望月吉彦先生
更新日:2024/12/09
段々とインフルエンザが流行ってきました。皆様、どうかお気を付けください。さまざまな感染症で人類は苦しめられています。感染症の原因はさまざまです。ビールス(ウイルス)、細菌、真菌、プリオンなどです。原因がわかっても対策は簡単ではありません。
今回は、甲斐の国(現代の山梨県)では戦国時代から江戸時代にかけて、現代でも通用する医療を行っていたかもしれないという話を紹介します。感染症対策も現代と変わりない方法が行われていたことを示す文献も紹介します。
コロナ禍で感染拡大を防ぐために「3つの密(密閉・密集・密接)を避けること」が繰り返し、強調されました。
感染症は病原微生物であるビールス(ウイルス)、細菌、寄生虫などに接することで広がります。感染した患者さんは病原微生物を排出(咳、痰、鼻汁、膿、便などから)し、それらと接することで伝染病は次から次に広がります。広がるのを防ぐには3密を防ぐことが必要ですし、死亡率が高い感染症にかかった場合は患者さんを隔離することも必要です。
そんなことは当たり前と思われるでしょうが、この感染症にかかった患者さんを隔離することの必要性を「日本で、そしてもしかしたら世界で最初に文献にして書き残した」のは甲斐の国、市川大門(現在の山梨県西八代郡市川三郷町)の医師、橋本伯壽(はくじゅ:生年不詳-1822年没)です。
橋本は「断毒論(だんどくろん:1809年刊)」という本を著し、伝染病(天然痘・麻疹・梅毒・疥癬など)にかかった患者の隔離の必要性を論じています。橋本曰く、
「患者と接しなければうつらない」
「患者を避ければ免れ避けなければ冒される」
「中国で麻疹が多いのは人口が多いからだ」
「八丈島で麻疹流行は免れた。八丈島は人の往来が禁じられていたからである」
など、今でも通用する論を同書で述べ、実践しています。
感染症予防で世界的に有名なのはジョン・スノー医師(John Snow:1813年-1858年:享年45歳)です。1854年、ロンドンのコレラ禍を見事に収束させました。
ジョン・スノー医師よりもはるか以前、「感染症」の概念がない時代、甲斐の国では世界最先端の伝染病予防方法の恩恵を受けていた人々がいたのです。しかし、残念なことに当時の医学界で橋本の論は受け入れられませんでした。
歴史家の磯田道史が「感染症の日本史(文春新書)」の中で橋本伯壽の「断毒論」を取り上げ、絶賛しています。橋本伯壽が自分の発見を書き残したお蔭で、200年経った今でも我々は彼の思想を知り話題にすることができます。書き残すことは大切ですね。
「断毒論」は、漢文で書かれていて読むことはなかなかできませんでした。しかし、山梨県甲州市在住の故吉岡正和医師が漢文から現代語に翻訳して、「橋本伯壽と断毒論―早く登場しすぎた疫学者(吉岡日新堂刊)」を2018年に出版。おかげで、誰でも読めるようになりました。
コロナ禍前に出版されていました。コロナを予測していたかような時期に出版されました。名著です。ぜひ、お読みください。
皆さんは腰痛などで湿布を貼ることがあると思います。「湿布を貼る」と同意味で「トクホンを貼る」という言い方が長いこと、使われていました。今でも使っている方もいらっしゃるかと思います。「トクホン」はホッチキス、デジカメ、タッパーのように商品名が一般名(湿布の代名詞)となっていたのです。
注:ホッチキスの一般名はステイプラー、デジカメ(三洋電機の登録商標)の一般名はデジタルカメラですね。タッパーは一般名がありません。タッパーは米国のアール=サイラス・タッパー(1907-1983)が創業した「タッパーウェア社」の商品です。一般名が付けられないくらい有名になってしまいました。
閑話休題
「トクホン」の名前は戦国時代から江戸初期に甲斐の国で活躍した永田徳本(ながたとくほん:1513?-1630)に由来します。永田徳本は、武田信虎、武田信玄の侍医だったとか、徳川秀忠の重病を治したとか言われていますが、その経歴の詳細は不明です。
「甲斐の徳本」「医聖」「十六文先生(どんな治療でも16文の治療代だったことに由来)」とも言われている伝説の名医です。その名医の名を湿布薬につけたのが製薬会社の鈴木日本堂で、1933年に湿布薬の「トクホン」を販売、ロングセラーになり上述のごとく湿布の代名詞になっています。
しかし、この湿布薬と永田徳本とは無関係です。永田徳本が湿布を考案した訳ではありません。湿布を広めるために名医の名前を借りたのですね。鈴木日本堂は後に「トクホン株式会社」と改名し現在に至ります。泉下の徳本先生もびっくりしているのではないでしょうか?
人名がついたお薬はたくさんあるのでしょうか? 私にはタカジアスターゼ(高峰譲吉に由来)、アーキンZ(大塚明彦に由来)、太田胃散(太田信義に由来)くらいしか思いつきません。
注:湿布薬は日本に特有のお薬です。現代の湿布薬はかなり進んでいます。鎮痛剤を含有していて、それが皮膚から吸収されるような工夫が凝らされています。皮膚からお薬を吸収させるのは簡単ではなく、日本の湿布は世界一優秀で唯一無二のお薬かもしれません。イタリアを除き、湿布は普通の医療現場では使われていません(全世界を調べた訳ではありません。他の国でも湿布が医療機関で使われているならご教示ください)。日本では質が極めて高い湿布薬を普通に使っています。とても良く効きます。
注:湿布の英語は「pain relief patch」です。
山梨県に行くと信玄の隠し湯だったと称している温泉がたくさんあります。下部温泉,西山温泉、赤石温泉、川浦温泉、増富温泉、積翠寺温泉などが知られています。これらの温泉に共通するのは低温(30度前後)で湯量豊富な温泉だということです。低温であることと湯量が豊富であることに意味があります。
皆さんは、キズ、ヤケドを負った時、どうするでしょうか? 消毒薬を塗り、ガーゼを当てるのではないでしょうか? 実はどちらもキズ、ヤケドの治療には適していません。消毒をしない、ガーゼをあてない(乾かさない)、カサブタを作らないとキズは早く、きれいに治ります。湿潤治療という方法です。
私は、武田信玄がこの「湿潤治療」を発見していたのではないか?と思っています。当時、消毒も抗生物質もありません。刀傷を負ったら感染して死亡していたと思います。しかし、受傷早期の出血さえ乗り切って「隠し湯」に一日中入っていれば「湿潤治療」をうけているのと同じことになり、キズはあっという間に治っていたと想像します(隠し湯の温泉は温度が低いので長時間入っていることができます、ここに妙味があります)。
信玄公は、しかし、その治療を秘密にしたと思います。ライバルに知られては困るからです。
以上、想像に過ぎませんが「当たらずと雖も遠からず」だと思います。湿潤治療は現代でも最先端の医療技術です。
湿潤治療例をお目にかけましょう。こういう治療を信玄公はしていたのではないでしょうか?
※リンク先にキズの写真があります。苦手な方はお気をつけください。
写真:バイクのチェーンに巻き込まれて指を切断
写真:沸騰したお湯が顔にかかる
ケガ、ヤケドを負うと、つい反射的に「消毒、ガーゼ」で処置をしがちですが、それをするとキズヤケドの治りが悪くなり、痛みが強くなり、跡が残りやすくなります。キズヤケドを負ったら、ぜひ当院にご相談ください。
余計な夢想、妄想:隠し湯現代版を作りたいと思っています。重症のヤケド、キズの患者さんを湯量豊富でぬるい温泉にいれて治療してみたいです。
余計な注釈:湿潤治療が受けられるのは、日本の医療機関(ただし、0.001%です)だけです。欧米のケガヤケドの治療は「せっせと消毒、ガーゼ貼付」です。
まとめ:上述のように戦国時代後期から江戸時代にかけ甲斐の国には、
のです。
江戸時代、甲斐の国の人々は、現代にも通じる最先端の医療を受けていた可能性があります。
望月吉彦先生
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