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融通無碍、豊富な語彙、多彩な表現 これぞ日本語!~日本語について思うこと(3)

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望月吉彦先生

更新日:2018/10/29

日本語は語彙(ごい)が豊富

我が輩は猫である

今回は日本語の多彩さについて考えていることを書こうと思います。

英語で「一人称」は「I」、フランス語なら「Je」、ドイツ語なら「Ich」です。これに比して、日本語にはたくさんの一人称表現があります。 私、僕、ぼくちゃん、あたし、おれ、俺、あたい、あたくし、あっし、自分、おいら、おいどん、おれっち、それがし、我、吾、吾人、小職、小生、非才、不才、当方、おら、わ、我が輩、拙者、拙僧、拙、etc.(思いつくまま、順不同です)とたくさんあります。
これらを、私たちは、微妙に使い分けています。日本語は、このように言語表現が他言語に比して多彩です。 だから、日本語の小説を翻訳するのは大変だと思います。

「吾輩は猫である」を英語で表現すると
「I am a CAT.」になりますが、それでは、吾輩に込められた“意味合い”が伝わらないと思います。
「吾輩」には、「男性(オス)」で「上から目線」で「滑稽味」が隠されていると思います。それが「I am a CAT.」では伝わりませんね。

それはともかく、日本語表現が多彩になる理由は、語彙(ごい)が豊富だからです。語彙が豊富になる理由は日本語が、

  • 「表音文字」=文字が音を表す。多くの言葉はこれだけで言語が成立しています。代表が英語、独語、フランス語など
  • 「表意文字」=意味をもつ語のそれぞれに対応させた文字、現代では漢字しか残っていない?

を微妙に組み合わせているからだと思います。

日本語の表音文字は二種類あります。
「片仮名」と「平仮名」です。「漢字」という表意文字は1種類ですが、以前からお伝えしているように漢字の読み方は「音読み」と「訓読み」の二種類に分かれます。
要するに日本語は表音文字と表意文字の組み合わせで無数の表現ができるので、上述のごとく他言語では「I」「Je」「Ich」で終わってしまう「一人称」にも、日本語には無数の表現があります。無数の表現ができる日本語を用いると、情緒的な文章も論理的な文章も書くことができます。日本語は曖昧(あいまい)だとか、非論理的だという人もいらっしゃいますが、使い方の問題だと思います。

明治時代の文部大臣「森有礼(もりありのり)」が日本語を廃して英語を導入することを提唱したり、太平洋戦争後に志賀直哉が「日本語を廃して、世界一きれいな言語である(と志賀が思う)フランス語に代えよう」という運動をしましたが、そんなことにならないで良かったと私は思います(注:志賀直哉はフランス語ができませんでした。なぜ、こんな突飛も無いことを言い出したのでしょう?)。
また、日本語表記は漢字を捨てて、カタカナだけにしようとか、ローマ字だけにしようという運動もなされたことがあります。カナ、ローマ字ならタイプライターが使えるから便利だという考えが根底にあったのです。しかし、ワープロの普及と共にそういう主張は廃れました。「ワープロガ ナケレバ タイヘンナ コトニ ナッテイタ デショウ。」このくらいならまだ、読解できそうです。しかし、

「この箸は日本の端にある橋を渡ったところに住んでいる波紫(はし)さんが作りました」

のような同音異義語がある文章は正しく表現できません。これをカナだけで書くと、

「コノハシハ ニホンノハシニアルハシ ヲ ワタッタトコロニスンデイル ハシサンガ ツクリマシタ」

これでは何のことやらわかりませんね。

仮に日本の標準言語を英語、フランス語、カナ、ローマ字にしようという運動が100年前に成立していたら、今頃、平安時代から江戸時代に書かれた文章を一切読めなくなっていたと思います。あり得ないと思われるかも知れませんが、100年前には文部大臣がそういうことを主張していたのです。現在も人工言語を作って、自国言語を単純化したり、英語と自国語を並立させたりする施策をとっている国があります。そういう国では古くからある自国語を捨ててしまったことで、自国の古典や歴史的文章が読めなくなっています。
日本語廃止論はいつの時代にも亡霊のようによみがえります。一旦、捨てられた言語は、二度と元には戻りません。多くの「無くなってしまった言語」がそれを証明しています。例えば、ヒエログリフ、マヤ文字などが、その代表でしょう。そんなことは、日本では、あり得ないという方も多いかと思いますが、小学校から「英語教育」が始まり、その時間が長くなりつつあります。おかしい話です。数学者の藤原正彦氏は「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」とも言っています(参考文献3)。以前にも紹介したフランス在住の言語学者小島剛一氏は「小学校の英語教育の是非」の中で、

「日本の言語教育で大切なことは、日本語を正しく理解し、まともな日本語で筋道立てて自分の考えを表明する能力を多くの子供に身に着けさせることです。
中略、
下手な英語教育は、日本語を崩壊させるだけです」

と述べています。その通りだと思います。

話は変わります。日本語は論理的な文章を書くにも適していると言うと怪訝な顔をされることあります。英語、フランス語、ドイツ語より、日本語の方が論理を重視というか、論理表現が得意です。いくらでも例証可能ですが、その一つ「住所表記」を例にとって考えてみましょう。

浜松町ビルディングの住所を示すのに、
日本語では「日本国 〒105-0023 東京都港区芝浦1-1-1」と書きます。
英語では 「1-1-1 Shibaura, Minato-ku, Tokyo 105-0023, JAPAN」です。
ドイツ語でもフランス語でもそれは一緒です。
場所がどこにあるかを示すのに、日本語の方が自然です。広い範囲から狭い範囲に順番に進んでいきますから、頭に入りやすいですね。
一方、西欧言語では逆順ですから不便です。郵便配達をする欧米の方は「不便だ」と思っているに違いありません。なぜ、西欧言語が不自由な表記を使っているか不明です。そういうモノだと思っているから、今更変えられないのでしょうね。
どう考えても、日本語の方が「論理的」です。これらの小さな事象をもって、日本語の全てが論理的だとは言えませんが、論理的に書こうと思えばいくらでも書けることは覚えておいて損はないと思います。

また、話が逸れます。
言語とは関係ありませんが、お風呂も日本の方が論理的だと思っています。暖まる湯船があり、身体を洗う場所が別にあります。日本のホテルにある欧米式?の「バス=bath」は実に不便です。洗い場の無い「bath」の「正しい入り方」が未だに私には解りません。誰か、正しく、そして快適な西欧式バスの入り方がわかったらご教示ください。長年の疑問です。西欧ではシャワーだけなのでしょうか?それなら湯船は不要です。身体を湯船で洗ってから湯をためるのでしょうか?それでは寒い季節は辛いですね。長年の謎の一つです。

日本語は多彩な表現ができる

話を戻しましょう。
日本語が他言語に比して、多彩な表現ができるもう一つの証左があります。それは、とにかく多くの言語で書かれた本の翻訳本が次から次に出版されていることです。ノーベル文学賞に選ばれた作品で、これまで日本語に翻訳されていなかった作品は無いと言っても良いくらいです。ノーベル文学賞が決まってからの翻訳ではなくて、それ以前に翻訳されていたという意味です。例えば2015年の受賞者はベラルーシの「スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチさん」ですが、この方の本は既に1984年から日本語に翻訳されて出版されています。2015年のノーベル賞受賞時点までに 6冊も出版されていました。なぜ、こんなにたくさんの翻訳がされていたのか、この方面には暗い私にはよく判りません。かなりマニアックな言語の、マニアックな分野の本も、たくさん翻訳されています。
各種言語がそれなりに翻訳できるのは「日本語の表現能力が高い」ためだと思います。誤解を受けるといけないのですが、ノーベル賞の中で文学賞は価値が無いとは言いませんが、あまり重要だとは思えません。外国の文学はスウェーデン語や英語に翻訳がなされないと賞はもらえません。スウェーデン人文学者以外が受賞する場合、その半分は翻訳者の功績だと思います。暴論でしょうか?

また、話は変わります。明治に入り、欧米諸国から色々なことやモノ、科学、文学、etc.が導入されますが、対応できない言葉は全て自前で作ってしまっています。それを「和製漢語」といいます。例えば、「芸術」、「理性」、「技術」、「心理学」、「意識」、「知識」、「概念」、「帰納」、「演繹」、「定義」、「命題」、「分解」、「自由」、「階級」、「人民」、「共和国」、「共産主義」、「革命」、「共和」、「右翼」、「左翼」、「科学」、「哲学」、「進化」、「郵便」、「意識」、「運動」、「野球」、「観念」、「福祉」、「接吻」などです。今では普通に使われるこれらの言葉は明治人が作ったのですね。解らない言葉、対応する言葉が無いのはどんどん作ってしまう。凄いことだと思います。今はあまりそういう努力をせず、何でもカタカナで書くのが流行っています。明治時代もカタカナで通していたら、「野球」も「哲学」もなく、「ベースボール」や「フィロソフィー」という無味乾燥な言葉になっていたかも知れません。これら和製漢語を造語した人達は本当に偉かったと思います。和製漢語は、中国語にもたくさん取り入れられています。例えば、“左翼勢力による共産主義革命によってできた「中華人民共和国」”という表現をしたとします。下線部は全て和製漢語です。「中華人民共和国」という中国の正式名称の7文字中、5文字は日本製です。

今回は、とりとめのない文章になってしまいましたが、何を言いたかったかというと「日本語は融通無碍で、語彙が豊富で、何でも表現でき、表現できない場合は言葉も作ることができる」ということを伝えたかったのです。

【参考文献】

  • 再構築した日本語文法:小島剛一著 ひつじ書房
  • 日本語に主語はいらない:金谷武洋 講談社
  • 祖国とは国語:藤原正彦著 講談社、2003年

どうでも良い余話:翻訳は難しい…
俵万智さんの有名な短歌、
「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日
の俵万智さん自身の翻訳を下に示します。

"This taste great." you said and so, the sixth of July our salad anniversary.
注:Salad anniversary(Kodansha English library) 俵万智 著

下線部に注目ください。俵さん本人が、「our」を選択していますが私は「my」の方が自然だと思っています。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディング1階 プラザ 111 内
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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