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057:ペニシリン2:「ペニシリンの発見及びペニシリンがお薬になる」までのあり得ない偶然の数々の物語(2) 人間到る処バイキンあり(8)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

メディカルコラム

望月吉彦先生

更新日:2017/4/3

ロンドンの1928年9月3日は、なぜか、涼しかった…

承前、ペニシリウム・ノターツムという、フレミングの実験室階下で培養されていた青カビが、フレミングのペトリ皿に落ちたという「偶然」の話まで前回お伝えしました。
この青カビがフレミングの実験室の細菌培養用ペトリ皿に落下したのも大変な偶然ですが、さらなる偶然がこの年、フレミングの実験室があったロンドンで起きていたのです。それは「気温」です。

ロンドンの夏は結構涼しいのですが、フレミングのペトリ皿に青カビが落ちたこの年(1928年)のロンドンは例年と違いとても暑かったのです。本来であれば、青カビがペトリ皿で発育できないとされるくらいの暑さだったのです。しかし、フレミングがペトリ皿を開けて旅行に出かけてしまったとされる、まさにその日(1928年9月3日)、気温が下がったのです。気温が下がった日が数日続き、その間に青カビがペトリ皿内で先に発育し、暑さがぶり返すとブドウ球菌が遅れて発育してきたのです。この数日間の気温変化が無ければ、青カビと細菌が一緒に育つことはなく、一緒に育たなければ青カビが分泌する物質(後のペニシリン)について気づく訳もなく、人類のペニシリンの発見にはまだ時間がかかったかもしれません。
後年、青カビとブドウ球菌は一緒に生えないことに気づいた研究者がいて、1928年の気温を調べたら、上述の如くの気温変化があったことがわかり、“こんなことはありえない。この気温変化こそ、ペニシリン発見に至る一連の偶然の中の「偶然」である”と書いています(注:今の様に空調設備がある時代ではない事を留意してください)。

さらに偶然が続きます。
前回も書きましたが、そもそも青カビ周囲のブドウ球菌が死滅していたのを見ても、普通は何も考えずに捨ててしまうと思います。実際にフレミングがこの発見を周りの研究者に見せても彼らはあまり関心を持たなかったのです。しかし、フレミングは「鼻汁に含まれている物質(リゾチーム)で細菌が死滅すること」を発見していましたので、自然界に抗菌物質(=細菌を殺す物質)が存在することを自分で確かめていたのです。ですから青カビ周囲に菌が生えていないのを見て、青カビから「リゾチーム」と同じような抗菌物質が分泌されているのだと確信し、青カビが分泌している物質を追求します。青カビを液体培養し、その抽出液をブドウ球菌が生えている培地に振りかけました。すると、あっという間にブドウ球菌は死滅しました。1000倍程度薄めてもその効果は変わりませんでした。フレミングは、この青カビが分泌する物質を「ペニシリン」と命名しました。しかし、残念なことにフレミングが発見したこの「ペニシリン」は不安定で数週間で、殺菌効果が無くなります。青カビが分泌する物質の本体もよくわかりませんでした。「ペニシリン」はブドウ球菌や連鎖球菌、肺炎球菌、髄膜炎菌の様なグラム陽性菌を死滅させます。フレミングが実験していたのは、まさにそのブドウ球菌でした。ほかのグラム陰性菌(例えば、コレラやペスト、大腸菌)の実験をしていたらペニシリンの効果はわからなかったでしょう。これもある意味、偶然です。
まだ、まだ偶然が続きます。
フレミングは「青カビがペニシリンという物質を分泌すること、ペニシリンはきわめて殺菌力が強いこと」を1929年の「イギリス実験病理学雑誌」に発表します。これが後々、非常に大きな意味を持ちます。フレミングは学会でもこの発見を発表するのですが、こちらは省みられること無く終わってしまっていました(なお、この論文は日本にも届いていました。名古屋大学にです。この論文が日本にあったことが、太平洋戦争のために情報遮断されていた日本におけるペニシリンの研究開発に役立ったのです)。
この論文が雑誌に掲載された1929年のことです。 後にフレミングと一緒にノーベル賞を受賞するフローリーとチェインは、フレミングが1922年に発見した「リゾチーム」に興味を持ち、実験を開始します。1929年1月17日付のフローリーの実験ノートに「リゾチーム」の見出しと、さまざまな臓器抽出物を「フレミング」に送ったという記述があるから、そういうことがわかるのですね。実験ノートは大切です。この3人は、後にノーベル賞を一緒に受賞するのですが、当時はそんなことは夢にも思わなかったでしょうね。
それから9年が経ちます。1938年のことです。フローリーとチェインのチームは「リゾチーム」とは別の抗菌物質を探していました。「リゾチーム」は抗菌力が弱いからです。その時に、偶々!読んだのが、1929年に掲載されたフレミングのペニシリン発見に関する論文でした。「リゾチーム」に続いての抗菌物質ですから「また、フレミング先生か?」とでも思ったかもしれません。

一方、この頃、フレミングは何をやっていたかと言うと、

  • 1. ほかにも抗菌物質を分泌するカビが無いかどうかを捜し続けていました。
    注:ほかには見つかりませんでした。
  • 2. ペニシリン・ノターツムという青カビを大切に保存し、小分けし、英国の色々な研究室に配っていた
    注:ほとんどの研究室では無視されています。当たり前です。カビを送られても、困ったでしょう。

その小分けされた青カビは、上述の如く、リゾチーム研究ですでにフレミングと知り合いだった「フローリーとチェイン」が所属する研究室にも届いていました。チェインは、実験助手が、カビが生えている培養フラスコを運んでいるところに遭遇し、「何のカビか?」と問うと助手は「フレミング先生から送られてきたペニシリン・ノターツムという青カビです」と答えたのです。ですから「ペニシリン・ノターツム」の研究を開始しようとしていたフローリーとチェインは、直ちに実験を開始できたのです。こう言うことは、とても大切です。普通は、フレミング先生に依頼状を書いて、送ってもらったりしなければいけません。今なら、秘密保持契約を交わしたり、色々と面倒な手続きが必要でしょう。後に、フローリーとチェインは「我々はペニシリンを研究した。なぜならそのカビが自分の実験室にあったからだ」と書き残しています。

しかし、これは、偶然でしょうか? 私は、偶然半分、必然半分だと思っています。フレミングの真面目さ、丁寧さが、この偶然を生んだと思います。
ここで、当時のフローリーとチェインの立場を紹介します。

  • 1. オーストラリア人でオックスフォード大学の病理、生理学者ハワード・ウォルター・フローリー(Howard Walter Florey, Baron Florey、1898 1968):1935年からオックスフォード大学病理学教授。
  • 2. ユダヤ人の血を引いたために迫害されてナチス・ドイツからイギリスに逃げてきていたドイツ人 生化学者エルンスト・ボリス・チェイン(Ernst Boris Chain:1906-1979):1935年からオックスフォード大学病理学講師。

要するに、1935年から、フローリーとチェインはオックスフォード大学病理学教室で働いていたのです。

フレミングから送られた青カビ「ペニシリン・ノターツム」を利用して、フローリーとチェインは、フレミングが諦めてしまっていた「ペニシリン」の精製に挑戦します。実験すること2年、1940年に純度0.02%のペニシリンの精製に成功しています。それを2匹のマウスに注射します。マウスは死にませんでした。実は、もし、この実験に使われた動物がモルモットだったら、状況は変わっていたと言われています。動物実験の段階で実験終了となっていた可能性が高いのです。ペニシリンは、モルモットにとっては有害物質で、投与すれば、死んでしまったでしょう。使った実験動物がモルモットで、ペニシリン投与により死んでしまったら「毒か?」と思って実験を止めてしまった可能性もあります。マウスを使ったのも、運が良かったのです。これも偶然のひとつでしょう。
フローリーとチェインは、この時点でペニシリンの抗菌力がとても強いことに気づきました。100万倍に薄めても細菌の発育を抑制することがわかったのです。さらに精製技術を上げて、純度を高めることを目指し、0.02%から3%まで上げることができたのです。

今回は、フレミングができなかったペニシリンの精製をフローリーとチェインが成功したところで、終わります。
次回は、この後、フローリーとチェインの成功が、後に国家間の争いにまで発展してしまったというお話を含め、まだまだ続く、ペニシリンに纏わる多くのあり得ないような「偶然」のお話を続けます!

関係無いような、あるような追記

これは健康な8歳男児の手にいるバイキンを培養した写真です。

8歳男児の手にいるバイキン

出典:http://www.microbeworld.org/component/jlibrary/?view=article&id=13867

さまざまなバイキンがいることがわかると思います。
この写真には少なくとも「ブドウ球菌」、「ミクロコッカス」「セラチア菌」「バシラス属」がいて、それぞれの細菌は「色」を持っています。
なんで、こんなことを書くかというと、フレミングの趣味!はこの細菌が持っている色を用いて「絵」を書く事だったのです。そういう「趣味」があったことも、ペニシリンの大発見につながったと思います。残念なことにフレミングが書いた「細菌絵画」は残っていません。バイキンの繁殖する数時間だけ「絵」になったのですね。今なら、デジカメ、スマホで簡単にカラー写真が撮れるので、残すことができると思いますが、カラー写真など夢の時代のことです。

【参考文献】

  1. 奇跡の薬―ペニシリンとフレミング神話 グウィン マクファーレン (著), 北村 二朗 (訳) 平凡社刊
  2. 碧素・日本ペニシリン物語 角田房子(著) 新潮社刊
  3. ペニシリンに賭けた生涯―病理学者フローリーの闘い レナード・ビッケル (著), 中山 善之 (訳) 佑学社刊
    他多数あり。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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