望月吉彦先生
更新日:2023/4/24
以前、「ジョン・ハンター無くして近代外科は語れない」というコラムで、血管手術を創始したイギリス人外科医ジョン・ハンター医師の事を紹介しました。当時の血管手術は悪くなった血管を切除する手術で、適応は限られていました。
その後、フランス人医師のカレルが血管手術の基本手術手技を確立、ノーベル賞を受賞しています。しかし、血管手術はなかなか広まりませんでした。良い人工血管がなかったからです。
今回、現在、普通に使われている人工血管の開発史を紹介しようと思います。
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皆さんは人工血管をご存じでしょうか?血管の手術で使われる医療材料です。その人工血管ですが、実は皆さんの身近にある素材からできています。衣服、布団、登山用品、登山靴などに普通に使われている材料です。以下のような素材です。名前を聞いたことがある方も多いと思います。
人工血管をいくつか、お目にかけましょう。
写真1:人工血管各種
写真2:腹部大動脈~両足の動脈用の人工血管 ダクロン®製
写真3:太い大動脈用の人工血管ダクロン®製
人工血管の「直径」がわかるように500円玉(直径26.5mm)を置いてみました。
写真4:ダクロン®製人工血管の内外ある襞(ひだ)
人工血管に「襞(ひだ)」があるのがお変わりになるでしょうか?
写真5:テフロン®製人工血管
これは直径が10mmの人工血管です。襞(ひだ)がありません。
イギリス人外科医、ジョン・ハンターが「まともな血管手術」を創始し、その流れが日本にも伝わるという話を紹介させていただきました。
しかしその後、血管手術はあまり進展しませんでした。痛んだ血管を切除する手術しかできなかったからです。血管(動脈でも静脈でも)を切除すると血流が障害され、臓器障害が生じるので血管切除術が成功するのは一部の血管に限られていました。
以前紹介させていただいた、アレキシス・カレル医師(血管吻合法や臓器移植の業績に対して1912年ノーベル賞を受賞)は、屍体からの血管保存を始めます(文献1)。事故や血管疾患以外の病気でお亡くなりになった方から血管を採取して、保存し、血管の病気の方に使うという方法です。この流れは今でも続き、日本でも屍体から提供していただいた弁膜や血管を保存し、特殊な疾患の治療に使われています(注:同種心臓弁・血管組織移植といいます:英語 homograft)。
屍体から提供を受けた血管を大量に保存していたのがアメリカのテキサス州ヒューストンにあるベイラー医科大学の外科医、DeBakey(ドゥ ベイキー:1908-2008)でした。
DeBakeyとは少し変わった名前です。両親がレバノン出身の移民です。レバノンはアラビア語が公用語で元の表記は دبغي です。アラビア語表記をDeBakey先生の親は「Dabaghi」にして、最後にDeBakeyに変更したのですね( دبغي →Dabaghi→DeBakey)。DeBakey医師のことは、後日、別途紹介します。
話を血管保存に戻します。
1940年代後半、DeBakey先生のグループは世界一の屍体から採取した「血管銀行」を作っていました。テキサス州ヒューストンは大都会(注:人口全米第4位)ですから事故も多く、屍体から採取した血管を大量に貯蔵していました。その採取した血管を使った手術が数多く行われ成績も良好でした。それゆえにDeBakey先生の元には血管疾患を抱えた患者さんが押し寄せ、痛んだ血管を「保存した血管」に交換する手術をうけたのです。多くの手術が行われ、血管銀行で保存していた血管も底を突いてしまいます。手術に使用する血管が足りなくなったのです。
屍体から採取する同種血管には供給に限りがあります。そこで、だれでも考えつくのが「人工血管」です。しかし、人工血管の素材を見つけるのは難しく、なかなか上手くいきませんでした。そんななか、1952年のことです。ニューヨークにあるコロンビア大学の外科医ヴォーヒー(Arthur B. Voorhees Jr:1921-1992)と、ブレイクモア(Arthur Hendley Blakemore:1897-1970)が
「ビニロン“N"で作った人工血管」
を用いて動物実験を手術を行い、良好な成績をおさめました。1954年には、その「ビニロン“N"で使った人工血管」を人体に用いて手術を行いました。死亡率は極めて高い手術でしたが、長期生存例も得られています(18人中10人は長期生存、8人は術中or術後早期に死亡:文献2, 3)。これが世界で最初に行われた人工血管を用いた手術の「成功」例です。人工血管時代の幕開けです。
この成功を見て世界中で「人工血管」の研究が盛んになり、「今月のヒット人工血管」とでも言うほど多くの人工血管が作られ、試されました。ヴォーヒー、ブレイクモア医師が用いたビニロンは、結果的には人工血管には適していませんでした。高価で加工も難しかったからです。
なお、ブレイクモア医師は「セングスターケン・ブレイクモア・チューブ(Sengstaken-Blakemore tube)」に名を残しています。医師なら誰でも知っているこのチューブは食道静脈瘤破裂を予防するためのチューブです。今でも普通に使われています。
1950年代半ば、現在も使われている人工血管の元になる2つの大きな「進歩」がありました。どちらも偉大な発見ですが、どちらも「偶然」から得られています。その2つの発見を元にした人工血管が1950年後半にできて以来、ほぼその頃から現在まで人工血管の素材、形状は変わっていません。
この2つの偉大な発見をご紹介しましょう。
一つ目の進歩は前述のDeBakey先生の業績です。DeBakey先生に訪れたセレンディティ(偶然)から産まれた進歩です。DeBakey先生の患者さんに偶然「ボビーソックス」という靴下を作って財を成した実業家のアーサー・ハニッシュ(Arthur Hanisch)という方がいて、この方がDeBakey先生の人工血管製造の手助けをしてくれたのです。
ハニッシュさんは繊維業で財を成し、Stuart Pharmaceutical Companyという製薬会社も経営していました(後にアストラゼネカ社に吸収合併されています)。つまり医療に関心があり、医療知識も豊富でした。ハニッシュさんはDeBakey先生にフィラデルフィア繊維工芸大学(Philadelphia College of Chemistry and Textiles.)のエドマン教授(Thomas Edman)を紹介します。紹介しただけでなく、研究資金援助も行いました。その資金を使ってエドマン教授は、様々な素材を試し、縫い目の無い織り方ができる機械も作っています。
最終的に得られた結論は、人工血管を織る「繊維」は
縫いやすく
ほつれが少なく
加工しやすい
という特徴を持つポリエステル繊維(ポリエチレンテレフタレート:PET)を使った人工血管です。あのペットボトルのPETです。PETを使って人工血管を作るのが良いという結論でした。
そしてデュポン社のポリエステル繊維「ダクロン®」を用いて織った人工血管製造を提言しました。
人工血管創世記にはDeBakey先生の奥さんが人工血管を作っていました。彼女は裁縫上手だったのです。こういう事も偶然のひとつでしょう。DeBakey先生の手術室の横で、奥さんがデパートで買ってきたダクロン®布をミシンでDeBakey先生の要求する形状、太さの「人工血管」をミシンで作っていたのです。それを消毒して手術に用いていました。ダクロン®製の人工血管は直ちに製品化され今も普通に使われています。つまり「ダクロン®が人工血管製造に適していることの発見」が1番目の大発見です。
DeBakey先生が偶然、
という三拍子揃った患者さんに巡り会わなければ、この発見は随分と遅れたことと思います。
もちろん、裁縫上手な奥さんがいたこともこの発見には必要でした。
もう一つの大発見も、またかと思われるかも知れませんが、セレンディティ(偶然)から産まれました。太い血管に使われる人工血管には「襞(ひだ)」がついています。この襞は人工血管には必須です。曲がるストローに似ていますね。
写真6:人工血管の襞
人工血管にこの襞が付いていることで2つの利点が見つかったのです。
この2点です。
今では、写真1-4でお示ししたように人工血管に襞があるのが普通です。
写真6の襞付きストローは1937年Joseph B. Friedman(1900-1982)というアメリカの発明家が考えたモノです。“bendable straw" or "bendy straw" “flexible straw"と呼ばれています。こちらの方が人工血管より先に発明され、世の中に出ていたのでこの曲がるストローから人工血管の襞も思いついたと考えるのが普通でしょう。しかし、違います。この襞は偶然の産物です。
前述のヴォーヒー、ブレイクモア医師のビニロンによる人工血管の発表を聞いて、自分も人工血管を作ろうと思い立ったのが、アラバマの外科医のスターリング・エドワード医師(Sterling Edwards:1920-2004)です。彼はChemstrand Corporationの技術者ジェームス・タップ(James Tapp)とともにナイロンを用いた人工血管を作ろうとしていましたが、なかなか上手くいきませんでした。
良い人工血管の条件には、
の2点が必要です。
そんな条件にあった都合の良い形状の人工血管はなかなか見つかりませんでした。実験を繰り返していたある日、タップさんは少し間違いを犯します。ナイロン製人工血管を、ホルマリン処理を施すためにガラスの管に通しておいたのですが、それを押し出す時、人工血管に襞ができてしまったのです。そうです、写真6の曲がるストローの様な形状の人工血管ができたのです。適度にまがり、折れ曲がって血流が途絶することも無さそうです。しかし、襞があると人工血管の中に血栓ができやすそうですね。普通に考えたら、人工血管の内側は滑らかなほうが良さそうです。しかし、エドワード先生はこのタップさんが“作った"襞のある直径6mmのナイロン製の人工血管をイヌの動脈に移植して実験を行いました。驚いたことに、移植後数日で、襞の部分に血栓ができてその上にきれいな血管内皮ができて内腔がなめらかになったのです。
1954年、この襞付きのナイロン製人工血管を臨床使用して成功しました。足の付け根にある動脈を「襞付き人工血管」に置換したのです。足を曲げても人工血管は折れ曲がらず、血流も良かったのです。
今に至る「人工血管に襞をつけると人工血管内に血管内皮ができやすくなる」という偉大な発見です。当初、エドワード先生、タップさんの考えた人工血管はナイロン製でしたが、ナイロンでは加工が難しく上手くいきませんでした。しかし、テフロン® (デュポン社の商標:正式名はポリテトラフルオロエチレンPolytetrafluoroethylene)を用いて成功します。
DeBakey先生のダクロン®製の人工血管にも「襞」がつくようになり、ほぼ今使っている人工血管と同じモノができたのです。ダクロン®は、繰り返しますが、ポリエチレンテレフタレート、つまりペットボトルのPETと同じです。今使われているテフロン®はテフロンゴアテック社のePTFE(expanded PolyTetraFluoroEthylene)です。ジャケットや靴の素材として有名ですね。いわゆる「ゴアテックス®」です(写真5)。多少は、人工血管を身近に感じられるかと思います。
様々な改良がなされ使いやすくなっている人工血管ですが、その元は1950年代の発見によるというお話でした。
次回は、99歳まで元気で生きて、お亡くなりになる数ヵ月前まで最新型のポルシェを運転し、97歳まで手術をしていた外科医の紹介をしましょう。DeBakey先生のことです。彼なくして人工血管の普及は無く、大血管手術の発展もありませんでした。20世紀最高の外科医です。
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