望月吉彦先生
更新日:2022/07/11
前回、前々回でも紹介したように1874年に来日したイギリス医師フォールズは日本での診療や日本人医学生への教育の合間に縄文土器を見て指紋が持つ様々な意味に気づき、主に日本人を研究対象として指紋に関する研究を行いその成果を1880年にNATUREに投稿しました。当時の日本人はフォールズ医師の指紋研究に好意的で積極的に参加しています。
前回ご紹介した通り、この論文でフォールズは指紋が
などを予測しています。
遺伝関係の確認には、今ではPCRを用いたDNA鑑定がなされ、指紋が果たす役割は終わっているでしょう。しかし、1. 2. は今でも重要な役目を果たしています。スマホ使用時や電子マネーを使う際には指紋認証が求められます。指紋はますますその重要性が増していると言っても過言では無いと思います。
繰り返しますが、この重要な発見の元となったのは日本でのフォールズ医師が行った研究です。しかし、フォールズの存命中は不思議なことに「指紋研究はフォールズとは全く関係の無い別な研究者の業績」とされていました。フォールズの指紋研究は、ある意味盗まれてしまったのです(後述します)。
DNAの二重らせん構造の発見と言えばワトソン(James Dewey Watson:1928-)とクリック(Francis Harry Compton Crick:1916-2004)がなした世紀に残る大発見とされていますが、最近はどうやら旗色が悪いようです。「DNAが二重らせん構造をしていると予想した論文」も「盗まれた」モノだと主張する人がいます(参考:156:DNAが二重らせん構造をしていることを実際に見て撮影したのは日本人研究者)。 それと似たようなことが「指紋研究」にも生じていました。
指紋の話に戻します。
フォールズの指紋研究はその成果を「盗まれた」のです。NATUREに掲載されたフォールズの論文は、ほとんど無視され、成果は横取りされたがゆえにフォールズ医師の業績は評価されていませんでした。つくづく可哀想です。
現在、指紋発見の経緯は細かいところまで明らかになり、フォールズ医師こそ指紋研究の発見者だということになっています。フォールズは存命中に「自分こそ、指紋研究の創始者である」と証明するため、様々な方面へ働きかけ、関係各所に嘆願を行いました。しかしそれは無視され、残念なことに指紋研究は別な研究者が創始し広めたことになっていました。
さて、なぜ、筑地病院のフォールズの指紋研究は、隠され、けなされたのでしょうか。経緯をお示しします。読むと、かなり、悲しくなります。
この辺りの事情の端緒を前々回で紹介しました。端緒はダーウィンへの手紙です。
1880年に2月、フォールズ医師(当時東京築地在住)は、雑誌NATUREに論文を投稿する前、あの進化論で有名なダーウィン宛に手紙を書き「指紋研究」への助言、助力を求めています。これが「決定的な悪手」でした。
この手紙は現存します。ロンドンにある「ウェルカム図書館(Wellcome Collection)」に所蔵されています。電子媒体でも公開されています。以下の写真はその現物の写真です。本邦初公開?かも知れません。
なお、同図書館の正式な許可を得て掲載しています(文献11参照)。
図1:上方右側に「Tsukiji hospital Tokio」と記されているのがわかりますでしょうか?
図2
図3
図4
図5
図4、図5はフォールズ医師がダーウィン宛に書いた手紙に同封した指紋、掌紋です。これに示されるように、フォールズ医師は最初から、10本指「全ての指紋」と「掌紋」とを記録しています。これが、後にとても重要な「意味」を持ちます。
さて、本文は筆記体で読めませんが、この手紙の抄録が、なぜか、ケンブリッジ大学の図書館にあったのでそれを引用します。
“私は、ダーウィン先生の本を読んで勉強した医師です。ダーウィン先生なら、私の研究に興味を持ってくださると思い、この手紙をしたためています。私が研究してきたのは、人間の手と指に刻まれている皺と溝についてです。私の研究に、ダーウィン先生、お力を貸してください”
ダーウィンの従兄、ゴールトンは指紋研究に全く関係のない人物でした。しかし、それがいつの間にか、、、。
以下、次回へ続く。。。
望月吉彦先生
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