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164:患者さんの「涙」 飲酒運転に思うこと(1)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2022/08/29

福岡 海の中道大橋飲酒運転事故を覚えていますか?

イメージ:交通事故

2022年8月、以下のような報道が多数流れました。ご記憶の方も多いかと思います。

福岡市海の中道飲酒運転事故から16年 撲滅へ記憶をつなぐ(FBSニュース)
「海の中道大橋」飲酒運転事故から16年 問われる県民意識(NHK 福岡のニュース)

この記事を読み、私の患者さんの「涙」を思い出しました。
最初に上記の記事にある福岡の飲酒運転事故を振り返ってみましょう。2006年8月に起きた自動車事故です。

「A」は大量に酒を飲んだ後、海の中道大橋を猛スピード(推定時速100km)で走っていました。そして、前を走っていた乗用車に追突、追突された乗用車は橋から15mの下の海に転落。転落した車に乗っていた5人家族のうち、両親は助かりましたが、小さな子供3人が亡くなりました。

この事故は「福岡 海の中道大橋飲酒運転事故」と称され、インターネット上で詳細な経過を読むことができます。悲惨です。

「A」は自宅→居酒屋→スナックで飲酒を続けた後、友人を乗せて福岡の繁華街まで移動するために車を運転中に事故をおこしたのです。
「A」は追突して海に落とした車に乗っていた5人を、同乗していた友人と共に、救助すべきでした。そうしていたら幼い3名の命は助かったかも知れません。助かれば「A」に課せられた罪は随分と軽くなったかもしれません。
しかし「A」のやったことは「救助」とは真逆でした。「A」は飲酒していたことを隠すために事故現場から逃走したのです。そして友人に連絡をとり、
「自分の身代わりになってほしい」と懇願→これは当然拒否されています。
「水を持ってきてほしい(アルコール血中濃度を減らそうと考えた)」→友人が水2 L を持ってきてくれたそうです。その水を飲んでいます。念のため申し添えますと飲酒後にいくら水を飲んでも血中のアルコール濃度は、一切、減少しません。水をいくら飲んでも無駄です。

その後、「A」は友人に諭されて事故現場に戻り、事故発生から約50分後に飲酒検知に応じ、翌8月26日朝に逮捕されています。
福岡地方検察庁は2006年9月16日に「A」を

  • 危険運転致死傷罪(注:最高刑 懲役20年)
  • 道路交通法の救護義務違反(ひき逃げ)

で福岡地方裁判所へ起訴、懲役25年を求刑しています。
(注:なおこの犯人にお水を飲ませた友人も証拠隠滅の疑いで逮捕されています。飲酒運転と知りながら同乗した32歳の会社員も道路交通法違反(飲酒運転幇助)で逮捕されています。)
しかし、福岡地方裁判所の下した結論は予想外に軽い判決でした。

  • 業務上過失致死傷罪(最高刑:懲役5年)
  • 道路交通法違反(酒気帯び運転、ひき逃げ)

を適用して懲役7年6ヵ月の判決を言い渡したのです。
検察は控訴、福岡高裁での判決は検察の主張が認められ、

  • 危険運転致死傷罪(最高刑:懲役20年)
  • 道路交通法の救護義務違反(ひき逃げ)

の2つが適用され「A」には懲役20年の判決が下り最高裁でも確定しています。

なお、信じがたいことに被害者家族の方は、いわれの無い誹謗中傷を受け福岡で暮らすことができなくなり、今は別な場所でひっそりと暮らしているそうです(参考:福岡3児死亡飲酒事故 きょう15年 遺族が誹謗中傷受け転居 被害者守る仕組み必要:中日新聞Web)。飲酒による交通事故は加害者、被害者、その家族を含め多くの人の人生を変えてしまいます。

ここで少し大きな話をします。
社会というか社会の仕組みや法律を変えるのは大変です。簡単ではないです。私も
「社会を変えよう」
「社会の仕組みを変えよう」
「こういう社会にしたら良い」
と思うことはありますが、実際に行動を起こしたことはありません。
しかし、後述する私の患者さんの「怒り」は社会を変えました。もちろん一人の力ではありません。福岡の事件とも関係します。今回はその話が主題です。

福岡の事件で「A」が事故をおこして最初にやったことは「逃亡」です。飲酒運転で逮捕されるより、酔いをさましてから出頭すれば良いと考えたのでしょう。アルコールや薬物を抜いてから出頭すれば轢き逃げ+危険運転などしか、罪に問われませんでした。変な話です(でした)。
なお「追い飲み」と言って、事故をおこし現場を立ち去り別な場所で飲酒をすれば、それも大量に飲めば「今、飲んだのです。事故当時は飲酒していません」と言い逃れることもできたのです。返す返すも変な話です(でした)。「でした」と記しているのは当時と今では、後述する如く、法律が変わったのです。

福岡の事故は2006年ですが、それより以前2003年に北海道江別市で高校生が飲酒運転(と思われる)によるひき逃げでお亡くなりなりました。この時車を運転していた人は現場から逃げ(つまり引いた高校生の救護をしないで)、酔いが完全に醒めてから逮捕されています。犯人は「懲役2年10月」を課されましたが、飲酒運転(酔いが完全に覚めてから逮捕)にも危険運転(時速50kmで走っていたことになっている)にも問われなかったのです。
この事故の遺族は「逃げ得社会」はおかしいと考え法律を変えるべくさまざまな運動を開始していました(参考文献2)。この運動に、後に私の患者さんも関わることになったのです。

患者さんの「涙」

患者さんの家族の涙を見ること、医師をしていれば稀ならずあります。しかし、患者さん自身の涙を見ることは滅多にありません。ある日の外来診察中のことです。診察予定の方の血圧が異常高値を示していました。この患者さん「B」さんは大動脈瘤に対して手術を行った方でした。かなり珍しい大動脈瘤です。

写真:上行大動脈に血栓

上行大動脈に血栓があるので慎重が上にも慎重な手術操作が必要です。普通上行大動脈にこのような大きな血栓が形成されることは稀です。極めて稀なことが起こっていました。この手術は特殊な方法を用いないとできません。脳を還流する頚動脈のすぐ側に大きな血栓があります。少し間違えると脳梗塞を生じます。それゆえ普通の胸部大血管手術ではあり得ないような様々な準備を整えてから上行弓部大動脈人工血管置換術を行いました。そういうわけで私にとっても忘れられない患者さんです。

この方の手術を行ったのが200×年2月、経過は良好で退院。順調に経過して何事もなく2月中に退院となりました。手術後の初めての診察日のことです。前述のごとく、血圧があり得ないくらい高いのです。

「Bさんどうしました? 血圧が高いですね。お薬はのんでいますか?」

と聞いたところで、患者さんが泣いているのに気づきました。号泣し始めました。慟哭といっても良いくらいでした。詳しく話を聞いてみました。悲惨な交通事故が起きていました。「B」さんが退院して家に帰った直後、中学生の娘さんが交通事故でお亡くなりになっていたのです。

Bさんの娘さんの身に起こった交通事故

亡くなった娘さんは学校の帰りがてら入院中のお父さんを見舞うために時々病室に来ていました。あの娘さんが亡くなったと思うと私も突然で言葉が出ませんでした。その先の話を聞いたらもっと言葉が出なくなりました。他に私の診療を待っている患者さんもいらしたのですが、そちらの診療は別の医師に任せてBさんのお話をゆっくりと伺いました。話をよく聞いてみると、

  • Bさんの娘さんは同級生と一緒に自転車で帰宅途中でした。夕方です。その二人の運転する自転車に車が突っ込んだのです。運転していたのは「C」です。 道路から二人が跳ね飛ばされて横たわった箇所まで数十mもあり、警察の捜査で、二人を跳ねた時「C」の自動車は衝突時に時速90kmくらいで走行していたことがわかりました。自転車も走る一般道で90kmあり得ないですね。
  • 二人を跳ねてしまったことに気づいた「C」は、二人を救助すること無く、現場から逃走します。「C」は事故当時酩酊していたのです(推定)。警察に「C」が出頭したのは事故発生から6時間が経過していました。6時間も経つと呼気からアルコールが検出されません。だから飲酒運転を証明することができないのだそうです。 「逃げ得だ」「許せない」と思いました。 「C」と一緒に飲酒をしていた方が見つかったのですが、「C」の事故当時のアルコール濃度はわかりません。

以上、書けば数行ですが、泣きながら、ぽつぽつと話をして下さいました。話を聞き終わったら私も、もらい泣きしそうになりました。掛ける言葉がありませんでした。 「無理しないように」「血圧が上がらないように」「お薬をきちんとのむように」と、月並みな言葉しか出てきませんでした。

次回に続きます。

【参考文献】

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
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