望月吉彦先生
更新日:2017/2/20
アルゼンチンの英雄と言えば、サッカーのマラドーナでしょう。その、マラドーナと並び称されるくらいアルゼンチンで、尊敬されている医師がいます。それはアルゼンチン出身の心臓外科医ファバロロ(René Gerónimo Favaloro:1923-2000)先生です。
20年以上前の話です。赤坂にあったアルゼンチン料理屋さんで、食事をとっていたときのことです。周りには、多くのアルゼンチン人がいて、酔っ払いながら大声で「マラドーナの歌」を合唱していました。その人達に「ファバロロっていうアルゼンチン人の医者を知っているか?」と聞いたら、全員が知っていました。なんで、お前は知っているんだと聞かれたので、私は心臓外科医でファバロロ先生のことは、深く尊敬していると伝えました。それからは「マラドーナ」の代わりに「ファバロロ」の名の連呼で大騒ぎでした。ファバロロ先生は、マラドーナと同じくらい、一般のアルゼンチン人にも愛されているんだなあと思いました。なぜ、ファバロロ先生が英雄か、お話ししましょう。
冠動脈疾患の外科手術の代表は冠動脈バイパス術です。今上天皇陛下が、この手術を受けられたことで、一躍有名になりました。この手術の創始者がファバロロ先生なのです。
心臓を栄養する冠動脈は3本あります。本流から支流へと細かく枝分かれします。そして、それぞれの枝には番号が付いています。
#1 #2 #3 #4PD #4AV #5 #6 #7 #8 #9 #10 #11 #12 #13 #14 と記します。住所番地のようなモノで、世界共通の番号です。冠動脈を造影して、どの冠動脈が、どれくらい狭くなっているかを調べて、冠動脈の状態を記載します。
例えば、「#5 90%」と記載されていたら、それは、「左冠動脈主幹部という場所に90%の冠動脈狭窄がある」ことを示しています。90%狭窄とは、本来あるべき血管が90%閉塞していることを示します。狭窄している血管の場所と狭窄箇所、狭窄程度で治療は決まります。
狭窄している冠動脈が「危ない」状態で無ければ、お薬での治療が優先されます。「危ない状態」とは、狭窄している血管が、もし閉塞したら「死亡」する可能性があるという意味だと考えてください。冠動脈が「危ない」状態であると判断されたら、次に行うのは、カテーテル治療または冠動脈バイパス術です。冠動脈が
などの状態だと判断された場合は、冠動脈バイパス術が推奨されてきました。
冠動脈が完全に詰まると心筋梗塞を生じます。心筋梗塞を生じるとその部位の心筋は機能しないことになり、その範囲が広いと心不全になります。ある種の弁膜症が生じることもあります。死に至るような不整脈を生じることもあります。
そのような怖い状態が生じないようにする手術がいくつか考案されました。最初に「狭窄した冠動脈部分を別な血管に置き換えたらどうか?」と考えたのがアメリカ人のMurray医師でした。1953年のことです。しかし、この方法は普及しませんでした。血管が細すぎて交換した血管がほとんど閉塞してしまったからです。
そこで、「狭くなっている冠動脈はそのままにして、その先に別の道を作ろう」と考えたのがアルゼンチン出身で、アメリカのクリーブランドクリニックに留学していたファバロロ先生です。1968年、ファバロロは医学の歴史に残る論文を著します。それは
「Saphenous vein autograft replacement of severe segmental coronary artery occlusion: operative technique. Ann Thorac Surg. 1968 Apr;5(4):334-9.」
という論文です。 この論文でファバロロ医師は下肢にある大伏在静脈(saphenous vein)を用いて冠動脈バイパス術を180人の患者さんに施行したことを報告しています。実は、同じ手術を、ファバロロ先生以外にも、思いついた先生がいて、ファバロロ先生よりも以前にこの手術を行っています。色々な文献を調べると冠動脈バイパス術を行ったのはファバロロ先生が3番目です。しかし、180人という多数症例にこのバイパス手術を行って、きちんと論文にしたのはファバロロ先生が最初です。以前にも書きましたが、思いついたこと、新しい発見は、論文にして早期に発表することが大切です。後から「実は俺たちの方が同じことを先にやっていた」と論文に書いても、どうしようも無いのです。そういうわけで冠動脈バイパス術の創始者はファバロロ先生ということになっています。 医学の歴史に残る偉大な業績です。それゆえに、アルゼンチンでは、マラドーナと並び称されるくらいの「英雄」だったのです。
ここで、冠動脈バイパス術の説明をしましょう。冠動脈バイパス術は、狭い冠動脈の先に別の道を作ってあげることです。道路によくある「○○バイパス」とコンセプトは一緒です。本来の冠動脈が狭くなっている、或いは完全に流れなくなっているので別の道(バイパス)を作りましょうということです。私は、実は、この手術がしたくて心臓外科医になったのです。30代半ばに何とかこの手術が、出来るようになりました。1年間で180人の患者さんに、この手術を行った年もありました。来る日も来る日も、バイパス術を行っていました。しかし、その後、カテーテルによる冠疾患治療が普及するようになると、冠動脈バイパス術の件数は激減します。医学の進歩は素晴らしいことですが、ちょっと哀しさを感じた私です。
今でもこの手術は冠動脈の外科的治療の基本術式です。この手術について、色々とお目にかけようと思います。図1は、冠動脈バイパス術の模式図です。狭いところの先にバイパスを作っているのがおわかりになりますでしょうか?
図1:冠動脈バイパス術の模式図
(心疾患の診断と手術:南江堂 新井達太著より引用)
一見すると、簡単な手術と思われるかも知れません。しかし、「言うは易く、行うは難し」です。なぜ「難しい」かと言うと、冠動脈は直径が1-3mmしかないからです。昔は、そういう所に血管を吻合する技術が無かったのです。吻合する技術(糸、吻合方法など)を確立し、広く使えるようにしたのが、ファバロロ先生なのです。次回に続きます。
望月吉彦先生
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