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人々を魅了する鍋

鍋 鍋の魅力再発見!
グラフ1 核家族化が更に進み、食事も家族バラバラと言われる中、ここ数年はその良さが見直され、むしろ家庭内における鍋の人気は高まり、その回数も増えている。左のグラフでも解るように、ここ数年の間に鍋を食べる回数が増えたという人が54%となっている。
グラフ2 その人気のヒミツについて、多くの人が鍋料理の良い所として、野菜を多く食べられるなど健康にも気をつかったヘルシー料理である事を意識している。健康な食生活のためには「1日30品目」と厚生労働省からも提案されているが、日常生活の中でそれを実現するのはかなり難しい。特に冬場は野菜の摂取が不足しやすい。そんな時こそ、一度に多くの種類の食品を食べられる鍋は理想の料理と言える。そして、やはり家族・仲間と囲む鍋は何よりも温かい。すさみがちな現代社会を救ってくれるのは、実は鍋料理なのかもしれない。

鍋鍋の出世物語

鍋料理とは一体いつからあるものなのだろうか?家族で同じ鍋をつつきあう風景は、いかにも昔から日本にあるもののようだが、実は鍋の誕生はそんなに古い事ではない。かつて、身分制度があった時代、夫婦・親子の間でも、食べる場所・食べる物が違う事がむしろ当り前であった。つまり鍋とは、そうした身分社会を乗り越えた民主主義的な料理であったのだ!

古代
調理用具・鍋の誕生

土鍋
調理用具としての鍋そのものの歴史は古く、古代遺跡からも土鍋が出土している。「なべ」の語源は「菜(な)を煮(へ)る」と言われ、おかずを煮る土器の事をさした。日本最初の漢和辞典「和名抄」では、金属性のものを「鍋」、土製のものを「堝」と書き分けており、その後、鉄製の鍋の普及にともない、土製の鍋については、わざわざ「土鍋」と言うようになった。

矢印
室町〜戦国
「汁」が鍋の起源

松尾芭蕉
松尾芭蕉も食べていた!
この時代の人々は、ご飯と「汁」もので、お腹を満たしてから「吸い物」をツマミにお酒を呑んでいた。「汁」はおかずであったわけだ。そして動物・魚介類を「汁」に仕立てた料理から鍋物が発展してきた。冬に猟をする狸や兎が「狸汁」「兎汁」となり、それらの「けもの汁」は熱いまま食べるので、煮ながら食べるという習慣が生まれた。当時、松尾芭蕉が句に詠んだ「ふぐ汁」とは今で言う「ふぐ鍋」の事である。

矢印
江戸中期以降
「小鍋立て」で流行に!

湯豆腐
福沢諭吉も食べていた!
「汁」ではなく「鍋」という料理になったきっかけは「小鍋立て」という料理方法の普及である。七輪・火鉢などに鍋をかけ、煮ながら食べるいわゆる「鍋」料理で、まずは湯豆腐・どじょう鍋などから始まった。
鍋料理が本格化したのは蘭学をおさめた医師たちの指導による養生のための「薬喰い」と言われた獣肉料理の専門店が増え始めてから。桜鍋(馬肉)・紅葉鍋(鹿肉)・ぼたん鍋(猪肉)が流行した。しかし、当時はまだ肉食を嫌う風習が強く、あまり上品でないお客か、緒方洪庵の家塾生しか通っていなかった。福沢諭吉も安政4年(1857)頃に牛肉を食べたが、あまり良い印象ではなかったようだ。

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明治時代
牛鍋食べてないの?
遅れてるー!

牛鍋
明治天皇も食べていた!
鍋料理が本格的に庶民の生活に入ってきたのは、明治以降。明治2年(1869)、江戸に牛鍋屋が相次いで開店。いわゆる「すき焼き」屋である。明治5年(1872)には、明治天皇自らが肉食の禁を破り、大ブレイクとなった。それは牛肉を食べて体力を増強しよう!という文明開化・富国強兵のシンボルであり、また一種の食の規制緩和でもあった。牛鍋を食べる事は庶民にとって、一番身近な文明開化だったのだ。

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