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198:インフルエンザの病原体を世界で初めて発見したのは日本人研究者(2)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2025/10/06

注:本稿では「ウイルス」を「ビールス」と表記しています。理由はこちら。ただし、固有名詞(書名、施設名など)の表記は別です。
https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_column250741&doorSlug=dr

インフルエンザの病原体を世界で初めて発見した日本人研究者

前回、インフルエンザの病原体を世界で初めて発見したのは日本人研究者であること、研究者の名前は「山内保、坂上弘蔵、岩島十三」の3名であることを紹介しました。
正確を期すためにインフルエンザの病原体発見したことをLANCET誌に投稿した論文の3名の日本人研究者の著者名を再掲します。

Prof. T. Yamanouchi ヤマノウチ教授
Dr. K. Sakakami   サカカミ医師
Dr. S. Iwashima   イワシマ医師

の3名です。この研究がどこで行われたのか不明であることなどもお伝えしました。
アメリカ人ビールス学研究者のFrederick Murphy先生は、Prof. T. Yamanouchiの所属を東京帝国大学感染症研究所(筆者注:現東京大学医科学研究所)と記しています。どうやってMurphy先生は彼らの所属を確かめたのでしょうか?
その山内保はどういう経歴で、なぜインフルエンザの病原体(つまりインフルエンザビールス)を発見するような大業績を挙げることができたのでしょうか? 忘れ去られていた山内保は明治時代にフランスのパスツール研究所に留学、様々な研究をして多くの医学論文を書いていました。この辺りのことを今回は紹介します。

と大上段に振りかぶったのですが、山内一也先生の「インフルエンザウイルスを発見した日本人」(岩波科学ライブラリー321)を読めばそれでお終いです(文献9)。
良い本です。本を読む楽しみを味わえます。上質のミステリー小説の謎解きを読むがごとくです。本書を読むと「インフルエンザの病原体を世界で初めて発見したのは日本人研究者」については元より、ワクチン創生期のこと、ビールスが見つかるようになった経緯まで知ることができます。一粒で多くの楽しみを得ることができます。
なお、山内一也先生は日本を代表するビールス学者で、現在93歳。本書を書いた頃は91-92歳です。頭が下がります。

さて、「インフルエンザウイルスを発見した日本人」を元に紹介します。なお、山内一也先生にも調べえなかったことも幾つか発見したので、おいおい紹介します。一つは重大事です(笑)。この重大事?を発見したとき、思わず、声が出てしまいました。
山内一也先生、これはこうだから先生にも見つけられなかったのですよ!とお教えしたいようなことです。ちょっとした?ミスが後々、延々と間違って伝わるという例です。この件は次回で紹介します。

山内は「やまうち」「やまのうち」?

山内一也先生は「やまのうち かずや」と読みます。ここが出発点です。山内姓は「やまうち」「やまのうち」「さんない」「やまない」「やまち」と様々な読み方がありますが、山内一也先生は「やまのうち」でした。ここに妙味があります。
山内一也先生は「Yamanouchi Kazuya」ヤマノウチ カズヤ
山内保のLANCET論文表記は「T. Yamanouchi」T.ヤマノウチ
です。これが「味噌」です。山内一也先生の名前が「やまうち Yamauchi」だったら、以下の展開はなかったかもしれません。

アメリカ人ビールス学研究者のFrederick Murphy先生が、山内保の論文を読んだ時「Yamanouchi」という名前が旧知の日本人研究者である「Yamanouchi Kazuya」先生と一緒であることに気付き、Frederick Murph先生は山内一也先生に、
「おなじ“Yamanouchi”だから親戚だろう。東京帝国大学伝染病研究所の所属だったと思われるT. Yamanouchiの写真を送ってくれ。これまでインフルエンザビールスの発見者はアンドリュース(筆者注:イギリス人研究者)だと思って、教科書にもそのように書いていたが間違いだ。他の教科書も間違っている。インフルエンザビールスの発見者は日本人のT. Yamanouchiだ」
というメールを送ったのだそうです。

話はかなり逸れます。
ピアニスト山下洋輔の名著「ドバラダ門」の中に建築家 藤森照信の資料収集の逸話が出てきます。藤森照信は建築史家でもあり様々な歴史建築の資料を集めています。藤森は、「NHKのテレビを見ていたら、番組のエンディングに出てきたスタッフの苗字が、有名建築家だが資料が散逸して無くなっていた方と同じだったので、藤森は、もしや、と思ってNHKに電話。やはりそのスタッフは有名建築家の子孫だった」
そして早速、その方に連絡をとり、資料を収集した話が紹介されています。
藤森は同様な情熱を持って、山下洋輔家に赴き、山下の祖父である監獄建築家「山下啓次郎」の資料を持っていったと書かれています。「山下啓次郎」に関する資料は無くなっていたと思われていたのですが、山下家には残っていたのですね。藤森の探究心はMurphy先生の「Yamanouchi」に関する関心の持ち方に通じます。調べようと思うと少しの手がかりでも調べるのが一流だと思います。

話を戻します。
山内一也先生は、T. Yamanouchiのことも、T. Yamanouchiがインフルエンザビールスの発見者であることも知らなかったそうです。残念なことに、T. Yamanouchiは山内一也先生の親戚ではありませんでした。東京帝国大学伝染病研究所は今の東京大学医科学研究所です。山内一也先生はそこで研究していたのです。そして、この件に興味を抱き、様々調べます。凄いですね。

山内先生は(以下、この表記は山内一也先生のこと)、東京帝国大学伝染病研究所を調べますが、そこに山内保の名前はありませんでした。どうやら、東京帝国大学伝染病研究所の所属ではなさそうです(Frederick Murphy先生の予想は外れました)。
しかし、山内先生は探索を進め、大正7年(1918年)の読売新聞の記事に山内保の名前を見つけます。それによると山内保は、

“明治39年(1906年)、東京医科大学(現東京大学医学部)を卒業。”
“卒業後、イギリスやドイツの大学で研鑽を積み”
“その後、フランスのパスツール研究所でメチニコフの高弟として名を成し”
“大正6年(1917年)に 父君危篤の報に接して帰国”

と、あったのです(一部改変)。
つまり、大学を卒業後直ちに欧州に留学、パスツール研究所という世界的にも有名な研究所で研究に勤しんでいたのですね。凄いことです。どうやって言語の壁を破ったのか、想像もつかないです。

さらに、読売新聞の大正8年(1919)4月1日の記事に、

「山内博士の新発見、仏国学士院に報告す」

流行性感冒(筆者注:インフルエンザのことです。流感と略されることもあります)については、北研(注:北里研究所)のプァイフェル氏菌説、帝大(注:現東京大学)及び伝研(注:東京大学医科学研究所)のその打破説を始め各方面に屢々研究論議されたが、この件に関し昨秋仏国より帰朝した山内保博士は、旧臘より去る三月末の間医学博士・岩島十三、ドクトル坂上弘蔵氏と協力してその研究に没頭し、最近その研究を完成し直ちに仏国アカデミーに報告した。そして元来なれば我が国に於て発表さるべきであるが、其の研究の方法は学術上の自由さへ許されぬ国状にあっては、ある一点から非常なる非難を受くべきことを慮んばかって(注:この件、文末に説明します)、右の方法に依ったといふが、-中略- その結論は大体左の通りで、特にプァイフェル氏菌や連鎖菌等は混合感染で感冒の病原体ではないとのことである。

(一)流行性感冒の原因は濾過性細菌なること
(二)同原因菌は患者の喀痰内に存在すること
(三)同原因菌は患者の血液中にも存在すること
(四)同病潜伏期は二三日なること
(五)同原因菌は気道粘膜を通過感染すること
(六)免疫性の存すること
(七)プァイフェル菌、肺炎菌、連鎖菌等は単に混合感染にして感冒の病原菌に非らざること

そして1920年(大正9年)3月25日の東京日日新聞(後の毎日新聞)に、「LANCET誌の1919年6月号に山内保らが発表した“THE INFECTING AGENT IN INFLUENZA”を紹介する記事」も山内先生は発見。この記事をやや改変して読みやすくして紹介します。

「山内保博士は流行性感冒の病原体について人体(看護婦や門弟、友人)百余名を試験材料に使って2年間研究を続け、流行性感冒発病者の痰を、健常者の鼻腔咽頭粘膜に付着すると2-3日で流行性感冒を発病することを発見、LANCET誌に発表した」

読売新聞の記事でLANCET誌の著者名の
BY 「Prof. T. Yamanouchi」「Dr. K. Sakakami」「Dr. S. Iwashima」の3名が、
山内保、坂上弘蔵、岩島十三だということがわかりました

しかし、岩島十三なら「いわしまじゅうぞう」で「S. Iwashima」とは違います。変です。
2018年、NHKで山内保のことが放送された際、その番組を見た岩島のお孫さんが「岩島十三は間違い」で、本当は「岩島寸三(いわしますんぞう)」だったことが判明。「いわしますんぞう」なら「S. Iwashima」で合っていますね。
読売新聞に「岩島十三」と書かれてしまったので、以後、岩島寸三の探索が難しくなってしまっていたのです。困ったことです。

探索が難しくなっていたことを示す例を示します。
「岩島十三の名前は官報にも出てこず。医学博士ということですが、国内で博士号を取得したのではないのかも。」
https://www7.targma.jp/vivanonlife/2020/06/post78700/ などと誤解されています。誤記は怖いですね。

山内保のフランスでの活躍

話を戻します。
山内先生は山内保がフランスのパスツール研究所で行った研究を紹介しています。山内保は論文も多数書いています。論文を紹介します。

  • Yamanouchi, T.: Action de l'atoxyl sur les trypanosomes dans l'organisme. Comptes rendus des séances de la Société de biologie et de ses filiales,69, 120-121, 1910.(筆者注:トリパノソーマの体内におけるアトキシルの作用) フランス語
  • Pick, E. P. & Yamanouchi, T. Studien über Anaphylaxie. Wiener Klinische Wochenschrift, No. 44, 1513-1514, 1908.(筆者注:アナフィラキシーの研究) ドイツ語
  • Yamanouchi, T. Ueber die Anwendung der Anaphylaxie zu diagnostischen Zwecken. Wiener Klinische Wochenschrift. No. 47, 1623-1628, 1908.(筆者注:診断目的でのアナフィラキシー) ドイツ語
  • Yamanouchi, T.: Recherches expérimentales sur une méthode thérapeutique basée sur la stimulation des phagocytes. Annales de l'Institut Pasteur, 28, 420-436, 1914. フランス語(筆者注:貪食細胞刺激に基づく治療法の実験的研究)
  • Doyen, E. & Yamanouchi, T.: Flore bactérienne des plaies de guerre.Comptes rendus des séances de la Société de biologie et de ses filiales, 77,503-504, 1914.(筆者注:戦争創傷の細菌叢) フランス語
  • Doyen, E. & Yamanouchi, T.:  La flore bactérienne des plaies de guerre.Comptes rendus des séances de la Société de biologie et de ses filiales, 77,512-516, 1914.(筆者注:戦時下の細菌叢) フランス語

つまり、

  • 梅毒に関する実験
  • 梅毒の診断法についての研究
  • 梅毒治療薬のアトキシルの作用に付いての研究
  • 戦争による創傷部位の細菌叢の研究

などを行っていることがわかりますね。ドイツ語、フランス語で論文を書いています。明治から大正にかけてフランスで活躍していたことに驚嘆します。一流の研究者だったのですね。

少し背景を紹介します。
山内保がパスツール研究所の研究員だった頃(1906-1917年)は「virus=ビールス」が話題になっていた時期でもあります。
1898年、オランダの微生物学者ベイエリンクは細菌を除去する磁器製の濾過器(シャンベラン濾過器)をも通過する小さいモノ(それがvirusです)が、タバコモザイク病の原因病原体であることを発見したのです。
シャンベラン濾過器は「パスツール-シャンベラン濾過器」とも呼ばれています。シャンベラン(Chamberland,Charles Édouard:1851-1908)はフランス人細菌学者です。パスツール研究所で研究をしていました。パスツールが行う実験で使用する「細菌を含まない濾過水」を作るためにこの濾過器を作ったのです。
その「パスツール」の名前が付いた濾過器を使って「virus=ビールス」を発見したのがベイエリンクです。パスツール研究所の研究員は、ベイエリンクの発見を聞いて地団駄を踏んで悔しがったと思います。

山内保はパスツール研究所で「パスツール-シャンベラン濾過器」を使って実験もしていたと思います。ベイエリンクの発見は当然知っていて、機会があれば未知の病原体を見つけたいと思っていたのでしょう。それが日本での大発見(インフルエンザビールス発見)につながったと思います。

山内がLANCET誌に論文を発表してから、90年も経ってから山内保らの埋もれていた業績をFrederick Murphy先生が正統な評価をしてくれたお蔭で「インフルエンザビールスの発見者は日本人研究者の山内保、坂上弘蔵、岩島寸三である」と教科書が書き換えられつつあります。良い話です。

山内保の帰国

1917年に山内保は帰国し、どこにも所属せず、坂上弘蔵が所属していた星製薬の細菌部で実験を行います。山内保と東京医科大学(現東京大学医学部)で同級生だった開業医の岩島寸三が流行性感冒にかかった同僚や看護師から鼻汁、喀痰などを採取して、山内保、坂上弘蔵に提供していたと予想します。

以下、次回に続きます。山内一也先生が掘り起こし損なった?ことを中心に、山内保、坂上弘蔵、岩島寸三のことなどを紹介します。ビックリすると思います。私が一番、ビックリしました。

【参考文献】

筆者注:

「学術上の自由さへ許されぬ国状にあっては、ある一点から非常なる非難を受くべきことを慮んばかって」とは「流行性感冒発病者の痰を、健常者の鼻腔咽頭粘膜に付着すると2-3日で流行性感冒を発病する」
つまり人体実験のようなことをしたと非難されることを慮ったのでしょう。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
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