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004:病院に科学を持ち込んだ「博愛の看護師:ナイチンゲール」(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2014/10/06

昨今のウクライナ、クリミア情勢について小説家の塩野七生(※)は、「ヨーロッパの人々はクリミア戦争とナイチンゲールを思い起こすだろう」と書いているのを見て、思い出しました。(※ 歴史小説『ローマ人の物語』の著者として知られる女性小説家)
ナイチンゲールは、「天才」でした。彼女が統計学者でもあり、様々な統計解析を用いて、病院に科学を持ち込んだことを皆さんはご存知でしたでしょうか?
今日は、「博愛の看護師:ナイチンゲール」について書いてみたいと思います。

白衣の天使 ナイチンゲール

ナイチンゲールは、クリミア戦争(1853-1856年:ロシアvs英仏トルコ連合軍:ロシアは負けてアラスカをアメリカに売却)で活躍し「白衣の天使」と呼ばれるようになります。イギリスに帰国し政治家としても活躍しながらロンドンのセントトーマス病院で看護師の養成にも力を尽くします。1860年、同病院に看護学校を作りました。
セントトーマス病院は前回このコーナーでご紹介した「高木兼寛先生」とクロスします。高木先生は1875-1880年、セントトーマス病院に留学しており、ナイチンゲール看護学校や看護教育に接しています。ただし、この時期すでにナイチンゲールは50年に及ぶ引きこもり、寝たきり状態となっており直接は会っていないはずです。高木先生が会っていればその旨を書き残したと思いますが、そういう記録は残っていません。ただ、同病院における看護、看護教育に感銘を受けたのは確かだと思われます。それは、帰国後の明治17年(1884年)日本初の看護学校(後の慈恵看護専門学校)を開校し、米人宣教師リード女史と共に本格的な看護教育を開始したからです。1回生は僅か5名ながら皇后陛下臨席の下で卒業式が行われていますから、当時の日本国にとって大切な出来事であったことが解ります。その後、二番目に看護教育を開始したのは同志社病院(京都)です。こちらは残念なことに現存していません。

ちょっと変わった子供?

話はナイチンゲールに戻ります。彼女は、イギリスの資産家であるナイチンゲール家の次女として生まれました。イタリアのフィレンツェで生まれたのでフローレンス(フィレンツェの英語読み)と名付けられています。彼女は正式な教育は受けていません。お金持ちの子息(特に女性)は当時、家庭教師により哲学、数学、科学や語学等の高等教育を受けています。ナイチンゲールも家庭教師と父親から高等教育を受けています。ちょっと変わった子供?で、高等数学に熱中したり、哲学書を読みふけったりしていたことがどの伝記にも書かれています。勉強をし始めると集中して他のことが全く目に入らなくなる、と書かれています。(数学は後に統計学者としても活躍するナイチンゲールの役に立ちます。)ナイチンゲールは16歳の時、「神が入った」と書き残しています。神が彼女の体に宿り、世の中のため、困った人の救済をする使命が与えられたというのです。長じて周囲の猛反対を押し切り、彼女は看護師となっています。そして、病院に科学を持ち込みます。具体的には(1)配膳エレベーター (2)ナースコール (3)温水配管 を病院に設置したのです。これは、看護業務を楽にするためです。エレベーターや温水配管があれば看護師は配膳、給湯のために階段昇降を繰り返さなくてすみます。ナースコールがあれば看護師は休むことが出来ます。看護師が本来業務である看護により目を向けることも出来、患者も安心します。

ここまで書いみて、彼女は真の天才だったなと、あらためて思います。
相田みつをは沢山の「詩」を書いています。なかに「やれなかった、やらなかった どっちかな」というのが詩あります。多くの人は「やらなかった」で人生を終えていきます。
ナイチンゲールは神から与えられた使命と信じていますので、「やらなかった」人生など考えられなかったのでしょう。
その後、クリミア戦争が勃発します。戦争に関するナイチンゲールの伝記は沢山書かれているのでここでは略します。(興味のある方は読んでみてください。)

クリミア戦争終結後、一躍英国のヒロインとなったナイチンゲールは優れた統計学者、数学者としても活躍します。当時まだ、棒グラフくらいしか使われていない時代に初めて「視覚化した円グラフ」を用いて疾病解析、病因解析、様々な統計解析を行っています(ページ下部 図参照)。こうした分析で、病院には 1.清潔、2.栄養、3.空気の循環が必要であると結論付け、それらが円滑に行われるような病院設計まで行っています。これを「ナイチンゲール型病院」と言います。今でも世界中でこのタイプの病院建築が標準となっています。高木兼寛先生は多分、セントトーマス病院に留学中にこういうことも学んでいたので、帰国後に脚気の病因分析を行ったのだと推測されます。因みに高木先生は、英人同級生を押しのけて成績一番でセント・トーマス病院医学校卒業しています。これも考えてみれば凄い話です。

皆さんが子供時代に読んだナイチンゲールの伝記のほとんどが「看護」に関するモノだと思います。是非、統計学者、医療人、政治家、哲学者としての伝記も読んでみてください。とても面白いですよ。彼女は天才でしたから、周りの人々は困惑し、なかなか理解もされなかったのですが、そんな事は構わずにドンドン仕事を進めていたため周囲との軋轢もすごかったようです。しかし、彼女の行ったことは「科学的に正しかった」と証明されており、今も彼女の考えは深く浸透しています。

以下、ご参考まで。

ナイチンゲールの円グラフ(バッツウィング:蝙蝠翼と称される)病因分析を行っています。

バッツウィング

写真はロンドン、ワーテルロー広場にあるナイチンゲール像です。彼女はこういう偶像が大嫌いでした。遺言で断っています。だから彼女の全身像はセントトーマス病院とここにしかありません。
しかし、何故か日本の川西市に世界で3個目のナイチンゲール像があるようです。

ナイチンゲール像

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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