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031:自分の血管を17回も切って実験を行った医師:フォルスマン 冠動脈疾患(3)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2016/02/22

前回は動脈硬化が加速するとどうなるか、実際の症例でお示ししました。今回は、冠疾患の診断に必要なカテーテルの「創始者」についてお話します。
まず、「カテーテル」とは「中空の柔らかい管」のことです。ドイツ語では”Katheter”と表記され「カテーテル」と読みます。英語では“catheter”と表記され「キャシーター」と読みます。日本では一般的にドイツ流に「カテーテル」と呼称します。
元は尿道から膀胱にいれて膀胱から尿を出すための管です(図1参照)。
なぜ、それが心臓の治療や検査に使われるようになったかを今回の話題にしたいと思います。

尿管用カテーテルを心臓に入れた医師

図1 尿管に入れるゴム製カテーテル
図1 尿管に入れるゴム製カテーテル

図1は「尿管に入れるゴム製カテーテル」の写真です(今でも普通に使われています)。
フランス人医師ネラトンが発明したので「ネラトンカテーテル」とも呼ばれます。
カテーテルの太さ(外径)の単位はフレンチ(Fr)です。上記に色々なサイズのカテーテルを示していますが、例えば、18フレンチ=6mm の外径のカテーテルです。 Aフレンチ単位=A/3mm なのです。
19世紀にフランスの医療機器メーカーのJoseph-Frédéric-Benoît Charriéreさんが決めたので、当初はCharriére単位(Ch単位)としていたのですが、英語圏では「Charriére」の発音が難しいため、フランス製だから、フレンチ(Fr)単位と呼ばれる様になってしまいました。
しかし、フランスではフレンチ(Fr)単位ではなくてCh単位となっています。発音が難しい名前は「損」ですね。もう少し英語で発音しやすければ、本名が「単位」になるという栄誉が得られたからです。
なぜ「ミリメートル(mm)」にしないのかと時々聞かれましたが、フレンチ単位を使うと決まって世界中で使われているので、今更「mm」は使えないのでしょう。
ちなみに「1kg(キログラム)」を決めているのはフランスにある「kg原器の重さ:白金イリジウム合金製の分銅」で物理量ではありません。「kg原器の複製」を各国に配って、それに基づいて各国が1kgを定義しています。他の国際単位は全て物理量が決めています(2018年、それが変わるかもしれません)。

図2 ネラトンのお墓
図2 ネラトンのお墓

これは、ネラトンのお墓です。パリのペールラシューズ墓地にあります。ショパンのお墓のそばにあります。
ペールラシューズ墓地にはパリで亡くなられた著名人のお墓がたくさんあり、ちょっとした観光名所になっています。有名な作家、画家、化学者、医学者も沢山ここに眠っています。パリに行くことがあれば、訪れてみると良いかも知れません。あそこにも、ここにも知った名前があります。入り口で「お墓の位置が書いてある有名人一覧表」を購入することができます(参考文献6を参照ください)。

閑話休題、話を戻します。尿管に入れるゴム製のカテーテルがすでに広く使われていたのですね。このカテーテルを心臓に入れた医師の話です。

自分の左肘皮膚を切開して実験

図3
図3

これはカテーテル(尿管用)を人間の心臓の中に入れることができることを証明した世界で最初の写真です(1929年)。
この論文から始まった心臓カテーテル検査に関する研究に対して1956年にノーベル賞が贈られました。
これを撮影し、論文を書いたのはフォルスマンというドイツ人医師です。この写真は自身にカテーテルを挿入して撮影しているのです。

撮影したのは、1929年のことです(医師国家試験に受かったばかりの25歳の時です)。自分の左肘皮膚を切開して(!)肘静脈(ちゅうじょうみゃく)を露出してそこから尿管カテーテルを挿入したのです。
カテーテルを挿入後、歩いてレントゲン透視室に赴いてカテーテルを心臓付近へ誘導して撮影したのが、この図3のレントゲン写真です。
細い管が肘静脈 → 腋窩静脈 → 鎖骨下静脈→ 無名静脈 → 上大静脈 → 右心房を通っているのがお解りになりますでしょうか?自分で麻酔をして皮膚を切開していますが、麻酔をしても痛そうです。
私はこれまでにこの肘部の切開をたくさん行いましたが、両手で操作をしても肘静脈をきちんと出すのはそんなに簡単ではありませんでした。フォルスマンは、右手だけで切開し血管露出操作をしているのだから凄いと思います
さらに実験(?)終了後には切開した皮膚の縫合が必要です。どうやって片手で縫合したのか外科医としてはとても気になるところでもあります。一緒に実験に立ち会った看護師さんが縫合したのでしょうか?この辺りのことは論文には書かれていません。

実は元々、この実験は立ち会った看護師ゲルダさんに対して行われる予定でした。ゲルダさんは練達の外科看護師で彼女の協力が無ければこの実験は行うことは不能でした。ゲルダさんの体で実験を行うことを約束して実験に協力する約束を取り付けます。しかし、彼女が実験準備を整えて、彼女を手術台に乗せるとフォルスマンはそのまま彼女を手術台に縛り付けてしまいます。実験はフォルスマン自身の体で行ったのでした。
何故、直前になってこうした行動をとったのか、フォルスマンは後年「カテーテルを心臓に入れることが安全かどうか解らなかったので、自分の体を使った」述べています。今でも私なら絶対にこんな実験(?)は行いません。自分で皮膚を切開してカテーテルを挿入するのは怖いです、絶対にやりたくないです。

しかし、フォルスマンは決して「ただの危ない医師」ではありません。この写真が掲載されている論文(参考文献1)を読めば、「危ない医師」どころか際立って「合理的かつ科学的」な医師であることがわかります。
論文を読むと、まずこのカテーテル挿入実験の目的は、緊急時の心臓近くへの薬剤投与をするための方法を確立するためとあります。心臓用カテーテルが開発されるまでは、心臓へのお薬投与は胸壁から心臓へ向かって針をさして行っていたのです。

石川啄木の歌に「死にし児の 胸に注射の針を刺す 医者の手もとにあつまる心」:一握の砂(1910年)」という歌があるのをご存知でしょうか?これは啄木の子供が亡くなる前に心臓に針を刺してお薬を注入している光景です。要するに、心臓にお薬を入れるのには胸から直接心臓に針を刺して、お薬を注入していたのです。今でも、緊急時にそういう処置を行うこともあります。

フォルスマンはまず動物を用いてカテーテル挿入実験をしていますし、屍体を用いてカテーテルが肘静脈から心臓に到達するのを確かめています。そういうことを確かめてから自分の体で実験をしているのですね。論理がきちんとしています。
この人体実験の後も犬や自分の血管(静脈)を切開してカテーテルを心臓に挿入する実験を繰り返しています。自身の身体を使ったその回数は17回。何故17回で止めたのはもう切開する血管が無くなったからだと言われています。

一介の開業医がノーベル賞!

1931年、ドイツ外科学会で成果を発表しますが、無視、冷笑されます。医師だった叔父さんだけが学会発表の後に「このうすら馬鹿どもにはこの研究の価値はわからない。お前はいずれノーベル賞をもらうよ。」とフォルスマンを励ましています。「ご冗談を」と受け流したフォルスマンですが、後年、叔父さんの言ったとおりになったのです。
なお、当時のフォルスマンの上司だったザウエルバッハ先生はこの研究が気に入らず、中止を命じます。後に、この先生は医学史に残る大事件を起こします(参照文献7)。ザウエルバッハ先生は認知症になったのです。認知症になっても診療を続け、“とんでもない手術や診療”を行い続けたのです。それで多数の患者さんが死亡します。患者さんは実に可哀想です。ザウエルバッハ先生が悪かったというよりも周りが悪かったのだと思いますが、なかなか難しい話です。

さて、実験中止命令を受けたフォルスマンはどうなったかというと、病院を“クビ”になります。当然、心臓カテーテルの研究はそれ以降、行っていません。
フォルスマンは、病院を馘首(かくしゅ)されましたが、それでも別の外科医の指導を受けて泌尿器科医になります。尿管カテーテルを使った実験を行っていますので、そういう器具を使う泌尿器科の仕事が好きだったのかもしれませんね。その後、フォルスマンは第二次世界大戦で医師として従軍します。ここでもちょっとした逸話を残しています。
1945年、ドイツ軍が敗色濃厚になるとエルベ川を泳いで渡って対岸にいた連合国軍に投降して自ら捕虜になっています。そして戦後はドイツの片田舎シュバルツバルトで泌尿器科医として開業しています。
1931年を最後に、彼自身は心臓カテーテルの研究はもちろん行っていませんが、1932年にアメリカでクールナンド医師とリチャーズ医師はフォルスマンが1929年に書いた論文を読み、心臓カテーテルの研究を進めます。1941年にはアメリカで初めて心臓カテーテルを行い、その後も心臓カテーテルに関する研究を進め、心臓病の治療・診療に貢献します。その功績でこの二人も1956年にノーベル賞を受賞します。
しかし、受賞したのはこの二人だけではありません。52歳になっていた泌尿器科医フォルスマンも含めた三人で受賞したのです。フォルスマンは友人と食事をしていたとき、至急家に帰るようにという連絡が入り、家に帰ると「ノーベル賞受賞」の知らせでした。一介の開業医がノーベル賞をもらったという稀有の出来事です。以前も書きましたが、きちんと記録して論文にしていたおかげです。まさに叔父さんの予言は的中したのです。

自分の血管を使って実験を行ったフォルスマンのような医師がいたおかげで、心臓病の診断や治療に不可欠な心臓カテーテル検査が広まったのです。
次回は、ごく軽度の動脈硬化でも狭心症や心筋梗塞が生じることをお示ししたいと思います。

余談:
フォルスマンの子供の一人は心臓から分泌されるホルモンANP(Atrial natriuretic peptide)の研究で世界的に有名です。

【参考文献】

  1. フォルスマンのノーベル賞論文:
    Werner Forßmann: Die Sondierung des Rechten Herzens. Klinische Wochenschrift 8 (45), 1929, S. 2085-2087. 
    注:つい最近まで無料で公開されていたのですが今は読むのに多少のお金がかかるようになっています。フォルスマン死後50年は著作権があるので、課金しようと考えた人がいたのでしょうね。
  2. 人体探求の歴史:笹山雄一 著:築地書館
  3. 自分の体で実験したい。Mel Boring C.B. Mordan著:紀伊國屋書店
  4. 医学の古典をインターネットで読もう。諏訪邦夫著 中外医学社
  5. 心臓をめぐる発見の物語;Comroe JH Jr (著),諏訪 邦夫 (翻訳) 中外医学社
  6. ペールラシェーズの医学者たち: 岩田 誠 (著) 中山書店
  7. 崩れゆく帝王の日々―外科医の悲劇:ユルゲン・トールヴァルト(著)、 小川道雄 訳 へるす出版

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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