望月吉彦先生
更新日:2021/12/13
本号の主題に移ります。
皆さんは故日野原重明先生(1911-2017)のことをご存じかと思います.105歳で亡くなる直前までお元気で講演、本の執筆、作曲など八面六臂の活躍をなさっていました.今もお元気なら、新型コロナウイルス感染症にどうやって対処したか興味があります。
日野原先生は「地下鉄サリン事件」で見事な指揮をとり被害者の治療、救命に当たりました。あり得ないような偶然が重なったのです。
あり得ないくらい素晴らしい対処です。どれか1つ欠けていたら大勢の死者が出ていたと思います。怖いことです。日野原先生、ご存命なら新型コロナウイルス感染症に対してどのように対処したか考えてしまいます。
日野原先生は実に多くのことを成し遂げています。
あまりに多くのことを成しています。私が大学を卒業した頃は、まだ一般の方にはさほど知られていませんでした。よど号事件の飛行機に乗り合わせて北朝鮮まで行った先生くらいしか、認識はなかったと思います。しかし、2001年90歳の時に出版した「生きかた上手」がベストセラーになりそれからは一般の方にも広く知られるようになりました。
これは2012年抗加齢学会で1時間の講演をなさった時の写真です。当時、御年101歳。101歳で立って1時間講演をしていました。凄いとしか言いようが無いですね。この時の演題は「どうしたら長生きできるか?」という真面目な講演でした。最新の文献を多数紹介しつつ、ご自身のお考えを話していました。
余談ですがこの講演で診療中に風邪の患者さんから風邪をうつされない方法を話していました。「聴診器を胸に当てる時、決して患者さんの正面から聴診器を当ててはいけない。聴診中に咳をされると風邪がうつる。この年で風邪をうつされると命取りになる」と仰っていました。私もこれは実践しています。この講演当時101歳でしたが「あと5年は予定が一杯でスケジュール帳がいっぱいになっている。だから死ぬわけにはいかない」と仰って笑いをとっていました。
研修医の頃、日野原先生と仁木久恵先生(聖路加看護大学教授(英語学))が翻訳した「平静の心」読むように先輩医師から勧められました。オスラー医師は世界的に有名な内科医です。そのオスラー医師の講演集です。医療に対する哲学や実践方法が書かれています。今、読み返してみると色々と頷けることが多いです。オスラー医師はリンゲル液のリンガー先生の弟子でした。以前、そのことを紹介しました(記事:016:リンゲル液の発見をもたらした4つの偶然)。
オスラー医師はリンガー医師の弟子だけあって、科学を重視しました。
オスラー医師の残した言葉を2つだけ紹介します。
などの言葉を残しています。
私が「平静の心」を読んで心に残ったのは、医師を志すなら
「毎日勉強せよ」
「酒色に溺れてはいけない」
「船には沈没しないように区画室がある。それと同じように 酒色に溺れ無い様にするために毎日“防日区画室”を自分で作って酒色から離れて勉強することが大切だ」
とかそういう言葉です。
今読んでも勉強になる素晴らしい内容の本です。
ここから「砕けた」話になります。
1984年のことです。当時、日野原先生は東京慈恵会医科大学附属病院心臓外科(新井達太教授時代)に患者さんを時々紹介してくださっていました。そして自分の患者さんが慈恵医大心臓外科病棟に入院している間、決まって水曜日の午後8-9時頃、慈恵の病棟を訪れ患者さんを診察してカルテに診察所見、レントゲンの所見、投薬の指示(というか意見)を書いていくのです。当時、73歳です。なかなかできることではありません。
最初に数回お見かけした頃、私は日野原先生の顔を知りませんでしたので日野原先生のことを「自分が紹介した患者さんを診察しに来るどこかの熱心な開業医さん」だと思っていました。「○○さんの所に案内してください」と言って病棟に来られるのです。日野原先生が来られた時、たまたま私しか病棟にいなかったのでいつも私が患者さんのところに案内していました。この「開業医」さんは医師だと解っていたので私の聴診器を貸していました。ある日の夜、先輩の先生と一緒に病棟にいた時、日野原先生がお見えになりました。先輩の先生はその先生に向かって深々とお辞儀をして丁寧に接していました。
「望月、あの先生は聖路加の日野原重明先生だ」
「今度から日野原先生がお見えになったら必ず連絡をするように」
「失礼がないように」
と言われました。
ええええ! とびっくりしました。あの「平静の心」で有名な聖路加の日野原重明先生が夜、ひとりで他病院にまで自分の患者さんの診察に来ていたのです。「凄い」と思いました。今、思うと聴診器にサインでもして頂いていたらとか御著書にサインでも頂いていたらと思います。何にせよ、頭が下がる思いがしました。
後年、夜遅くにでも患者さんを診察に来る理由が記された本(文献4)を読み、その理由がわかりました。日野原先生が京都大学病院で研修を始めたときのことです。最初に担当した16歳の患者さんは重病でした。その患者さんが亡くなる前、決まって日曜日毎に熱発するのでおかしいと思ったら、その16歳の患者さんは「日曜日は日野原先生が来ないから不安で熱が出る」と言っていたのだそうです。それを同僚の医師から聞いた日野原先生はできるだけ患者さんのところに行くことにしようと思いそれを実行していたのです。言うは易く行うは難しです。なかなかできることではありません。
「哲学を持った医師は神に近い」というヒポクラテスの言葉を想起します。
ここからは学問の話です。
1943年、日野原先生は心音の研究で京都帝国大学より医学博士号を授かっています。学位論文を紹介しましょう。①の論文がそれです。
この論文2.が載った日付を見て、一寸、ぎょっとしました。なんと1941年12月に発刊された号に掲載されています。1941年12月は日本軍が真珠湾を攻撃、太平洋戦争が始まった月です。
これが論文のタイトルです。
「Systolic gallop rhythm:収縮期奔馬調律(しゅうしゅくきほんばちょうりつ)」
この雑誌に載っている図です。胸壁と食道にマイクロフォンを置いて心音を記録して分析した論文です。ピアノが趣味だった日野原先生らしい「音」にこだわった論文です。立派な論文です。アメリカ留学をしたことが無かった日本人医師がアメリカの雑誌に投稿していたのです。なかなか出来ないことです。この論文は戦争中でもあり掲載されたかどうかを知る術が無かったそうです。論文が掲載されていたことを知ったのは昭和26年(1951年)に日野原先生が渡米した折のことだったそうです(文献4)。
後に日野原先生は多くの論文を書き、また多くの著書が出版されました。この論文は先生が最初に書いた論文です。「栴檀は双葉より芳し」と言いますが、この論文に後年の日野原先生の活躍の元があると思っています。ご興味がある方は連絡をください。私事になりますがこの「American Heart Journal誌」から論文の査読依頼を受けて数編の査読をしたことがあります。良い思い出です。
色々と日野原先生のことを書き記しましたが、一生懸命患者さんの治療に当たり、色々なことを創始し、そのほとんどが開花し文化勲章も受章。「完璧」な医師人生だった思います。
日野原先生の京都帝国大学時代の指導教授は、論文にもある眞下俊一(ましもとしかず)先生です。眞下先生は、今、真下と紹介されることが多いのですが間違っています。眞下が正しいのです。京大関係の書類には「眞下」とあります。日野原先生の論文でももちろん「眞下」と記されています。眞下先生は心電図、心音図を研究していました。日本循環器学会の創設者の1人であり、循環器学会の第一回から第四回まで眞下先生が循環器学会の会長を務めています。その眞下先生に不幸が訪れます。昭和20年9月、原爆による人体への被害を調査するため広島に赴き滞在先で枕崎台風がおこした山津波に巻き込まれてお亡くなりになっています。日野原先生が「長生きにも運が必要」と話していたのにはこのような恩師の悲劇も念頭にあったのかも知れません。
日野原重明先生が診察に行かないと熱が出る患者さんの事を紹介しましたが、これはストレス性体温上昇(stress-induced hyperthermia;SIH)だったと思います。ストレスなどで心因性に体温が上がる現象です。最近、ストレスによる熱発研究が行われています。そんな概念がまだ無かった頃にこういう現象に自然と気づいていた若き日野原先生はやはり臨床医として超一流だったと思います。
「現状」を記録することにある一定の意義があると思っているので、最初に新型コロナウイルス感染症の話題をいくつかお伝えします。
コロナ関連のデータは Our World in Data という電子出版のサイトから引用しています。
コロナの現状(図1、2) 日本は平穏無事です。
現時点(2021-12-03)で東京のコロナ患者発症数は7-30人となっています。2021-12-04は20人です。東京の人口は1400万人、70万人に1人の発症者しかいません。ほぼ収束しています。このままこの状態が続けばいいですね。しかし、欧米は大変なことになっています。例えばデンマークです。いきなり発症数が上昇しています。
図1:2021-11-12のデンマークと日本 100万人辺りの発症数
図2:イギリス ドイツ 日本 100万人当たりの発症数
イギリスもドイツも同様です。つまり欧米は全く収束していないことがわかります。フランスも急増している(1日5万人の新規感染者)と報道されています(2021-12-03)。
新型コロナウイルス感染症の発症数の増減についてはさまざまな論考がなされていますが、今のところ「正解」は無さそうです。いくつか紹介します。
これまでの日本の発症数を分析すると、ほぼ120日周期で消退を繰り返しています。つまり、2月、6月、10月に底になり、その後増えています。さて今11月後半ですが日本では発症数が増えていません。120日周期が敗れこのまま平坦になってくれればいいですね。
図3
日本の第五波は他の波に比してかなり高くなっています。分析するとオリンピック前後で増えています。やはり外国との往来が多いと増えるのでしょうか?東京オリパラの開催日を見てみましょう。
東京五輪:2021年7月23日~8月8日
パラリンピック:2021年8月24日~9月5日
これらの大会に伴い世界中から多くの選手や選手のサポートをする方が日本を訪れました。第5波の高さはこれに関係するかも知れないです。
COVID-19が日本に入ったのは2020年1-2月です。この時期、中国から多くの旅行者が世界中を旅行しました。世界中に中国からの旅行者が散らばったためにCOVID-19を世界に広めたと言われています。
外国からの往来が増えると日本では発症数が増えるのかも知れません。しかし、何時までも鎖国のような状態にしておく訳にはいかないでしょう。どのタイミングで入国を緩和するか、難しい問題です。
図4
厳しいロックダウンをしている国(例えばオーストラリア、ニュージーランド)よりも、日本は発症率が低くなっています。なんでもロックダウンすれば良い訳でも無さそうです。
図5:韓国は日本よりもコロナ発症数が少なかったのにいきなり上昇
韓国は一貫して日本より発症数が抑えられてきました。しかし、ここ1ヵ月急上昇しています。往来の制限を緩くしたからと言われていますが、本当でしょうか?
さまざまな説があります。
などがその要因だと思います。他国と大きく違うのが2と3だと思います。4ですが、理研からそれを裏付ける論文が最近掲載されました。
Kanako Shimizu etc. :「Identification of TCR repertoires in functionally competent cytotoxic T cells cross-reactive to SARS-CoV-2」 Communications Biology volume 4,Published: 02 December 2021
それによると「日本人の多くに新型コロナウイルス感染症に対するT細胞の既免疫がある」のだそうです。これが本当なら日本が新型コロナウイルス感染症に対して平穏無事なのも「宜なるかな」です(参考:「新型コロナウイルスに殺傷効果を持つ記憶免疫キラーT細胞」理化学研究所)。
この夢のような状態がずっと続き、第6波が来ないと良いですね。感染症は本当に厄介です。始末に負えないです。目に見えないモノ相手は本当に難しいです。
国境の長いトンネルを越えると。。。そこはコロナ禍だった。
新型コロナウイルス感染症は国境が変わるとかなり発症数、発病率、死亡率が違います。これは実に興味深いことです。スウェーデンはコロナ禍が始まった時、マスクは強制せず、ロックダウンもせず、緩い規制だけを行いました。当初、発症数が激増し、周囲の国から批判を浴びました。現在、そのスウェーデンは周囲の国よりもかなりコロナが抑えられています。
スウェーデンは、現時点でもかなり発症が抑制されていますが、デンマーク、フィンランドは何故か激増しつつあります。国境でコロナウイルスが変化するわけでは無いので、「国の対策」でこのような違いが出ているのだと思います。各国のCOVID-19政策担当者はおそらく頭をかかえていると思います。ただし日本は理研の論文が正しいなら「国の対策」以前に何をヤッテモ今のような平穏無事状態だったのかもしれないです。
2021年11月26日、南アフリカ共和国で新たな変異株であるオミクロン株(ギリシア語: όμικρον、英: omicron)が出現しました。オミクロン株についてはまだ不明な点も多いのですが「感染力がデルタ株よりも強い」と予想されています。日本も明日(2021-11-30)から、外国人の新規入国に関して厳しい処置をとることになりました。この処置は30日続くと報道されています。この先どうなるのでしょう。
望月吉彦先生
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