この予想はあてにならないかもしれませんが)。

さて、坂上弘蔵名の論文を調べみました。年代別に紹介します。
1905年(明治38年)に坂上が書いた論文です。デング熱に関する論文です。細菌学雑誌118号です。著者名の前に「臺灣打狗公醫」とあります。

「臺灣打狗公醫」について、どういう肩書きか調べてみました。
日清戦争後の1895年(明治28年)、台湾は日本領となっています。そのことを念頭に置いてください。
臺灣=台湾です。
打狗=高雄(台湾の地名):1920年(大正9年)、打狗から高雄に地名が変更されています。打狗(=犬を叩く)では問題があったのかもしれないですね。
さて問題は「公醫」です。なじみがない言葉です。探してみました。
「官報」第3909号、1896(明治29)年7月10日、104-105ページに臺灣公醫(注:今風に記すと台湾公医でしょう)に関する記述を見つけました。台湾が日本領となった翌年にこういう規定を定めていたのですね。

臺灣公醫規則を左のごとく定めるとあります。

第一条:台湾に公醫を置く。
第二条、第三条:公醫の任命、公醫の任地は台湾民政局長が決める。

臺灣公醫規則を読むと、公醫の任務は上下水道の整備、種痘接種、貧民救済、死体検案、衛生及び医事に関する統計管理、阿片に関すること、精神病の鑑定、などなど、その任務は広範囲でした。
つまり、坂上弘蔵は台湾の高雄で公衆衛生業務を主とした「公醫」として働いていたのでしょう。

デング熱論文が書かれた1905年(明治38年)に坂上弘蔵は31歳女性のヒステリーを治療したという症例報告も書いています。ヒステリーは散策、海水浴、滋養療法で全治したとあります。公医の任務の一つに「精神病の鑑定」もあるので、こういう治療もしていたのでしょう。

1908年(明治41年)には「アドレナリンで脚気心を治療した」という症例報告を書いています。1901年に高峰譲吉がアドレナリンを発売開始してから7年が経っていました。アドレナリンについては下記ご参照ください。

今から思えば、アドレナリンで脚気心は治りません。脚気はビタミンB1を投与しないと治らないのですが、アドレナリン投与で一時的に脚気心が改善したように見えたのでしょう。脚気の原因がビタミンB1不足であるのがわかったのは1910年、鈴木梅太郎によりオリザニン(=ビタミンB1)発見後です。

冒頭に戻ります。山内一也先生の「インフルエンザウイルスを発見した日本人」には、「坂上の経歴は英国の有名な細菌学者アルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)の下に留学したことしかわかっていない」とあります。しかし、本稿を通じて、坂上弘蔵のことがかなり明らかになったと思いますがどうでしょうか?

以下が本稿の本論です。

「留学しただけで論文は書かなかったのか」諦めようと思ったら

英国の有名な細菌学者アルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)の下に坂上弘蔵は留学したとあります(ただし、いつ頃留学していたのかは記載がありませんでした)。留学したのだから留学中に英文論文を書いていないか、探しました。論文があれば、どんな研究をイギリスでしていたのか、何年頃に留学していたのかも判明します。そういう訳で、「Sakakami k」 +「Sir Almroth Wright」で文献を散々探しましたが、ありません。留学しただけで論文は書かなかったのかと探索を諦めようと思いましたが、 坂上弘蔵という名前を眺めていたら、坂上とはもしかしたら「SAKAGAMI さかがみ」と読むのではないかと思い至りました。コメディアンの「坂上二郎:さかがみじろう」を思い出したからです。
物は試しと「Sakagami k」+「Sir Almroth Wright」で論文を探してみました。それが当たりでした。
坂上弘蔵(さかみこうぞう)が書いた英語論文が見つかったのです。こういう発見はうれしいです。思わずPCの画面に向かって親指を立ててしまいました(笑)。

アルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)との共著論文が一つ、1916年のLANCETです。他にもLANCETに2編の論文が載っています。この2編には著者の所在地が「Tokyo Japan」とあるので、帰国後に論文を投稿していたのでしょう。帰国後も患者さんの鼻腔培養をして英文論文を書き、ワクチンを作って臨床実験をして論文を書いていたのです。

しかしながら、インフルエンザ発見論文の著者名は「Dr. K. Sakakami」です。なぜ、山内保は坂上弘蔵の名前を間違えてしまったのでしょうか? 論文の著者の一人岩島寸三は、前々回でも紹介したように長らく日本語の記事で「岩島十三」と誤記され、埋もれていました。岩島十三は新聞記者の誤記からですが、坂上弘蔵の「sakakami」への誤記はなぜ、生じたのか「謎」です。

坂上弘蔵(Kozo Sakagami)が書いた英文論文を挙げます。

  • Sakagami, K., & Wright, A. THE BACTERICIDAL ACTION OF NORMAL AND INFECTED SERA UPON DIFFERENT MICROBES. The Lancet, 187(4820), 127–132, 1916年
    注:アルムロス・ライト卿(Sir Almroth Wright)との共著論文です。
  • Dr. Kozo Sakagami. THE BACTERIOLOGY OF OZÆNA. The Lancet, Volume 201, Issue 5184p19-21January 06, 1923年
    所属が書いてありません。BY DR. KOZO SAKAGAMI, TOKYO, JAPAN.と書かれているだけです。
  • Kozo Sakagami. THE VACCINE TREATMENT OF OZÆNA. The Lancet:Volume 203, Issue 5258 p1155-1156June 07, 1924年 Kozo Sakagami, M.D. TOKYO, JAPAN
    筆者注:この論文にも所属が書いてありませんが、謝辞に「Dr. Minokichi Kurosu、Dr. Kazuyoshi Asaba and Dr. Sadayemon Sasaki」の名前があります。
    Dr. Minokichi Kurosuh が黒須巳之吉医師(1885-1972、東京帝国大学医科大学出身の耳鼻科医)でしょう。
    Dr. Kazuyoshi Asaba は調べましたが不明です。
    Dr. Sadayemon Sasaki も不明です。
  • 1916年LANCET Feb 26 476頁に、坂上弘蔵が書いた論文ではありませんが、坂上の仕事が紹介されています。つまり、坂上弘蔵の仕事はLANCETで紹介されるくらい有名だったのでしょう。

英国留学時にも論文を書き、帰国後もLANCETに論文を投稿しています。素晴らしいことです。論文の発表年から察するに、1916年にはイギリスにいたと思います。1917年には帰国したのでしょう。いつからいつまで星製薬株式会社で働いていたのでしょう。

「インフルエンザウイルスを発見した日本人」によると、坂上弘蔵は1923年(大正12年)の関東大震災時には東京の京橋区槇町(現:東京都中央区八重洲辺り)で内科を開業していて、震災で怪我をした方の救助に当たっていたとあります。

関東大震災のあった1923年(大正12年)にも日本語で論文を発表しています。

タイトルは「オツェナノ細菌学的研究並びにそのワクシン療法ニ就テ」です。LANCET論文のタイトルが「THE BACTERIOLOGY OF OZÆNA.」「THE VACCINE TREATMENT OF OZÆNA.」ですから、LANCETに投稿した論文の日本語版ですね(筆者注:オツエナというのはクレブシエラ菌の亜種、肺炎などの起炎菌。当時、かなりの話題だったのでしょう)。

なお前述の如く、1923年(大正12年)5月25日には京都帝国大学より医学博士号を授与されています。

1939年(昭和14年)には「肺尖と肺疾」という教科書で主に肺結核について記述しています。

これが、医学的著作の最後かもしれません。

しかし、結局、坂上弘蔵の出生地、生年、没年、細かい経歴はわかりませんでした。しかし、坂上弘蔵の英文論文を掘り起こすことができたので、本稿をきっかけに何かわかるかもしれません。
それにしても、山内保先生、共著者の名前を間違えるとは…… 次回に続きます。

余計な?注: 坪内逍遥から坂上弘蔵に宛てた書簡がある事が判明しました。お示し、しましょう。坪内逍遥書簡集からの引用です。



坪内逍遥は奥様と共に坂上弘蔵に受診していたことがわかります。そのお礼?に坪内は坂上に「洗心養神」という書を送っていたことがわかります。

【参考文献】

  • Prof. T. Yamanouchi, Dr. K. Sakakami, Dr. S. Iwashima:「THE INFECTING AGENT IN INFLUENZA: AN EXPERIMENTAL RESEARCH」 Lancet: Volume 193, Issue 4997p971June 07, 1919」
  • 「インフルエンザウイルスを最初に発見した日本人科学者」予防衛生協会のサイトより引用
    https://primate.or.jp/serialization/34.インフルエンザウイルスを最初に発見した日本/
  • 山内一也「インフルエンザウイルスを発見した日本人」(岩波科学ライブラリー)
  • Frederick Murphy「Historical Perspective: What Constitutes Discovery (of a New Virus)?」Advances in Virus Research, Vol. 95, pp. 197-220, 2016.
  • 松沢呉一「インフルエンザウイルスを発見した日本人たち—スペイン風邪流行時に存在していたインフルエンザワクチン」
    https://www7.targma.jp/vivanonlife/2020/05/post78660/
    https://www7.targma.jp/vivanonlife/2020/06/post78700/
  • マルティヌス・ウィレム・ベイエリンク(Martinus Willem Beijerinck:1851-1931)は、オランダの微生物学者・植物学者
    https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=マルティヌス・ベイエリンク
  • M.W. Beijerinck「Ueber ein Contagium vivum fluidum als Ursache der Fleckenkrankheit der Tabaksblätter」1898年
    https://dwc.knaw.nl/DL/publications/PU00011860.pdf
    (VIRUSという言葉が初めて使われた論文。ウイルス学の嚆矢となる論文です)
  • Wilson Smith, M.D. MANCH. ∙ C.H. Andrewes, M.D. LOND. ∙ P.P. Laidlaw, B.CHIR. CAMB., F.R.S.「A VIRUS OBTAINED FROM INFLUENZA PATIENTS」Volume 222, p66-68July 08, 1933 lancet
  • Sakagami, K., & Wright, A. THE BACTERICIDAL ACTION OF NORMAL AND INFECTED SERA UPON DIFFERENT MICROBES. The Lancet, 187(4820), 127–132,1916
  • Dr. Kozo Sakagami. THE BACTERIOLOGY OF OZÆNA. The Lancet, Volume 201, Issue 5184p19-21January 06, 1923
  • Kozo Sakagami 「THE VACCINE TREATMENT OF OZÆNA.」 The Lancet:Volume 203, Issue 5258 p1155-1156June 07, 1924 Kozo Sakagami, M.D. TOKYO, JAPAN

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
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