望月吉彦先生
更新日:2021/11/08
前回の続きです。「歴史的仮名遣いとは何か?」というお話でした。
簡単に言うと、平安時代から使われてきた仮名遣いです。どういうふうに仮名が使われてきたかを江戸時代の僧侶であり古典学者だった契沖が『万葉集』、『日本書紀』、『古事記』、『源氏物語』などの古典に使われている仮名遣いを「和字正濫抄(わじしょうらんしょう)」(古典籍総合データベース)に著し、これに準じた仮名遣いが「歴史的仮名遣い」あるいは「旧仮名づかい」です。基本的に太平洋戦争終了まではこの歴史的仮名遣いで文章が書かれていました。
いくつか紹介しましょう。
太平洋戦争終了後に、表記と発音とのずれが大きい歴史的仮名遣いは使われなくなりました。今私たちが使っている「現代仮名遣い」にとって変わられました。
詳しくは下記文献1.2.を参照ください。
要するに教科書に使う仮名遣いを現在私たちが使っている「現代仮名遣い」に統一したのです。しかし、今どのような仮名遣いをしようが自由です。丸谷才一のように、あえて、歴史的仮名遣いで文章を書いている人もいます。
甲府駅の話に戻ります。現代仮名遣いでの甲府の表記は「こうふ」、歴史的仮名遣いでの甲府の表記は「かふふ」あるいは「かうふ」です。あれ?それなら「表記が間違っている?」と私が書くのはおかしいではないかと思われる方もいるでしょう。
「かふふ驛」という表記が間違っている明白な証拠を示して論考をしたいと思います。
今私たちが読んでいる日本語で書かれた普通の文庫本、新書類、小説、雑誌、新聞は縦書きです。科学系の教科書は横書き、文系の教科書は縦書き、ビジネス文書は横書きです。
要するに日本は縦書きと横書きが混在しています。縦書きを使っている国は数少ないです。漢字を使っている(いた)国、中国、韓国、日本は縦書きが基本でした。モンゴル文字も縦書きが基本です。今、縦書きがどれくらい残っているのでしょうか?
日本は、明治時代になり開国するまで、蘭学を学んだ人は別にして、一般人は横書きの書物を読んだことはもちろん見たことも無かったと思います。それが明治時代になり、一変します。
日本語の縦書きは右上から、左下に文章が続きます。つまり、右から左に読むのが日本語を読む時の基本です。横書きは、今なら、なんのためらいも無く左→右に書きます。これを「左横書き」と言います。
明治時代に、欧米からの書物が入ってきて困ったことが起きます。英文、独文、仏文すべて「左横書き」です。でも、しかし、日本語は縦書きで、右から左に読んだり書いたりします。これを「右縦書き」と言います。
縦横+左右があり、4通りの書き方があります。
の4通りです。少し触れましたが、②以外はすべて普通に明治時代の日本で使われていました。
縦書きしか見たことが無かった日本人は苦労します。欧米系のラテン文字は縦書では読むのに苦労します。
少し遊んでみましょう。川端康成の「雪国」の冒頭を①③④で記してみました。 明治初期にこれを書いて出版するなら
①右縦書き:普通に読めます。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
夜の底が白くなった。
信号所に汽車が止まった。
③右横書き(右から左に読む):読めないですね。
←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←←
。たっあで国雪とるけ抜をルネントい長の境国
④左横書き:
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
これなら今でも普通に読めますね。
つまり日本語で文を書く方法として現在残っている文章の表記法は縦右書き、横左書きの二つです。
この二つに収斂するまでかなり混乱しています。
下二つは明治時代の辞書です。ラテン文字部分は当たり前ですが、横左書き。和訳部分は縦書きです。辞書を引くのも、辞書を横にしたり縦にしたり、大変だったのですね。
私が持っている大正時代に書かれた内科の教科書も、縦書き、横左書き、横右書きが混在しています。
図1:際實ノ療診科内
著方義川西
右横書きです。読みづらいですね。
図2:普通に右縦書きですが、横文字部分は読みづらいですね
図3:複雑な西欧文字部分は左横書きと右縦書きが混在しています
新聞は終戦時まで横書きは右横書きでした。
縦書きと右縦書き、左横書きが混在しています。右上の食堂の看板は右横書きですが、他の横書きは左横書きですね。
要するに何を言いたいかと言うと明治になり、開国した結果、欧米の文物が大量に日本に入ってきて、それまで「横書き」を見たことが無かった日本人は困ったのですね。だから、日本語は廃止してフランス語を導入しようとしたり、漢字仮名カタカタを廃してローマ字を使おうとか今思うと「トンデモない」ことが提案されたりしています。
縦書き表記は従来通りの右縦書きのままですが、横書きは①右横書きと②左横書きが混在していたのです。現在のような横書きが左横書きとして統一される一端は開戦の翌年(昭和17年)のことです(参考文献1. 184頁)。横書きが左右に分かれて混在したら非能率的だったからです。それでも本格的に左横書きが広まるのは終戦後です。
次回に続きます。
望月吉彦先生
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