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119:日本で一番「危険な」国宝建築を見に行く(2)~なぜか米国人女性と一緒に上ることに~(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2019/10/21

文末に「驚愕の写真」があります。

投入堂から「下界」を眺めに

承前、長々と前文を書いてしまいました。話があちこちに飛び、申し訳ありませんでした。実は司馬遼太郎の真似をしたのです(笑)。

さて、国道9号線を東に向かい、一路、投入堂を目指しました。
余談ながら国道の横には高速道路があり、そちらを使った方が少し早く着きます。しかしそれでは味気ないです。前回でも書いたように国道9号線は古くからある道です。風情があり、眺めも良いのです。国道9号線は海沿いの道です。美しい日本海を眺めながらの運転は気持ちが良いです。ただし、人家が多く無いので信号機が少ないのです。一般道を車で長時間運転する際、時々は信号で止まらないと神経が休まらないので疲れますね。

それはともかく国道9号線から倉吉市を通り、鳥取県東伯郡三朝町にある「投入堂」に向かいました。途中、海沿いから山中の道に変わります。山の中の道は、森の緑が実に美しく、この辺りの山間の「豊かさ」を感じます。かなり山奥に入ります。今でも山奥です。この投入堂が作られた当時は、もっと山奥で道も今とは違って細かったでしょう。そんなところにお寺を、お堂をなぜ作ろうかと思ったのが、つくづく不思議です。 そんなことを考えながら、美しい緑を楽しみながらドライブしているうちに投入堂の登山口につきました。今はレンタカーにも「ナビ」が大抵ついているので迷わずに済みます。人生にも「ナビ」があれば迷わないのにと余計なことを思ってしまいます。 駐車場に車を置いて入山口に向かいます(図1、図2参照)。結構急な階段です。最初の難所?です。


図1:国道から入山口までの階段


図2:入山口から国道を見下ろす

投入堂は、前回でも記したように鳥取県東伯郡三朝町にある標高900mの三徳山(みとくさん)に境内を持つ「三佛寺(さんぶつじ)」の一番山奥にある奥院(おくのいん)です。奥院は大切な本尊、お経などお寺の宝物を安置する場所です。投入堂にも大切な仏像が安置されていましたが、それらの仏像は投入堂から移設されて誰でも行ける場所にある「宝物殿」で拝観することができます。

入り口にある急な階段を登り切っていよいよ投入堂に登ろうとしましたが、なんと「一人では登れない規定になっているので、あなた一人での投入堂行きは許可できない」と言われました。雨や雪の日は登れないことは承知していましたが(冬期は閉鎖されています)、「一人で登れない」という規定になっているとは知りませんでした。あとで確認すると確かに投入堂のHPにはそのように書いてあります。
三徳山一帯は本来仏道修行の場所です。細かい規定があり、それに従わないと登れないのです。登山のための靴もお坊さんのチェックが入ります。よかれと思った登山靴でもそれが入山に適していないと判断されると入山できません。靴が無いと登れません。そういう人のために、登山用の草鞋(わらじ)!が用意されています。借りても良いですし、あとで購入もできます。


図3:貸してくれる草鞋です。草鞋は持ち帰ると700円でした。

さて困りました。私の靴は投入堂登山に適している判定されましたが一人で行ったので、登ることができません。受付にいるお坊さんに、どうにかならないだろうかと頼んだのですが、投入堂登山で多くの怪我人(!)や死者(!)が出ているので、「警察のお達し」により、一人での登山は絶対禁止だと言われました。一人だと、転落しても解らないからダメなのだそうです。
途方に暮れていたら、「大丈夫ですよ、1時間も待てばあなたと同じで一人で登りに来る方がいるから一緒に登れば良いです」と言われました。それで待ちました。次から次に投入堂に登るグループがやってきます。グループと一緒なら構わないのではないかと思いその旨を伝えました。しかし、グループと一緒はダメだと言われました。「一人で投入堂に行く(登る)人を待ってください。一人で来た方とあなたが一緒に登れば良いのです。」と言われました。

待つこと小一時間、ようやく受付に一人で投入堂登山に来た方がいます。外国人の女性でした。受付の方が英語で「一人での投入堂登山は禁止されている、幸い、今一人で来て困っている人(私のことです)ので、一緒に登ってはどうか?」と言ってくれました。彼女が「no problem.」と言ってくれました。それで、一緒に登ることになりました。
福岡県に住んでいる米国人でした。日本語がある程度通じるので助かりました。彼女の靴は、投入堂登山に適さないと判断されてしまい彼女は草鞋で登ることになりました。草鞋を履いたことが無いのでとても面白いと言っていました。


図4:草鞋を履くとこんな感じですね。

結構険しい山道です。投入堂に登る山域は修行場ですので「輪袈裟(わげさ)」を首にかけます。登り始めると、いかにも「修行場」という雰囲気が伝わってきます。普通の登山とは何となく感じが違います。登山道には緑が満ち満ちています。本当に気分の良い道です。私の乏しい語彙力では表現が出来ませんが、心地よい中に霊験さを感じます。


図5:途中の風景


図6:鎖場です。


図7:こんなところも登ります。


図8:こんなところもあります(写真掲載の許可を得ています)。

同行の彼女が登れるかどうか心配していましたが、杞憂でした。彼女は随分と軽々と登っていきます。崖道、岩の道をすいすいと登っていきます。聞いたら、アメリカでロッククライミングをやっているとのことでした。


図9:途中、安全を祈願して鐘を突きます。

登ること1.5時間、ようやく投入堂に着きました。途中、かなり危険な箇所もあります。確かに「見に行くのには危険」な建築物だと思います。


図10:投入堂遠景1


図11:投入堂遠景2(岩の一部を削り取り、その上に柱を立てその上に御堂が乗っています。まさに「投げ入れた」としか思えません。)

これを見ていると「今から1000年も前にどうしてこのような場所に御堂を作ろうと思い立ったのか?」などと思い、また実際に作ってしまった「人間の不思議さ」や「知恵」に感動します。見ていると不思議な気持ちになれます。1000年経っても朽ち果てずにきちんとしたカタチで建っている理由を素人ながら考えて見ました。

  • 崖の中に埋め込まれるようにして作られている=雨に濡れない
  • 北側を向いている=日光に晒されない
  • 簡単には登れない=悪意を持って壊される可能性が少ない
  • きちんとした維持管理がなされている(定期的にメンテナンスが施されています)

などの理由で1000年近く、無事に建っているのでしょう。それでも台風や大地震などを経ても立派に建っているのをみると「健気」だなと思いますし、遠目に見ても、その尊さが解ります。

さあ、ここから投入堂まで最後の「登り」と思ったのですが、なんとそれ以上は進入禁止となっています。


図12:右手に柵があります。

昔は、投入堂まで、登ることができて、投入堂から下界を眺めることができたのです。あとで聞いたら最後の登りで滑り落ちて死人が続出したことと古い投入堂に人が入って荒れる危険性があるために、投入堂管理や研究など特殊な事情が無い限り、投入堂本体には登れないことになってしまったのです。前回、「当時写真に撮らなかったのが返す返すも残念」と書いた理由を解ってくれると思います。とても残念です。しかし、不心得者がいて、火でも使われたら1000年保った御堂も灰燼に帰します。今のように柵で防御した方が良いのだと思っています。

さて帰り道です。途中に国の重要文化財に指定されている室町時代に建てられた「文殊堂」があります。


図13:文殊堂

ここには入ることができます。そして周囲に廊下があり、そこから「下界」を眺めることができます。


図14:文殊堂からの眺め

かなり高いところにあり、手すりも無いので怖いのです。しかし、眺めはとても良いです。
さて、この写真図13-14を見て皆さん、何か気づきませんでしょうか?人工物がほとんど見えないのです。今の日本でこのように人工物の無い風景を見ることはほとんどできません。貴重な風景です。
慎重に山を降り、無事、登山を終えることができました。修行終了です。


図15:返却した草履です。洗ってから干して再使用するそうです。

同行してくれた彼女の話です。「草鞋は歩きやすかった」、「もっと危険かと思ったけれど、大して危険とは思わない」、「1000年も前から建っていたとは思えないくらい投入堂はきれいだった」、「アメリカには1000年前の建物は無いのでこういう建築物が残っている日本がうらやましい」、「山陰旅行は楽しい、なぜなら人が少ないから渋滞がない。日本は連休中に出かけると渋滞するが山陰は渋滞しなかった」、「山陰は海も山もきれい」、「食べ物が美味しい」などと言っていました。

最後に、司馬遼太郎が絶賛した「豆腐」を食べようと思いましたが、お客さんが一杯で残念なことにまた食べられませんでした。また、いつか機会があれば再訪しようと思っています。
この随筆の最後に三佛寺の「厄除け祈願」の御札をお目にかけましょう。なんとも絵柄がシュールです。

注1:

JALの英文サイトでも投入堂が紹介されていました。

注2:

三徳山三仏寺の公式ホームページ
このホームページ内には登山の注意が書いてあります。投入堂に行く方は是非読んでから行ってください。

注3:

昔は投入堂内に入れたという凄い証拠写真を紹介します。昭和11年に撮影された写真です。
今とは隔世の感があります。

この写真は元鳥取県済生会境港総合病院院長稲賀潔先生よりご提供頂きました。稲賀先生の祖父、故稲賀幸元米子医学専門学校の外科教授が撮影した写真です。この写真を撮影した当時(昭和11年)、稲賀幸先生は財団法人米子病院に勤務されており、同病院の職員旅行で撮影されたと伺っています。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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