望月吉彦先生
更新日:2019/04/08
今回は血管の話を続けてする予定でしたが、4月でもあり桜についてあれこれ考えて見たいと思います。
桜を見るとさまざまな思いがよぎります。桜の開花する時期は「年度替わりと重なること」や「学校なら入学式と重なる地域も多いこと」から、桜は日本人の琴線に触れるのでしょう。
古来、桜を詠んだ詩歌がたくさんあります。有名な詩歌を古い方から順番に並べてみましょう。
桜を題材にした歌謡曲もたくさんあります。
江戸時代末期から明治時代にかけて、詠まれる桜の種類が大きく変わります。良寛以降に詠まれる桜は、染井吉野(ソメイヨシノ)が多いと思います。それ以前に詠まれている桜は本居宣長が詠んでいるように山桜だと思います。なぜ、染井吉野に変わったか、それを今回、詳らかにしましょう。
東京ではすでに桜は散ってしまいました。しかし、東北、北海道はこれからが見頃です。開花宣言は、各都道府県にある気象台が定めている「標本木」に5~6輪の花が咲いたことを気象台の職員が確認して始めて、宣せられます。
写真1は、東京の標本木です。靖国神社にあります。大阪の標本木は大阪城公園にあります。
写真1:靖国神社の標本木
今、桜並木に植えられている桜の多くは染井吉野です。
染井吉野は江戸時代、染井村の植木屋さんで売り出された品種だそうです(詳細は不明です)。染井村は現在の駒込辺りです。元々、江戸時代~明治初期に染井村の植木屋さんが、
そういう特徴を持った2種類の桜を受粉させて種を作り、栽培したところ、現在の染井吉野の元になる桜ができたと言われています。これには異論もあり、偶々できたとも言われています。
私が推測するに、染井村の大きな植木屋さんの庭に大島桜とエドヒガンがあり、受粉して種ができて、その種をまいたら現在の染井吉野の原型となる桜ができたのだと考えています。それを偶々と考えるか、植木屋さんが作ったと考えるかの違いだとおもいます。記録が残っていれば、染井吉野を流行させた植木職人さんの名前は間違い無く後世に残ったと思います。残念ながら記録は残っていません。
それはともかく、折角できたきれいな桜を売り出すにあたり、古代から有名だった奈良の「吉野桜」として売っていたそうです。しかし、本家本元の奈良県の吉野桜とは関係が全くない品種ですから、1900年(明治33年)に「吉野桜」は「染井吉野」と改名させられています。それでも「吉野」が残っています。千葉県にあるのに「東京ディズニーランド」と名付けるようなモノでしょうか?
いずれにせよ、きれいなピンク色で大ぶりの花を付ける染井吉野は瞬く間に日本中に広まりました。今、桜並木で見る桜の多くはこの染井吉野です。染井吉野は実生(みしょう)ができません。種から苗木を作ることができないのです。というか、染井吉野は、ほとんどの場合「サクランボ(果実)」が生りません。つまり「種」ができません。そのため、同じ染井吉野を「作る」には接ぎ木という方法が必要です(注2)。
接ぎ木を簡単に説明しましょう。接ぎ木には2つの桜が必要です。1つは大島桜(他の桜でも可)の根元、もう一つは芽のついた染井吉野の枝です。
大島桜を根元で切り、その切り口に染井吉野の枝を植えます。そうすると、概ね2年経過すると染井吉野が生えてくるのです。一種の臓器移植です。このように「人手」を借りないと染井吉野は増えることができません。自然界では自力で繁殖できないのです。それにしても、元の大島桜はどこに行ってしまうのでしょうか。根を貸すだけです。なんだかかわいそうですね。「接ぎ木」を考えついたのは誰か不明です。
そういうわけで、ワシントンのポトマック河畔の桜も、目黒川の桜も、靖国神社の桜も、弘前城の桜も、染井吉野なら遺伝的には同一です。全国各地の染井吉野のDNAを調べた研究がありますが、全て同一でした。つまり、日本中の染井吉野は一本の木から産まれたクローンです。
そのため同一地域に生えている染井吉野は一斉に咲いて、一斉に散ります。そのように個性が無いのが、個性であるとも言えます。桜は、ほかにも多くの品種がありますが、日本でも世界でも染井吉野はその美しさで人気があります。これに対して、野生の桜は同一品種でも少しずつ違いますので、開花時期が微妙に違います。
写真2:染井吉野の桜並木(@東京駅側にある八重洲さくら通り)
写真2は典型的な染井吉野の桜並木です。隣り合わせている桜も対面の桜も桜同士が重なり合うように咲いています。このように「重なり合う」のが染井吉野の特長です。
写真3:船山桜
写真3:染井吉野の仲間:船山桜です。花の真ん中に緑の葉っぱが見えます。
写真4-1:左)船山桜、右)染井吉野
写真4-2:説明図
写真4-1:向かって左が船山桜、右が染井吉野です。花の違いがわかるのと、花がほとんど重なっていないのがわかると思います。写真4-2がその説明図です。ソメイヨシノ同士なら、重なります。実はこのような写真を撮るのは極めて難しいのです。なぜか?それは日本中の桜並木のほとんどが染井吉野並木だからです。染井吉野の中に別の桜を植えてある場所はほとんど無いと思います。偶々、この「船山桜」の咲いている桜並木を散歩していて、この桜が周りの染井吉野と重なり合っていないことに気づきました。
写真5:葉桜になりつつある染井吉野
写真6:別な桜では花も葉も重ならない
写真5:葉桜になりつつある染井吉野を示します。見事に葉が重なっていますね。
写真6:近くに生えていても、別な桜では花も葉も重ならないことを示しています。見事に分かれています。
写真2~6で示したいのは、
ということです。染井吉野は全てが同一の遺伝子を持っているので、隣同士になって枝が重なり合っても、それを「非自己」とは認識しません。だからどんどんと重なります。一方、種類が違う桜だとお互い「違う」と認識し合うので、花も葉も重なることが少なくなります。
染井吉野は花も葉も重なり合い、その下を歩くと実に気持ちが良いですね。これはこの染井吉野の長所です。しかし、枝が重なると今度は日照が悪くなります。下にある葉には日光が届かなくなります。そうなると段々と樹勢は衰えてきます。
つまり、近くに染井吉野を植えると、長所が短所に変わる時が早くやってきます。概ね30~40年で染井吉野の樹勢は衰えてきますが、十分に間隔をとって植えると、寿命が延びてきます。この辺りの兼ね合いは難しいですね。一般的に、染井吉野の寿命は60年とされていますが、例えば弘前公園の桜は樹齢が120年を越えて日本最古の染井吉野とされています。上手に育てると寿命が延びるのでしょう。
写真7:靖国神社の銀杏並木
銀杏には雄木(おぎ)と雌木(めぎ)があり、同じところに植えても、葉の色つき具合が違います。つまり、同じように見えても少しずつ違うのです。靖国神社の銀杏には雄木も雌木もあります。多様性があるのですね。
写真8:神宮外苑の銀杏並木
靖国神社とは違って写真8のように揃って同じように咲く銀杏もあります。
「あれ?変だな?何か染井吉野と似ている」と思いませんか?
そうです。最近植える銀杏は、ほとんどが雄木になっています。なぜかと言うと、雌木はギンナンが生るので、落ちると酪酸の匂いでとても臭くなるからです。ですから染井吉野と同じ方法で、雄木だけ接ぎ木をして増やしているのです。だからここに見える銀杏は全て、多分、同一の遺伝子を持ったクローン銀杏です。だから一斉に紅葉し、一斉に散ります。
桜の話から、横道にそれてしまいましたが、染井吉野やこの神宮外苑の銀杏のように一斉に咲いて(紅葉して)、一斉に散る方が「きれい」かもしれません。しかし、私は野生の桜や靖国神社の銀杏のように多様性がある方を好みます。色々な人がいた方が面白いのと同様です。同一の遺伝子植物だと、もしある種の病原菌に感染すると一斉に枯れてしまいます(注3)。そういう意味でも多様性が大切です。
「みんなちがって、みんないい」(金子みすず:「わたしと小鳥とすず」より引用)のです。
本居宣長は古事記の研究で有名な国文学者ですが、元は小児科医です。小児科医のかたわら、古い文献の研究をしています。凄いですね。この辺りの話は、いつかまた…
染井吉野は日本に何本、植えられているでしょうか?実際に植えられている本数は数百万本あるでしょうが、皆同一ですから、「1本」が正解かもしれません。アメリカの生物学者リチャード・ドーキンスは「クローンはたくさん生えているように見えるが、同一の巨大生物と考えた方が良い」と記しています。
欧州でオリーブの木100万本を枯死させた「ピアース菌」(Xylella fastidiosa:キシレラ・ファスティディオーサ)がマヨルカ諸島の「サクラ」の木から見つかっています。もし、染井吉野に病原性が高く、伝播しやすい細菌が感染したらと思うとぞっとします。
今、山梨県北杜市にある樹齢2000年?とも言われる「山高神代桜(やまたかしんだいざくら)」は4月上旬に満開になります。エドヒガンザクラです。夜に見ると、何となく「恐ろしい」感じがします。
写真9-1:山高神代桜(開花前)
写真9-2:山高神代桜(開花後)
日本三大桜の1つです。ほかは福島県の三春滝桜(みはるたきざくら)と岐阜県の根尾谷淡墨桜(ねおうすずみざくら)です。
望月吉彦先生
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