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010:万葉集より新年を祝う歌(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2015/01/19

明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
今回は新年号という事で、言祝ぎ(ことほぎ)歌を紹介させていただきます。万葉集に載っている大伴家持(おおとものやかもち)の歌のことです。
万葉集は奈良時代に編纂された日本最古の和歌集です。この中にはいくつか新年を祝う歌あるそうですが、中でも有名なのがこの歌です。

言祝ぎ(ことほぎ)歌

  1. 新     年乃始乃    波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰
  2. あらたしき としのはじめの はつはるの けふふるゆきの いやしけよごと
  3. 新しき年の始めの初春の今日降る雪やいや重け吉事
  4. 新しい年の初めの初春の今日、降り積もっている雪の様に良い事が、ますます重なってくれよ

1.が実際に万葉集に載っている歌。全て漢字で何がなにやら解らないですね。これは万葉仮名です。
この万葉仮名から類推した音読み(注:音読みは本来中国語の発音)が 2.です。
万葉仮名の時代の日本語の音韻体系は現代とは違っているので本当にこれが正しい読み方かどうかは不明です。少し解りづらい話ですが、当時の人は 2.の様に発音して和歌を作り、当時、仮名はまだ無かったので、適当に文字を当てたのが万葉仮名です。だから漢字に意味がある場合とあまり意味が無い場合があります。
「新」、「年乃始乃」はそれなりに意味があるとは思いますが、以降に使われている「波都波流能:はつはるの」などは完全に当て字(=万葉仮名)でこの漢字自体には全く意味がありません。暴走族が使う「夜露死苦/よろしく」、「仏恥義理/ぶっちぎり」の様なモノだと考えて頂ければわかりやすいかもしれません。余談ですが、「よ」、「し」、「く」に相当する万葉仮名はそれぞれ「夜」、「死」、「苦」なので、暴走族の中には万葉仮名に造詣が深いお兄さんがいたのかもしれないですね。それなら「ろ」も万葉仮名にすればと思われるかもしれませんが、「ろ」に相当する万葉仮名は「路」で、「よろしく」をそのまま万葉仮名にすると「夜路死苦」になり、さすがにそれでは、「夜路上で死んで苦しむ」になるので「路」だけは「露」に変えたのかもしれませんね。そこまで解って「夜露死苦」を作っていたのだとしたら、相当教養がある人が暴走族にはいたのでしょう。

万葉仮名については、もう一つ。時は下がり、平安時代(794-1192)になって平仮名、 片仮名が出来てはじめて、現代にも通じる様な文章(とは言っても、古い文章は簡単には読めませんが)が作られるようになります。とにかく、仮名が出来るまでは、このような万葉仮名が使われていました。
行田市の埼玉博物館に所蔵されている国宝:金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)に彫られている文字は、日本最古の万葉仮名だと言われています。金で装飾された文字が今でも普通に読めますので、ぜひ一度ご覧になってください。

閑話休題、
3.は現代の漢字仮名交じりに翻訳した歌です。
4.はそれをさらに私なりに解読した文章です。

万葉集成立当時、新年の雪はその年の豊年の吉兆として、愛でられていました。そう言えば、今年(平成27年)の1月1日、東京に雪が降りました。吉兆だったら良いですね。
万葉集に収められている葛井連諸合(ふじのむらじもろあい)作の歌
「新しき 年のはじめに 豊の年  しるすとならし 雪の降れるは」
も、正月の雪とその年の豊作を祈念した歌として有名です。この歌も勿論、本歌は万葉仮名で
「新   年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波」
です。なんだかこれでは全く解らないですね。

新年の雪は豊年の吉兆

万葉集最後の歌

話を大伴家持に戻します。家持作の「新しき年の始めの初春の今日降る雪やいや重け吉事」の方は別な事でも大変有名です。それは20巻4516首もある万葉集最後の歌だからです。この歌は家持が因幡国(現:鳥取県)に国守(現在の知事)として赴任していた時に詠んだ歌です。制作年、制作場所も解っています。制作年は天平宝字三年(759年)正月一日で、制作場所は因幡国庁(注:今で言えば県庁舎でしょう。鳥取県岩美郡国府町にその跡が残っており、今は史跡公園になっています。私は大学時代、ここから遠くない所で学生生活を送っていました。それでこの歌だけは詳しいのです)で、国郡司(今なら市長さん、町長さん)らをもてなした後に詠んだ歌です。
大伴家持は785年まで生きていますが、この歌以降は亡くなるまでの26年間、正式に記録されるような歌を詠んでいません。何か心境の変化があったのでしょうか?それは謎です。万葉集には「挽歌(死者を弔う歌)」、「雑歌(自然などを詠んだ歌)」、「相聞歌(恋の歌)」などが納められています。そんな万葉集の最後の最後に「良い事が沢山おこれ」と言う意味の歌を置いたのは一寸、洒落ていると思います。
因みに大伴家持は万葉集4516首中、479首も載っており、実質上の編纂者だと目されています。万葉集20巻のうち17-20巻は大伴家持の歌日記とも言われているように彼の歌とその歌を詠んだ時の心象風景が書かれているので、この17-20巻は家持の私家集とも言われています。759年以降、歌を残していないのは編纂に忙しかったのかもしれませんし、各地の国主を歴任しているので、そちらの方の仕事や政治に忙しかったのかもしれません。
それにしても奈良時代に庶民から天皇まで幅広い階層からどのようにして歌を集めたのでしょうか?紙も貴重で個人の間での文書のやりとりも簡単にできなかったと思いますが、どうやって膨大な歌の編纂をすすめたのかとても興味があります。それも地方の知事を行いながらの編纂ですから、郵便やe-mailが使える今だって大変だと思います。当時の政府内に歌編纂専門部署があったと想像されますが、記録は残っていません。謎です。

正月はめでたい?めでたくない?

話はまた変わります。私が面白いなと思う新年の歌は他に二つあります。
一つは高浜虚子の
「去年(こぞ)今年(ことし)貫く棒の如きもの」
で、もう一つは「とんち話」で有名な一休さんが晩年に作ったとされる
「門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」
です。
虚子の句は時の流れを上手く表現していて、気宇壮大で面白いですね。病跡学で解析すると、虚子は年末年始に食べ過ぎて便秘に苦しんで着想したと分析されてしまうかもしれません。(冗談です。)
後者は本当に一休さんが作ったかどうかは不明だそうですが、あの「とんちで有名な」一休さんならそれくらいの皮肉を言いそうですね。不吉と感じるかもしれません。しかし、一休さんは1481年に88歳でマラリアに罹患して(病跡学での推測)お亡くなりになっています。当時としては破格の長生きです。あまりに長生きしたのでこんな歌を作ったのかもしれませんし、ただ正月をめでたいとお祝いするだけではなくて色々な事を考えるのも必要だよと言っているのかもしれませんね。

因みに日本では古代から1960年代初期までは土着マラリア(日本に生息するマラリア原虫をもっているハマダラカによる感染)の発症が見られていましたが、土着マラリアは現在その発症は無く、マラリアは外国で感染した方が1年に100-150人発症するのみになっています。マラリアを媒介するハマダラカは日本に生息不能と言われていますが、デング熱の流行が見られたように何が起こるか解りません。温暖化、交通手段の発達があり、感染症は何時、パンデミックを生じるかわからないので注意が必要です。お気をつけください。

皆様に いやしけよごと(良い事が沢山)生じるように祈りつつ、本年最初のコラムを終えたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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