望月吉彦先生
更新日:2022/12/12
外科医をやっていると色々な経験をします。滅多に無いことも経験します。いくつか紹介しましょう。最初はとても真面目な話です。
心臓手術前は結構、緊張します。緊張というか集中します。手術は前の晩から始まります。お風呂に入りながら、あるいは寝る前に執刀開始から終了までの手順を頭の中で整理します。
「前の晩に手術手順を頭の中で整理する方法」
を教えてくれたのはO先生です。O先生の手術はいつもテキパキと進み迷うことがありませんでした。どうやったらO先生の様に手際よく手術が出来るのか不思議でした。
「どうしたら先生の様に遅滞なく手術が出来るのですか?」と伺ってみました。
教えてくれたのは「前の晩に手術手順を考えること、患者さんの病状、病態を良く考えること」でした。どんなに小さな手術でも同様なことを繰り返していると聞き、びっくりしました。例えば、冠動脈の手術を執刀するときは、冠動脈造影を繰り返し見て、その映像が頭の中に浮かぶようにする。そしてどこにバイパス吻合をするか頭の中で、きっちりと、考えておく。などなど。。
O先生は後に某大学の学長にもなった偉い方です。そのような先生でもそういう準備をしていると聞き「これは真似しよう」と思いました。
最初のうちは、あれこれ考えて眠れなくなりましたが、段々と慣れてきて自然に手術手順が浮かぶようになりました。実際、行っている外科的操作の、次や次の次に行う外科操作やそのための指示が遅滞なくできるようになりました。外科医も結構大変なのです。
O先生の話を聞いてから数年後のことです。元ジャイアンツのピッチャー堀内恒夫さんの講演を聞く機会がありました。その講演で堀内さんは「登板日の前夜、相手チームのバッターからどうやってアウトをとるか詳細に検討していた」と話していました。以前対戦したバッターに何を投げたか、結果はどうだったか等々を考え、翌日に投げる球を頭の中で組み立てていたそうです。そういうことの積み重ねが大切だと話していました。
盗塁王の福本豊(元阪急)と日本シリーズで対戦した時の話も面白かったです。福本は当時、盗塁をしまくっていました。圧倒的な盗塁数でした。福本の盗塁記録は「絶対に破れないプロ野球記録」といわれています。その福本選手に日本シリーズで対戦した堀内さんは1回も盗塁を許さなかったのだそうです。それは、森昌彦捕手と盗塁阻止方法を研究し、繰り返し練習したからだと言っていました。ピッチングを考えたり、守備方法を考えたりするのが大切なのですね。前述の手術準備に通じる話だと思って聞いていました。
手術当日は朝1番で患者さんのところに行って体調などを確認します。これは結構大切なことです。それから手術室に向かい、病変の確認(超音波の画像、カテーテルの画像などを再度記憶)、人工心肺の確認、麻酔科医師との相談、手術ナースとの打ち合わせ、手術に使う機材の確認などを行います。沢山やることがあります。それでも麻酔が始まるとそういう諸々は終わります。その時間、目を閉じて、再度手術手順の確認を頭の中で行っていました。静かに集中する時間です。
TVを見ていたら、昔、手術直前に大臣室から電話がかかってきたことを思い出しました。その元大臣だった方がTVに出ていたのです。その方が大臣を務めていた時のことです。執刀直前、静かに集中している時間にその方から電話がかかってきたのです。
交換台から「A大臣室から電話が入っています。望月先生につなぐように言っています。」と連絡が入りました。手術日は余計な電話はつながないように言ってありますが「大臣からです」と言うので何の用かなと思って電話に出ました。
A大臣の用件は「今日、望月先生が手術するBさんは私の後援会の大切な人だ。手術をしっかりするように、くれぐれもよろしく」とのことでした。手術は予定通り終り何事も無く退院しましたが、その後は1回も大臣から電話はありませんでした。「手術日にA大臣から電話があった」と病院内でちょっとした話題になりました。
余談です。
良かったこと?もあります。大臣からの電話があったおかげで、普段、見たことも話したことも無かった交換台のお姉さん達から声をかけられ、彼女達の忘年会にお呼ばれしました。それでわかったことがあります。交換台の方々は院内院外の恋愛事情を把握しているのです(笑)。謹厳実直を絵に描いたようなあの先生のところには、よくよく、銀座のママさんから電話がかかって長々電話をしているとか、。。怖い怖い。
話を手術に戻します。
怖い筋の偉い方?を手術したこともあります。その患者さんの部屋にはいつも怖そうなお兄さんが病室(個室)にいました。手術前の説明の時には強面の方々が20名程度、勢揃いしました。病院の会議室で手術の説明をしました。映画のような光景でした。手術日前後に怖いお兄さんが「事故でも起こると困るので先生の自宅から家まで、送り迎えをする」と言われましたが、丁重にお断りしました。無事手術が終了して退院。ほっとしました。
緊急で入院してきた別の怖い筋の方、Cさんのことは、今でも忘れません。難しい病気を発症して緊急入院してきました。放置すれば死亡率の高い病気です。救命には手術しか方法がありませんが、極めて難易度が高い手術が必要です。手術死亡率も高い手術です。土曜日の昼頃にいらしたのです。手術をすれば夜中までかかります。怖い筋の方々が、怖い顔をして付き添っています。どうしようか、迷いました。同僚医師も怖い顔の面々を見てビビっていました。
患者さんには正直に「この病気は突然死する可能性が高いことや手術をしても死亡する可能性があること、内科的治療では1週間以内に突然死する可能性が高いこと」などを伝えました。そうしたら、ドスの利いた声で
「悪い奴をやっつけようとしたら急に胸が痛くなった。今、胸が死にそうに痛い。」「このままなら、死んでしまうと素人の俺でもわかる。それくらい痛い。だからスパッとやってくれ。良くなったら悪い奴をやっつける。」
と言ったので手術準備を始めました。着ていた服を全部脱がせたら、私も他の先生も看護師さん達も言葉を失いました。
顔に多数の傷跡があるのは入院してきた時から解っていたのですが、全身が映画や漫画に出てくるその筋の方のようにキズアトだらけでした。キズを縫合したアトが無数にあるのです。こんなに多くのキズアトは、後にも先にも見たことがありません。どうしたのか聞いてみました。
私:「この多数のキズはどうしたのか?」
Cさん:「中学生の頃から、喧嘩してきたから」
私:「沢山あるキズは刃物のキズ?」
Cさん:「そう、喧嘩は最後に刃物を使うからね。この傷はナイフや包丁や日本刀で切られたキズだよ。先生もメスを使うだろう。同じだよ。。」
いやいや、メスを使うのと刃物を使うのは別です。ちなみに皮膚などを切開するのに使う刃物を日本では「メス(mes=オランダ語)」と称しますが、英語では「スカルペル(scalpel)」や「ナイフ(knife)」と称します。私は心臓手術に使う手術用特殊ナイフ(メス)に関する特許を持っています。その特許に準じたメスを作って頂き日本や外国で使ってもらっています。その特許の書類にも「ナイフ」と書かれています。この特許のお蔭で「カンブリア宮殿」という番組に出演しました。クリニックで今、そのビデオの一部を流しています。いつかこのこともお伝えしましょう。
それはさておき
無事、10数時間かかった手術も終りCさんの胸と足にまた「刃物のキズ」が増えてしまいました。元気に退院していきました。色々な人生がありますが「喧嘩に明け暮れる」人生とは無縁でいたいですね。Cさんは、後にちょっとかわいそうなことになりました。折角大手術をして元気になったのにとても残念でした。
これは私が手術した話ではありません。私が研修医の時、ある大企業の創業者が入院してきました。80歳くらいでした。当時としてはかなり高齢の患者さんです。ご高齢だったので検査から手術まで入院期間が結構長かったのです。そのお蔭で色々な話を伺うことができました。話し好きな方で色々な話をしてくださいました。様々な会社を作った話、ライバル企業に勝つにはどうしたらよいか? 製品開発の話etc。。面白かったです。話題が尽きない方でした。
この方は、毎年ある「島」を貸し切り状態にして茶会を催していました。「北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)」のような大茶会ですねと言ったら、とても喜んでくれました。退院後に私もその茶会に誘われましたが、時間も無く、残念なことに伺えませんでした。多くの若い女性が茶会に集まると聞いていたので、今でもちょっとだけ悔いています(笑)。
上司の先生が手術を行い、経過は良好で退院が決まった時「羊羹」を頂きました。「珍しい羊羹だから家で開けるように」と言われ、家で開いたら羊羹に加えて高額のお金が添えられていました。羊羹は頂きお金は返しました。その時
「これくらい受け取ってくれ、受け取らないなら先生は偉くなれない」
「気持ちよく受け取って、勉強のために使ってくれ」
「先生なら遊びに使わないだろう」
「受け取ってくれ」
と再三再四、言われました。受け取りませんでした。黙って受け取っておけば「偉く」なったかもしれません(笑)。
他にも
などなど、外科医をしていると色々な経験をします。。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
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