望月吉彦先生
更新日:2019/11/18
前回ご紹介したパルスオキシメーターは、動脈血にどれくらい酸素が含まれているか(=動脈血酸素飽和度)を測定できます。
動脈血酸素飽和度の海抜0mで測定するなら95%以上が正常値です。もしその値が90-95%なら軽度呼吸不全、90%以下は呼吸不全を示し酸素の投与を要します。指にパルスオキシメーターを付ければ、10秒程度で動脈血酸素飽和度が測れるのです。
くどいですが、パルスオキシメーター出現以前は、動脈血を採取して酸素飽和度を測定していました。動脈血の採取は、普通の採血と違い熟練を要します。動脈血採血自体が少し難しいのです。動脈血を採取しても、その測定には特殊な大型機械が必要でした。一般のクリニックに置けるような機械ではありません。でも今は違います。簡単に動脈血酸素飽和度を測ることができます。そういう夢のような装置の原理は日本で発表され、試作品が作られました。
今回は、下記(1)~(3)についてご紹介しようと思います。
について記します。次回は(1)~(3)に続き、
などについてのさまざまなお話を紹介しようと思います。
順を追って説明いたします。
まずはパルスオキシメーターの原理の説明をしましょう。難解だと思われるでしょうが、原理はシンプルで“美しく”、“エレガント”です。
図1:コニカミノルタ社のサイトから引用です。
(https://www.konicaminolta.jp/healthcare/knowledge/details/principle.html)
血液は「赤い」ですね。これは赤血球の中にあるヘモグロビンという色素の色です。ヘモグロビンは酸素と結合すると「鮮やかな赤色」を示します。いわゆる動脈血の色です。酸素が少ないと「黒っぽく」なります。いわゆる静脈血の色です。採血される血液は黒っぽいですね。これは酸素が少ない静脈血だからです。
さて、動脈血酸素飽和度とは、動脈血の中で酸素と結合しているヘモグロビンがどれくらいあるかを調べることです。簡単に言うと、酸素が多く含まれている動脈血は「赤い」ので赤さの度合いを測定すれば良いのですね。パルスオキシメーターは赤色を発するLED部分とその光をうける部分とでできています。
赤色を発すると記しましたが、実はこの赤色は2種類出ています。
の2種類です。1.の普通の赤い色の光は動脈血の色で透過性が変わります。動脈血酸素飽和度が低い黒い血液は、光を通さないのです。一方、2.の赤外光は「黒い血液」も「赤い血液」も同じくらい通します(図1参照)。つまり、1と2の光の通過具合を比較すれば、酸素飽和度が測定できるのです。
図2にその原理を示します。R(Red:普通の赤色)、IR(Infra Red:赤外光)です。
図2:パルスオキシメーターの原理図
センサーで受ける赤い色=Rと赤外光=IRの比率(R/IR)を感知することができれば、血液の「赤色度」=酸素飽和度がわかることになります。簡単な原理です。青柳卓雄氏自身「こんな旨い話がこんな手近なところにあるとは信じ難いことだった」と記しています(文献5)。
この原理を青柳氏が「1972年」に考えついたのは偶然です。もっと以前でも、もっと後でも不思議はありません。パルスオキシメーターの普及には特殊な機器、電子回路、パソコンのソフトなどが必要でしたが、原理を考えつくのに特殊な機械が必要なわけではなく、何時、その原理が考えつかれても不思議ではありません。パルスオキシメーターの原理を1972から1974年にかけて、日本人研究者が全く別々に発見した「偶然」をとても面白く感じます。
前回簡単に触れましたが、日本光電だけでなく、コニカミノルタでもパルスオキシメーターが開発されていました。コニカミノルタ製のパルスオキシメーターは2つの特色を持っていました。
そして、コニカミノルタはパルスオキシメーターをアメリカに持ち込んで臨床試験を行いました。1970年代半ば、コニカミノルタがパルスオキシメーターを持ち込んだ先のひとつがスタンフォード大学の麻酔科でした。
現在、麻酔事故が起きればニュースになりますが、1970年代、麻酔事故は頻繁に起きていて、麻酔事故はニュースになるようなことはあまり無かったと思います。酸素不足やお薬の過剰投与による低酸素血症による麻酔事故が結構起きていたのです。そういう時代でした。スタンフォード大学の麻酔科医師にニュー医師(Dr. William New Jr.:1942-2017)は、この「日本発祥の」パルスオキシメーターを有効に使えば麻酔事故が劇的に減ると気づいたのです。
今から考えると当たり前のことですが、当時この重大事に気づいたのはニュー先生だけでした。多くの日本人の医師も、この機器を使っていましたが、この重大事に気づいた方はいなかったのです。いても、自ら工業化して世界中に広めようと考えた方はいなかったと記す方が正しいかも知れません。
ニュー先生は違います。麻酔科医として働くのを止め、ネルコア社という会社を設立し、このパルスオキシメーターの改良と普及に取り組みます。改良に次ぐ改良を行い、ついに1981年、ネルコア社は自社製のパルスオキシメーターの開発に成功します。とても使いやすい機械でした。
その機械は世界中で売れまくりました。私が医師になって最初に使ったパルスオキシメーターもネルコア社製でした。まだ初期の製品で、かなり高価でしたが、とても使いやすい機械でした。
日本では当時、手術室への導入はあまり進んでいませんでした。本格的に麻酔器に装着され始めたのはおそらく、1980年代後半だと思います。それまで麻酔中の患者さんの動脈血酸素飽和度は、「顔色を見る」か「動脈血を採取しての直接分析」しかありませんでした。
1980年代後半から1990年代にかけて、パルスオキシメーターがほとんどの手術室に配置されるようになり、麻酔科医、外科医、手術スタッフの誰でもリアルタイムに動脈血酸素飽和度を知ることができるようになったのです。これは画期的でした。日本中で麻酔事故が激減したのです。それはアメリカでも世界でも同様です。色々な推定がありますが、おそらくは50分の1に減ったとされています(文献6)。ニュー医師の推測は正しかったのです。
ニュー医師のパルスオキシメーター改良にかける熱意、意思により、この機械が世界中に広まり、多くの患者さんが助かりました。素晴らしいことです。こういう医業と工業を結びつけることを「医工連携」と言います。恐らく、ニュー医師は、医学はもちろん工学にも知識があったのでしょう。日本で、この機械の価値が解った医師も多かったと思います。しかし、職を辞してでも、この機械を改良してやろうと思った日本人医師は皆無だったのが少し残念です。
パルスオキシメーターが普及し始めた当時のことです。患者さんの「顔色」を見て動脈血酸素飽和度を推測!していた麻酔科の先生の一人が「こんな機械(パルスオキシメーターのこと)があると“麻酔科医は患者を見なくなる”」と言って怒っていたのを懐かしく思い出します。もちろん、その先生が間違いです。「顔色で推測した動脈血酸素飽和度」と「パルスオキシメーターで測定した動脈血酸素飽和度」の間には天と地ほどの差があります。比べることができません。今では、パルスオキシメーター無しの麻酔器は考えられません。それは世界中の手術室でも同様です。
ニュー医師が興したネルコア社はアメリカの会社ですので、パルスオキシメーターはアメリカで発明された機械だと思っていました。
ある時、日本光電の方と話す機会があり、原理は日本それも日本光電で考えられたと知りびっくりしました。それから、折節、パルスオキシメーター関連の論文や文献を読むようになったのです。そうしたある時、カリフォルニア大学の麻酔科のセブリングハウス教授と千葉大学生理学本田良行教授がパルスオキシメーターの歴史について記した論文を読む機会がありました(文献8)。
その論文名は「History of blood gas analysis. VII. Pulse oximetry.」です。そのものズバリです。
パルスオキシメーターの原理の発見者は Takuo Aoyagi 氏だと書かれています。前回紹介した「手書きの日本語論文」も紹介されています。恐らく、本田教授が日本語から英語に翻訳して、セブリングハウス教授に紹介したのだと思います。セブリングハウス教授は血液ガス分析の大家ですから、この論文が世界中で引用され、青柳卓雄氏がパルスオキシメーターの原理の発見者であることが世界中に知れ渡りました。セブリングハウス教授に感謝しないといけないですね。
セブリングハウス教授と本田良行教授が、青柳卓雄氏の論文をいかにして発見したかの経緯が(文献9)に詳しく書かれていますので、簡単に紹介しましょう。
1986年、カナダのバンクーバーであった国際生理学会でセブリングハウス教授と本田良行教授が出会います。セブリングハウス教授は当時、米国でそして世界で急速に普及しつつあったパルスオキシメーターの歴史を書くつもりでいるが、どうも日本に「パルスオキシメーターの元」があるらしい、「コニカミノルタの Nakajima が論文を書いているらしい」ので調べて欲しいと本田教授に依頼したのです。
本田教授が調べたら「コニカミノルタの Nakajima」ではなくて、「北大の中島先生が世界で最初のパルスオキシメーターの臨床応用論文」を発表していることがわかりました(文献3)。本田教授から中島先生に連絡が行き、中島先生が使用したパルスオキシメーターは日本光電製であること、その原理は青柳氏が論文にしていることがわかり、それがセブリングハウス教授に伝わり、論文になったのです。実に面白い話です。インターネットでもこの論文は公開されています(http://jairo.nii.ac.jp/0010/00004517)。是非、お読みください。
色々な偶然と、セブリングハウス教授の熱意がなければ、今でも、パルスオキシメーターは米国で最初に発明された機械と誤解されていたかも知れません。
図3 1:心電計+パルスオキシメーター、2:携帯型パルスオキシメーター、3:旧来のパルスオキシメーター
どんどん小さくなり、値段も数千円になり、Amazonでも購入できるようになりました。隔世の感があります。
最近パルスオキシメーターで測定不能なことを多々経験するようになりました。爪へ過度な「ネイルアート」が施されているためです。
ネイルアートが施されていると、パルスオキシメーターを装着しても光が透過しないため、測定不能です。
この程度の色のネイルアートなら、赤色光も、赤外光も透過しますので、酸素飽和度の測定が可能です。
しかし、黒いネイルアートを施すと、測定できません。光が指を透過しないからです。少しだけ、このようなことを頭に置いてネイルアートを施してください(手と足は違う色で、または手と足の一方のみネイルアートを施すetc.)。
ま、本当のところ裏技があり、いくらネイルアートを施していても測定はできるのですが、少し面倒です。
ネイルアート、マニキュアとパルスオキシメーターに関する論文は多数出ています。
例:「パルスオキシメータにおけるマニキュア使用と外乱光の影響についての基礎的検討:医科器械学 73(4), 207, 2003-04-01」など。。
望月吉彦先生
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