望月吉彦先生
更新日:2020/07/13
前回より続きます。
病気の広がり、発症要因を探るのが「疫学」です。疫学とは違いますが、皆さんが医療機関を受診すると、以下のようなことを聞かれるかと思います。
最初に「どうしました?どういう症状があるのですか?」と聞かれますね。その後、
など、根掘り葉掘り話を聞かれると思います。これを「病歴」と言います。
病歴をきちんと聞き出すのが医療の基本です。上記1-7のような「病気の歴史」を聞き出すのが病歴です。オスラー医師(William Osler, 1849- 1919)は、
"Listen to the patient. He is telling you the diagnosis"
「患者さんの言葉を良く聞きなさい。患者さんは、あなたに診断を告げている」
という有名な言葉を残しています。
ノーベル賞受賞者のバーナードラウン医師の著「治せる医師、治せない医師」にも病歴を聞くことの大切さが繰り返し述べられています。
病歴を聞き出すことは「疫学」に似ています。いつから、どのように、どういう時に、を聞き出すのは患者さんを「疫学」していると言っても過言では無いと思います。逆に言えば「疫学とは“病気の病歴”を聞いている」のだと思っています。それには「記録」が必要です。
「記録が語りかける病歴を聞き出すのが疫学だ」
「病気が語りかける病歴を聞き出すのが疫学だ」
とも言えます。
今、様々なことで、「記録」が話題になっています。医師にとって「記録」をしないことはあり得ないので「記録を残す、残さない」という議論自体が不毛だと思っています。ちなみにカルテ(医療記録全般)には5年間の保存義務があります。
病歴には“歴史”の“歴”の字が入っています。さて、歴史とはなんでしょうか?
古くからある記録を紐解いて、その時代に何が起こっていたかを解き明かす学問です。
古くからある記録の内で、わかりやすいのは文字による記録です。文字が無い時代の記録は「当時使われていた道具」でしょう。道具から色々なことを推測できます。
それはともかく、COVID-19が蔓延している今、様々な記録を残すことが必須だと思います。捨てて良い記録などあり得ません。くどいようですが、COVID-19についてわかっていることはまだ少ないのです。わかっていないことを分析するには記録が必要です。今現在起こっていることを丁寧に記録することが将来の分析に必須です。記録がなければ何も考察ができないからです。
前回示した「各国別の死亡率の違い」も、その違いを合理的に説明できる理由がわかるまでは分析を続けることが必要です。
理由が判明するまで、まだ時間がかかりそうです。こういうときは、すべての記録を残すことが基本で、記録が残っていればいくらでも検討できます。記録をしないで、記憶だけで物事の検討、検証はできません。COVID-19のような感染症を考察するには医療記録だけでは足りません。様々な記録が必要です。「どんな記録が必要か必要でないかは後世が判断すること」です。
COVID-19の話から外れます。
記録がいかに大切かを端的に示す例をお示ししましょう。一見すると病気とは関係のない記録が病気の分析治療予防に役立った顕著な例です。これを読めば「どんな記録も必要」ということがわかると思います。
それは「チフスのマリー」と称された「チフス菌保菌者」発見に関する話です。
1906年ニューヨークに隣接するロングアイランド市でチフスが発生しました。この時、チフスの原因を究明したのが衛生工学の専門家ジョージ・ソーパー(George Albert Soper, II 1870-1948)でした。
彼は医学を学んだ専門家ではありません。元は土木技術者です。主に水道関係の専門家でした。水道を整備することで多くの感染症が減ったからでしょうか?彼は衛生の担当者になります。そして1906年当時このチフスの発生原因追求を依頼されています。彼はチフスが発生した家の周囲の水道、河川、湖、周りの土地を徹底的に調べたのですがどこからもチフス菌は発見できません。
ソーパーが次に行ったことは、チフスが発生した家の方からの聞き取り調査です。そこでわかったことは、その家で雇った賄婦メアリー(Mary Mallon、1869-1938)のことでした。メアリーが来てからチフスが発症したのです。
そこでソーパーはメアリーの「職歴」を調査しました。くどいようですが病歴の調査と一緒ですね。メアリーの職歴はきちんと残っていました。彼女は10年間に8家族に雇われ、そのうちなんと7家族でチフスが発症していたのです。
それに気づいたソーパーはメアリーに彼女の糞便、尿、血液を検査することを頼みましたが、これは断られています。これは当然だと思います。いきなり糞便やら尿やらを調べさせろと言われても、びっくりしてしまいますね。
メアリーはチフスを発症していません。彼女は「健康保菌者」だったのです。メアリーは排便後に良く手を洗わないこともあり、その手で調理をしていたので料理にチフス菌が付いて、それを食べた人が「チフス」を発症したのです。
当時、健康保菌者という概念はありません。結局彼女は、その後の生涯のほとんど20数年間をニューヨークの沖合にあった病院で過ごすことになります。
メアリーからすれば、彼女は健康ですので、なぜ幽閉されなければいけないのかわからなかったと思います。かわいそうな話です。彼女は「チフスのメアリー」というあまりありがたくない名前を与えられ、ソーパーと共に医学の歴史に名前が残りました。
この話から色々な教訓が得られると思います。
さて、1854年8月のロンドン、ソーホー街でのコレラを収束させたスノー医師とホワイトヘッド副牧師の話に移りましょう。
ジョン・スノー医師(John Snow:1813年-1858年:享年45歳)
ホワイトヘッド副牧師(Henry Whitehead:1825年 - 1896年:享年60歳)
の2人です。
スノー医師とホワイトヘッド副牧師は、育った場所も学歴も職歴もかけ離れています。コレラが無ければ、2人の人生は交差することも無く、医学の歴史に名を残すことも無かったでしょう。
スノー医師ばかり名前が取り上げられますが、ホワイトヘッド副牧師がいて初めてコレラ収束のピースが埋まるのです。
2020年6月16日、TVでスノー医師が紹介されていましたが、やはりホワイトヘッド副牧師は紹介されていなかったと思います。気がついた時はテレビの番組は終わりかけていました。番組はスノー医師を取り上げていたのは確かです。慌てて写真を撮ったのですが、なぜかナイチンゲールの話になっていました。
次回では最初にスノー医師を紹介します。
望月吉彦先生
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