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095:始めに言葉ありき~日本語について思うこと(1)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2018/09/25

今回から、「日本語」について思うことを書こうと思います。

はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。 言葉の内に命があり、命は人を照らす光であった。その光は闇の中で輝き、闇が光に打ち勝つことはなかった」(「新約聖書~ヨハネの福音書」より)

私はキリスト教徒ではありませんが、「言葉」については、このヨハネの福音書の説く通りだと思います。医療に携わる中で、日本語について考えたこと、勉強したことなどを書いていこうと思います。

「患者さんの言葉に耳を傾けよ」とは

医療の世界で「言葉」は特に重要です。ノーベル平和賞を受賞したアメリカの循環器内科医バーナード・ラウン(Bernard Lown:1921-)先生が書いた「治せる医師・治せない医師」という本(注1)にも繰り返し、「言葉」の重要性が説かれています。
医療における言葉の重要性を説いた医師はほかにも大勢います。一番有名なのは、19世紀を代表する内科医オスラーが書いた次の言葉でしょう。

“Listen to the patient. He is telling you the diagnosis”(注2)

訳してみましょう。

“患者さんの言葉に耳を傾けよ、患者さんはあなたに診断の手がかりとなる言葉を発している”

最近、この言葉にはもっと深い意味があるのだと思うようになりました。「Listen=聞く」ですが、ただ単に「言葉を聞く」だけでなく、患者さんが発する言葉、患者さんの身体所見などに耳を傾けようと言う寓意も含んでいるのだと思っています。つまり、さらに意訳すると、

“患者さんの発する言葉はもちろん患者さんの発する身体所見や事象に耳を傾けよ。患者さんは、あなたに「診断」の手がかりを発している”

とまで言えるのではないかと思っています。いかに医療が進み、医療技術が進み、AIが進んでも、この言葉の重要性は変わらないでしょう。

日本語

医師になり、よくよく患者さんの話を聞いていると、段々とオスラー先生の説いたことがわかるようになりました。

司馬遼太郎が「カルテは日本語で書かないと意味が伝わらない、それも“地の言葉”で書かないと、意味が伝わらない」という意味のことを書いていました。司馬は大阪弁で「うじうじして痛いねんで」と言う語感はその通りに書かないと伝わらないと書いています。同感です。
私の恩師 新井達太先生からも、常々「カルテは日本語で、わかりやすく書くよう」に指導されましたので、自分で書くカルテは基本的に日本語で書いてきました。日本人が日本語でカルテを記載するのは当たり前の話だと思います。
私は栃木県でも働いていました。栃木の心臓病の患者さんはよく
「去年は大丈夫だったのに今年は駅の階段を登るのが“こわい”」
などと言います。最初は階段を登るのに恐怖を感じるようになるのだと思っていました。しかし、違ったのです。栃木県では「こわい」は「疲れる」「だるくなる」というような意味でした。言葉は難しいですね。日本人を診察するのに「ドイツ語」や「英語」で書いたカルテでは患者さんの「伝えたいこと」は残らないのです。一昔前は、そういうカルテや判じ物のような文字、他人にも自分でも読めないような文字で書いたカルテを多く見ました。今から思うと不思議です。電子カルテが主流の時代となり少なくとも読めないカルテは、あまり見かけなくなりました。

『音読み』『訓読み』をどうやって決めていた?

そんなわけで、医師になってから色々と日本語について考えてきました。私は言語学者でも国語学者ではありませんが、こうした書き物の中でも適当なことを書くつもりはありません。それなりに調べては確証があった(と思われる)ことだけ書きます。「なんだ、『思われる』ってことは、確実なことでは無いのか?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。逃げているわけではありません。例証を挙げます。

『音読み』『訓読み』についてです。

『音読み』は、一般的には中国から伝わった読み方です。“山”を「さん」と発音するのが『音読み』で、“山”に日本語の語彙を当てて「やま」と発音するのが『訓読み』と習ってきました。
『音読み』は中国から伝わった読み方ですが、どの時代の中国から伝わったかで随分と読み方が違います。ですから、音読みも「呉音」「漢音」「唐音」などに分類されます。
「呉音」は六朝(りくちょう)時代の呉の地方の発音が基になっています。
「漢音」は、隋・唐以後で宋*以前の長安地方の発音が基になっています。歴史上の「漢」の国とは時代が違います。
「唐音」は、唐の末期から宋・元・清までの間に日本に伝わった発音で「宋音」とも言います。
*南朝の宋(420~479)ではなく、北宋(960~1127)

でも、ちょっと考えてみましょう。「呉音」「漢音」「唐音」などと言うけれど、本当に中国でそのように発音されていたかどうかは、当たり前ですがテープレコーダーなどありませんので、解かりません。では、どうやって決めていたのでしょう?皆さんは、こんなことを考えたことはありませんでしたか?私は、長い間、これが疑問でした。『音読み』とはそういうモノだと思って何となく、覚えていたからです。しかし、ある時、私の年来の疑問はフランス在住の言語学者小島剛一氏(注3)に質問する僥倖を得て氷解しました。以下“”内は氏から教わったことです。

“漢字の音読みは「同音の漢字、仮名、声点などを用いて漢字の読み方を示した資料は多数あります。『妙法蓮華経』『大般若波羅蜜多経』『佛母大孔雀明王経』などは、音注が詳しく付いています。”

音注とは漢字の横に仮名などが書かれていて読み方を示しているのですね。今なら、難しい漢字の上にルビが振ってあるようなモノでしょう。確かに国立国会図書館のデジタルコレクションにある『佛母大孔雀明王経』をみるとカナがふってあります。

冒頭の部分です(図1)、さらにその一部を拡大してみました(図2)。

図1:佛母大孔雀明王経の冒頭
図1:佛母大孔雀明王経の冒頭

図2:佛母大孔雀明王経の拡大図
図2:佛母大孔雀明王経の拡大図

少し見てみましょう。
獨は“トク”、覚は“カク”、我は“カ”、皆は“カイ”、敬は“ケイ”、礼は“レイ”、聖は“サイ”、求は“キュウ”とフリガナがふってあります。こういう文献があることで初めて『佛母大孔雀明王経』が日本に伝来した当時の、中国語での読み方、すなわち「音読み」が推測できるのですね。とても興味深いことです。
なお、『佛母大孔雀明王経』の振り仮名には濁点が付いていません。濁点を使用していれば「獨(トク)」は「どく」、「我(カ)」は「が」だったはずです。つまり、完璧な表音文字は存在しないのです。この辺りは、とても難しいです。

こういう文献を研究して、「音読み」が広まったのでしょう。中国から伝わった年代で読み方は違い、それを「呉音」「漢音」「唐音」などと分類したのでしょう。皆さんは、ご存知でしたか?私は長い間知りませんでした。

さらに『音読み』『訓読み』について考えてみましょう。
日本語は「表音文字である“ひらがな”と“カタカナ”」と表意文字である“漢字”が使われます。上述のことと重複するのですが、日本語には表音文字がありますので、1000年近く前の漢文に“カナ”で読み方がふってあると、当時、この漢字がどのように読まれていたかがわかるのです。
しかし、ここが大事ですが、中国語には表音文字がありません。つまり500年前、1000年前の中国で実際にどういう漢字がどういう発音で読まれたかは不明なのだと思います。500年前、1000年前の中国の漢字がどのように発音がされていたかを研究するなら、表音文字を古くから用いている日本で文献を調べるしか無いのだと思います。この辺り、わかる方がいらしたらご教示いただければ幸いです。
現代の中国では、1958年以来、拼音(ピンイン)という発音記号が使われるようになっているので、発音の仕方がわかります。例えば北京の拼音はběijīngです。

というわけで、言語に関して「絶対に確実なこと」を見つけ出すのは至難の業です。しかし、日本語について考えるのは面白いので、数回続けます。次回に続きます。

  • 注1:治せる医師・治せない医師 バーナード ラウン(著) 築地書館
    原題は「The Lost Art of Healing: Practicing Compassion in Medicine」
    ラウン先生はLGL症候群(Lown-Ganong-Levine syndrome)に名を残しています。
  • 注2:平静の心―オスラー博士講演集 ウィリアム・オスラー(著) 医学書院
    ちなみに、オスラー博士は、以前にも紹介しましたが、点滴液の創始者リンガーの元で若い頃学んでいます。
  • 注3:「再構築した日本語文法(ひつじ書房)」「トルコのもう一つの顔(中公新書)」などの著書があります。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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