望月吉彦先生
更新日:2022/04/18
年度が替わり勤務先、学校が替わった方も多いかと思います。この季節には桜が付きものです。日本あるいは世界の桜並木の多くはソメイヨシノです。以前もお伝えしましたがソメイヨシノの特徴は2つあります(随筆「桜」雑感)。
です。1.のために一斉に咲いて一斉に散ります。
ソメイヨシノと同様、コロナも一斉に「散って」欲しいですが無理でしょう。
コロナ禍は収まりません。オミクロンの後にも新株が出現するのでしょうか?
国によっては、ほとんどのコロナ規制を撤廃しています。マスクもワクチンパスポートも不要になっています。
下図はこれまでのCOVID-19による累積死者数(100万人辺り)です。
日本を除いた国々はすでにコロナ規制を撤廃しています。
こちらの図は最近(2022-04-02)2週間の新規患者数(人口100万人辺り)です。日本を含めてスウェーデン、マレーシア、オランダ、デンマーク、ノルウェイは減少傾向にあります。
いずれにしてもCOVID-19に対する対策の違いが浮き彫りになります。こういう統計は、しかし、気を付けないといけないです。病院の数も少なく、検査もできない国は一見するとCOVID-19発症者が少ないと考えられるかもしれないからです。
さて、今回から数回にわけて「指紋」についてお伝えします。
数年前、東京築地にある聖路加国際病院で勉強会があり、ついでに病院周辺を散策しました。良い散歩道があります。この時「指紋研究発症の地」と書かれた碑文(後述)があるのに気づきました。それからこの地で始まった「指紋研究」が気になって色々と調べていたのです。それを紹介します。
スマホを使い始めるまで「指紋」について考えたことはありませんでした。車を運転していてスピード違反で捕まった時に指紋を押させられた記憶があります。それくらいしか指紋を使った(採取された)記憶はありません。しかしスマホを使うようになって「指紋」が身近になりました。スマホを使う際「指紋認証(fingerprint recognition)」が求められる機種があります。指紋は一人一人違うので指紋を用いて個人識別しているのですね。
指紋は他にも様々に使われています。私たちは「指紋」に随分とお世話になっているのです。いくつか例を挙げます。
などです。4.は関係ない方が良いですね。私のスマホは個人識別に指紋認証を用いています。顔認証によるスマホもありますが、認証の度にいちいちマスクを取らざるを得ないので、指紋で個人識別ができるスマホの方がコロナの時代には面倒が無いですね(注:最近はマスク越しに顔認証ができる機器もあります)。
私は、つまり、スマホを使う度に指紋を使った個人識別をされていることになります。「指紋がないと生活できない」とも言えます。犯罪捜査にも指紋は必須です。つまり、ある意味私たちの生活は
「指紋によって守られている」
と思います。
今回は写真が多いのですが、苦労して入手した写真もあります。ぜひご覧ください。
いま「指紋による個人識法ができること」や「指紋で犯罪捜査ができること」は世界中で認められています。
その基礎となる指紋研究は、なんと、日本で始まったのです。
明治時代、スコットランドから来日、病院を開設して西洋式医療を広めたりやキリスト教の伝導をしていたスコットランド医師ヘンリー・フォールズ(Henry Faulds、1843年6月1日-1930年3月19日)があの『NATURE』(1880年10月28日605号)に指紋に関する論文を世界に先駆けて発表したのです。フォールズ医師が指紋に興味をもったのは大森貝塚にあった縄文土器に残されていた縄文人の指紋を見たからです。フォールズはそれをきっかけとして指紋に興味を持ち、日本で様々な基礎実験をしてそれをNATUREに投稿したのです。この論文には
などを記しています。
つまり現代に至る様々な「指紋」の活用の端緒は日本で始まったと言っても過言では無いでしょう。フォールズは東京筑地に病院を作りそこで診療をしていました。「筑地病院」です。この病院は、後に米国人医師のルドルフ・トイスラーが買い上げました。それが今の聖路加国際病院の始まりです。その聖路加国際病院のすぐ側にフォールズの旧居跡がありそこに「指紋研究発祥の地」の碑があります。
フォールズは大森貝塚を発見したエドワード・シルヴェスター・モース(Edward Sylvester Morse、1838年6月18日-1925年12月20日)と日本で知り合い大森貝塚発掘の手伝いもしています。モースは「縄文、縄紋」の名付け親でもあります。大森貝塚で発掘した土器に独特の縄目模様があることからこの土器を「cord marked pottery(縄目が印された土器)と名付け、それを日本人研究者が翻訳、日本では「縄文」あるいは「縄紋」と称すようになったのです。モースが発掘していた土器に「掌紋や指紋」が残っていることを発見したフォールズはこの掌紋、指紋に興味を抱いたのです。
そのフォールズが興味を持った指紋付きの縄文土器(大森貝塚でモースが発掘した土器の一部です)を紹介しましょう。これらの土器は全て重要文化財に指定され東京大学総合研究博物館に所蔵されています。公開されていないので見ることはできません。しかし同館のご厚意により許可を得て「指の痕が付いた縄文土器」を皆さんに紹介できることになりました。これらの図版はモースが書いた「大森貝塚(岩波文庫)」(頁98-99)に載っています。しかし文庫では写真が小さくて掌紋、指紋がよくわかりません。同館が所持する土器のデジタルデータで指紋が付いていると思われる場所を拡大してようやく、掌紋、指紋が付いていることがわかります。
土器の写真とモースの書いた図の両方を示します。かなり詳細な部分まで土器を筆写しています。なおモースは両手を同時に使って絵を描くことができたそうです。
東大博物館報告番号BD04-77~87が「大森貝塚(岩波文庫)」図版7に掲載されている土器です。
この中にある標本番号BD04-77~BD04-97が該当する土器です。示します。
左がモースの書いた図で右がその写真です。
BD04-77:
BD04-78:
BD04-79:
BD04-80:
BD04-81:
BD04-82:
BD04-83:無し
BD04-84:無し
BD04-85:
BD04-86:
BD04-87:
たしかに指の痕がありますね。BD04-79、BD04-80の2つには、しっかりと指の跡が残っているのがわかります。指紋までは解りませんね。本物を見れば指紋まで解るのだと思います。いずれにしても、縄文土器に付いた指の痕にフォールズは興味を持ち日本で指紋についての広範な実験や観察をしています。
縄文時代の指の跡をお示ししましょう。
フォールズとは関係ありません。2018年東京国立博物館で「縄文―1万年の美の鼓動」と題した縄文土器の特別展が開かれました。日本全国から縄文土器が集められて展示されたのです(普段は各地の博物館でしか見ることができません)。
見学に訪れました。多数の本物の縄文土器が展示されその迫力に圧倒されました。その中に指紋がはっきりと残っている土器が1つだけありました。縄文土器は多数、あっても指紋はほとんど残らないのです。残念な事に写真撮影は不許可でした。
それで、下野栃木県埋蔵文化財センターを訪れる機会があり、その折りに学芸員の方に尋ねてみました。その方によるとやはり縄文土器に指紋はほとんど残っていないとの事でしたが同館所蔵の指の痕跡と思われる土器を見せていただきました。
話は逸れますが、縄文土器の外殻の装飾はよく知られています。
山梨県にある釈迦堂遺跡博物館にある水煙文土器(すいえんもんどき)重文です。
外側は派手ですね。下野栃木県埋蔵文化財センターの方は「こういう土器の内部は見たことが無いでしょう内側に装飾は無いのです」と言って内部を見せて頂きました。内部は文字通り「ツルツル」ですした。凹凸などありません。きれいです。勿論、指紋など残るわけがありませんね。
下野栃木県埋蔵文化財センターの土器の内側です。機械で削ったようにきれいです。これも縄文土器の特徴だそうです。なかなか中を見ることはできないですね。外側の文様は有名ですが、内部のツルツル感はもっと知られて良いと思います。
釈迦堂遺跡博物館@山梨県(中央道釈迦堂PAに併設)に展示されている壺の中もツルツルです。
どういう技術を使ってこんなに「つるつる」にしたのか、全く解らないそうです。簡単では無いことは予想できます。こういうところにも縄文人の情熱を感じます。
だいぶ話がそれました。縄文土器に残っている縄文人の指の痕跡に刺激を受けて、フォールズ医師は診療の合間に指紋研究を進めます。
つまりフォールズは、現在、指紋研究で行われている基礎となる研究の殆どを行ったのです。しかし、次号に紹介しますが、1987年まで彼の業績は埋もれてしまいました。フォールズは指紋に関する研究は論文にしてNATUREに投稿、掲載されました。指紋に焦点を当てて書かれた世界初の論文です。しかしフォールズには有力な味方、仲間がいなかったためその業績をかすめ取ってしまった人物が「指紋」の発見者になっていたのです。
1987年のことです。フォールズの指紋に関する大業績に気づいたアメリカの指紋捜査官二人が英国中部にあるWolstantonという小さな町の教会共同墓地の「片隅に朽ち果て、埋もれていた」フォールズの墓を見いだし、自分達で費用を捻出して、フォールズの墓を再建したのです。良い話です。
勿論、今ではフォールズこそ指紋研究の創始者であると認められています。
フォールズは数千人の日本人の指紋を集めています。その一例です。
文献2に載っているフォールズ医師が東京で記録した日本人の指紋と掌紋です。
NATUREの論文によると、日本人は、フォールズ医師の申し出に快く応じてくれたとあります。現代に至る指紋研究の基礎に明治時代の無名の日本人が多大な貢献をしたともいえます。そのフォールズがNATUREに書いた論文を入手したので紹介します。頁右下に
HENRY FAULDS
Tsukiji Hospital, Tokio, Japan
とあります。この論文が、東京で書かれたことが解りますね。
拡大図
この論文を翻訳してみました。次々回で紹介します。
なお次回では、縄文人の指紋がはっきりと解るモノを発見したのでそれも紹介します。乞うご期待です。
交通違反をすると指紋捺印を求められます。今も同様です。交通違反には気を付けましょう。
2-5は全て、電子化されています。
「Historic Works on Fingerprints」というサイトで読むことができます。
グーテンベルグプロジェクトでも上記文献2.は紹介されています。
「The Project Gutenberg EBook」
望月吉彦先生
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