望月吉彦先生
更新日:2019/11/05
ノーベル医学生理学は「生理学および医学の分野で最も重要な発見を行った」人物に授与されています。どういう基準で授与されるかは不明です。「重要」の解釈が難しいからです。
ノーベル生理学・医学賞は、ざっくり分けると、
の2系統に分かれます。
もちろん1.→2.に行く場合も多いので厳密に分けるのは難しいですね。
今年(2019年)のノーベル医学生理学賞は「細胞の低酸素応答の仕組みの発見」に対して授与されました。これは、1.に該当すると思います。
一般の方にもわかりやすいのは2.の方ですね。実際に人を助けるお薬やさまざまな医療機器の開発はわかりやすいです。例えば、ペニシリンの発見、心臓カテーテル法の開発、CTの開発、MR(核磁気共鳴装置)の開発、ピロリ菌の発見、エイズウイルスの発見 などです。大村智先生、本庶佑先生は2.に該当します。
2.に分類される実際に役立つ方法を開発したノーベル賞受賞者の中には「外科医」が3名います。
の3名です。
なお、カレルは臨床医ではありません。モニスも神経科医で外科医と一緒にロボトミー手術を考案していますが、元は外科医ではありません。純粋な外科医でノーベル賞を受賞したのは形成外科医の「ヨセフ・マレー」医師だけです。
もし次に外科医がノーベル生理学・医学賞を受賞するなら、それは内視鏡手術を考案し世界中に広めたフランスの開業医「フィリップ・ムレ博士(Philippe Mouret, M.D.)」になるだろうと言われていました。しかし、残念なことにムレ博士は2008年にお亡くなりになってしまいました。
閑話休題……
「人を助ける」お薬、医療器具、手術方法の開発は大変ですが、成功すると、多くの人が助かります。例えば大村智先生の発見したイベルメクチンはさまざまな病気に効果があり、そのおかげで約2億人が助かると言われています。ある意味、助けた人数、助けられる人数が多い薬や機械を開発すると「ノーベル賞」への道が開けることになるかもしれないですね。
今回、次回は、ほとんどの日本人には知られていないけれど、世界中で実に多くの人の命を助けて、今後も将来にわたって多くの人の命を助ける機械の原理の発見者は日本人で、将来ノーベル賞を受賞するかもしれないという話を紹介します。
その方の名前は「青柳 卓雄(あおやぎたくお)」さんです。日本光電工業の技術者です。2015年にはその功績に対して「IEEE Medal for Innovations in Healthcare Technology」を授与されています。受賞理由は「For pioneering contributions to pulse oximetry that have had a profound impact on healthcare.医療に対して極めて重要なインパクトを与えたパルスオキシメーター開発の貢献に対して」というものでした。【注: IEEE アイトリプルイー[Institute of Electrical and Electronics Engineers]米国電気電子学会のことです。】
皆さんも、医療機関で青柳さんがその測定原理を発明した機械を目にしたこともあるかと思います。
その機械の名前を「pulse oximeter=パルスオキシメーター」 と言います。動脈血の酸素飽和度を測定する機械です。
図1:パルスオキシメーターで動脈血酸素飽和度を測定しています。
この方の動脈血酸素飽和度は100%で心拍数は56回/分です。
私が医師になった当時、このような機械はありませんでした。動脈血酸素飽和度を測定するには動脈を穿刺(せんし=刺す)して動脈血を採取しないと調べられませんでした。簡単ではありませんでした。それがいまや簡単に測れます。痛みを伴いません。時代は変わりました。
この機械の測定原理は、1974年のME学会で青柳氏が発表し、論文にしています。日本語で書いています。手書きです(文献1 ←実際にご覧いただけます)。
学会で発表する2年前の1972年にこの原理を発明したと日本光電のホームページ(https://www.nihonkohden.co.jp/information/history_detail.html)で紹介されています。
原理を発見し、特許の申請をしてから、1974年のME学会で発表したのです。用意周到です。先に学会発表をしてこの原理を公表してしまうとそれは「公知の事実」となり特許は成立しません。
パルスオキシメーターの開発当初の出来事を時系列で紹介しましょう。
1972年:青柳卓雄氏が原理を発明
1974年3月29日:特許を出願。タイトルは「光学式血液測定装置」 発明者は、青柳卓雄、岸道男。出願者は「日本光電工業(株)」
1974年4月26日:特許出願の翌月、青柳氏は日本ME学会大会でその原理を発表
それとは前後しますが、
1974年4月24日:パルスオキシメーターの開発を独自に進めていたミノルタカメラ(現コニカミノルタ)の山西昭夫氏が青柳氏とほぼ同様な原理を用いた機械を「オキシメーター」の名前で特許出願。
日を置かずして、日本で2つの全く別な会社の別な研究者が、このパルスオキシメーターの原理を発明したことになるのです。両社は全く技術交流が無かったそうですから不思議な話です。
1975年:日本光電はパルスオキシメーターの実機を発売(耳朶でのみ測定)。 北海道大学出身の外科医中島 進先生がこの機械を使って世界で初めて患者さんへの臨床使用を行っています(文献3)。しかし、当の青柳卓雄氏が異動により当該部署を外れたため、日本光電におけるパルスオキシメーターの開発が一時中断してしまいました。残念な話です。
1977年:コニカミノルタが世界初の指先で測定できるタイプのパルスオキシメーターを商品化。この指先で測定するパルスオキシメーターがデファクトスタンダード(de facto standard)となりました。
大変残念なことに、日本で発明されたこの機械はアメリカで改良されて使いやすくなり、急速に普及したことで製造単価が下がり、アメリカから全世界に普及しました。アメリカで機械の改良がなされたと記しましたが、その部品の多くは日本製でした(http://tech.nikkeibp.co.jp/dm/article/COLUMN/20140713/364980/?ST=nxt_thmdm_new_industry)。何となく悔しい話です。
図2:パルスオキシメーターに必須の赤い色を出すLEDが左側に右側に受光部があります。
アメリカで開発された当初、このLEDと受光部はなんと日本製(スタンレー電気社製)でした。
さてなぜ
など、パルスオキシメーターに関する色々な話題は次回に続きます。
青柳卓雄(あおやぎたくお)氏は2020年4月18日、老衰のため死去、84歳でした。
生きていればコロナ禍の今頃ノーベル賞の声が高くなったと思います。それはともかく多くの病者を救う機器の原理を考案したのですから、未来永劫受け継がれます。偉大な方でした。合掌。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
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