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147:偶然とは… 黒い雨、井伏鱒二のことなど(2)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2021/05/31

2020年東京五輪開催日まで、あと残り2ヵ月

2020年東京五輪開催日まで、あと残り2ヵ月となりました。今夏(2021年)2020 東京五輪は開催されるでしょうか?
開催、中止の両方から考えてみましょう。

A. 開催派の言い分

  • ここまで準備して、五輪を開催しなければ、経済が回らない。
  • ワクチンを打てば、自然にCOVID-19も収まるだろう。
  • 五輪用の施設は作ってしまった。使わないともったいない。
    国立競技場、様々な会場、選手村、etc.
  • なによりこの五輪を目指して頑張って来た選手のことを考えて欲しい。開催しないなら選手がかわいそうである。中止派は簡単に中止というが一生に一度となるであろう「東京五輪」を目指してきた選手のことを考えたら開催した方が良いし、開催すべきである。
  • PCRを徹底して行うから、COVID-19蔓延を予防できる。
  • 選手、監督、コーチは囲い込む「=バブル方式(泡bubbleの膜で囲むからきている)」ので、感染が拡大することは無い。

B. 中止派の言い分

  • 選手村には10000-15000人も宿泊する。この間、COVID-19発症者がずっとゼロになるとは思えない。もし発症すれば選手村は閉村せざるを得なくなる。その時点で五輪は終了となる(だろう)。選手は希望すればホテルでの滞在が許されている(費用を負担できる選手)。そんな選手をバブル方式で囲い込むことができるのか? 選手村も完全に囲い込むことは不能。ましてやホテルを囲い込むことは不能。
    注:Jリーグ、プロ野球など、PCRを定期的に行っている競技で、COVID-19発症者、PCR陽性者がゼロになっていないのを見ればわかる。
  • 外国人選手は選手村に直接来るわけではない。随分前に来て日本各地で合宿する(これは怪しくなっています)が、その際の外国人選手の移動はどうするか?
  • 五輪関係者、五輪取材者のホテルは決められたホテル以外は使用できないと言っているが、非現実的。なお多くの関係者が泊まっているホテルでCOVID-19を発症する方が出ればそのホテルは閉鎖となる(だろう)。そうなると大混乱になる。
  • 五輪開催には多くのボランティアが必要だが、ボランティアの方がCOVID-19に罹患したら、誰が治療費用などを負担するのか?もし、不幸なことが起こったらどうするのか?
  • COVID-19のために選手達は充分な練習ができていない。無理して開催する理由がない。テニス、サッカーなどのプロ選手は五輪に参加しないだろう。五輪に来てCOVID-19にかかれば選手生命が絶たれるかもしれないからである。
  • 食事はどうするのか?さまざまな国からさまざまな宗教を信奉する選手が来る。さまざまな宗教に「禁忌食」がある。それに対処するため、大食堂でのビュッフェ形式の食事提供をすることになったと報じられている。しかし、その食堂で食事をした選手が感染したらどうなるのだろう?その選手と同一時間に食べた選手は濃厚接触者となり隔離されるのだろうか? その選手の動線にいた選手、関係者も濃厚接触者となり隔離されるのだろうか? 濃厚接触者には隔離部屋に「弁当」を朝、昼、晩、に届けることになるのだろうか? 灼熱の東京である。食中毒を警戒し、揚げ物などがメインになるだろう。それで選手は喜ぶか? さまざまな宗教に対応した弁当も必要になるだろう。常識的に考えてこれだけでも、ビュッフェ形式の食事提供は危険だと思う。弁当をすべての部屋に配達するのも難しい。。考えれば考えるほど、大変である。
  • COVID-19を選手or五輪関係者が発症したら、日本がその費用を負担することになっている。もし入院が必要になったら言葉の問題をどうするのか? 英語はまだしも、仏語、独語、ロシア語、タイ語、スワヒリ語、アラビア語…… 通訳を付けることができるのか?
  • 8万人にも及ぶ「大会関係者」をバブル方式で囲い込めるのか?
  • 7月は高齢者ワクチン接種を行っている時期、そういう時期に医療関係者に負担がかかるかもしれない五輪を行って良いのか?

などです。「医療」の面から考えると結論は1つです。
議論は尽きません。五輪はどうなるか?もう少しで結論がでます。どちらに決まってもその判断が「正しかったかかどうか」は10年、20年、50年、100年経ってから「歴史」が判決を下すでしょう。

さて前回より続く1964年五輪ユニフォームの話を続けます。

1964年東京五輪のユニフォームのデザインは

写真:平成28年 広報ふじかわ 12月号(No.81)
山梨県富士川町広報誌より引用(同町より、掲載許可を得ています)
平成28年 広報ふじかわ 12月号(No.81)

前回でも紹介したこの紅白のブレザーは1964年東京五輪の開会式で選手が着用したユニフォームです。紅白の鮮やかさが印象的です。2020東京五輪に採用された開会式用ユニフォームより上等な気がします。

それも当然です。このユニフォームは、選手1人1人を採寸、しかも上質なウール生地(大同毛織製:現 (株)ダイドーリミテッド))を使ったブレザーだったのです。

このユニフォームは巷間、「ヴァンヂャケット(VAN)」の創業者として有名な石津謙介(1911-2005)作と言われていますが、間違いです。間違った事実が広く伝わってしまった事情は「1964東京五輪ユニフォームの謎 消された歴史と太陽の赤光」(文献5)という本に詳しく書かれています。この本は上質なミステリーの謎解きを読んでいるような気分になりますし、科学論文を読んでいるような感じも受けます。「調べるとは何か」「調べることの面白さ」も学べる素晴らしい本です。

この本の著者の安城寿子氏(アンジョウヒサコ:1977-。服飾史家。阪南大学流通学部専任講師。日本オリンピック・アカデミー会員。学習院大学文学部哲学科卒)は博士(学術)でもあります。同氏の学位論文は「近代日本服飾とモードの関係をめぐる歴史的研究」です。

色々と調べるうちに、服飾史という学問があることを初めて知りました。私は日本の服飾についてほとんど知識がありません。なんとなく平安時代の十二単(じゅうにひとえ)とか、呉服、和服とか洋服とか、単語としては知っていますが、衣服の歴史など全く知りません。少し調べてみました。 「世界最古の服」がナショジオに載っています。5000年前の服です。

「タルカン・ドレス」と呼ばれています。エジプト・カイロ南側の古代墓「タルカン」で見つかったからです。写真を見ればわかりますが、かなりデザイン性が高いです。今、これを復元しても「普通に売れる」と思います。というか、復元して販売して欲しいです。
なお残念なことに日本最古の「服」は不明でした。

話を戻します。1964年五輪ユニフォームは石津謙介デザインではなく、望月靖之デザインであることに気づいた安城氏は、それを証明するため、広範な資料と取材で反論されないよう緻密な分析をしています。読んでいると驚くような事実が次から次に判明していくので、著者も楽しんでいる?ことが伝わってきます。そういう本はこちらも楽しくなります。良本です。

凄いなと思ったのは石津謙介氏自身が書いた「望月靖之デザインの1964年五輪ユニフォームに対する批判文」を発掘したことです。石津謙介氏はあのブレザーは良くないと批判しているのです。しかし、時が経つにつれあのブレザーの評判が良くなり、石津謙介デザインだと言われるようになると、石津氏自身が「アレは私のデザインではない」と言わなくなったのです。
1964年のブレザーは赤色が際立っています。その赤色を決めるのに、資生堂(口紅を作っているので赤色の見本が2000種以上ある)と日本色彩研究所と大同毛織と望月靖之氏が協議して決めたのです。「朱赤」というのだそうです。これを決めるまでの紆余曲折も興味深いです。単に「赤」と言ってもさまざまなのですね。

注:この安城氏の本を読んで、角田房子(著)「碧素・日本ペニシリン物語(1978年)」を思い出しました。角田氏の本も調べに調べて書かれています。角田氏の本をスタンダードにして他のノンフィクションを読むと「薄い調査による内容が薄い」本が多いことがわかります。もちろん安城寿子氏の本は「合格」です。ノンフィクションを本気で書くなら、科学論文なみの調査が必要だと思います。

余計なことを書きすぎました。
話を「黒い雨」関連の話に戻します。毎夏、終戦記念日が近づくと戦争に関する特集報道があります。昨夏(2020年)の白眉は、NHKスペシャル「忘れられた戦後補償」でした。「普通の空襲で障害を生じた方には、一切その補償は無い。無かったし、今後も無い」。そういう報道でした。空襲で足を失った方のインタビューがありました。

「空襲で足を失ったが、それに対する補償は一切無い」

「補償が出るように交渉もしたが、もう諦めている」

虚を突かれた感じでした。米軍による空襲で、日本各地は大きな被害を受けました。亡くなった方、障害を負った方、たくさんいたと思います。その補償が「ゼロ」だと知らなかったです。かなり可哀想な話です。ドイツ、イタリアは空襲被害者にも補償(どの程度か不明)をしていた(る)と報道されています。

日本では、従軍した軍人、軍属の方、その遺族の方にも年金が支払われ、障害を受けた方には十分とは言えないかもしれませんが、補償を受けることができます。しかし、空襲被害を受けた「一般人」は一切補償が受けられないのです。何か変な話です。戦争はまだ続いていると思いました。

しかし、2021年3月14日「空襲等民間戦災障害者に対する特別給付金の支給等に関する法律案」が国会に提出されるという報道がありました。空襲による障害が認定されたら、その方に「一律50万円」が支払われるという法律です。受けた被害、受けた障害に対して、充分とは思えないです。しかし、障害を受け、さまざまなご苦労をなさってきた方々に少しでも補償の手が差しのばされるのは良いことだと思います。現時点(2021-05-19)で、追加の報道がありません。審議はどうなっているのでしょうか? 空襲で障害を負った方は高齢です。少しでも早く、この法案が成立することを望みます。

私の出身地である甲府市も空襲(1945年7月6日夜から7日にかけて)で一面焼け野原になっています。小説「黒い雨」にも甲府の空襲の事が記されています。
なお、米軍による最後の空襲は1945年8月15日に行われました。8月14日から15日に切り替わって直ぐの夜中、埼玉県熊谷市は地方都市にしてはあり得ないような大空襲を受けています。市街地面積の74%が被災しています。最後だから、ありったけの爆弾、焼夷弾を投下したのでしょうか?
8月15日の空襲は熊谷市だけではありません。他にも秋田県土崎港(つちざきみなと)、群馬県伊勢崎市も「最後の空襲」を受けています。
総務省によると、当時秋田県には油田があり、油の貯留所があった土崎港が狙われて空襲を受けたと推定されています。(秋田市における戦災の状況(秋田県):総務省 )。
伊勢崎市は、中島飛行機の部品供給工場があり、それを狙っての空襲だとされています。総務省や伊勢崎市の資料によると、それぞれの空襲で大きな被害を蒙っていることがわかります。
熊谷空襲:死者234人、負傷者3,000人
土崎港空襲:死者250人、負傷者不明
伊勢崎空襲:死者29人、負傷者154人、8,511人が被災
8月15日正午には昭和天皇による「玉音放送」が全国にラジオで放送され、日本は全面降伏しています。その10時間前に「最後の空襲」を行う意味がわかりません。

さて、前回で触れた⼩説「⿊い⾬」は盗作だとする議論があります。⿊い⾬は元本があるからです。でも私は盗作だとは思いません。というような話は次回で。。。

追補:

8/14-8/15の空襲に関してですが、熊谷、秋田の他にもある事がわかりました。ここに追加します。他にもあるかも知れません。ご教示してくださった方に感謝します。

【参考文献】

  • 井伏鱒二:川釣り(岩波文庫)
  • 井伏鱒二:山椒魚(新潮文庫)
  • 井伏鱒二:黒い雨(新潮文庫)
  • ウルシュラ・スティチェック:「世界で読めるヒロシマとナガサキ」県立広島大学人間文化学部紀要 1 4,105-113(2019)
  • 安城寿子:「1964東京五輪ユニフォームの謎 消された歴史と太陽の赤」(光文社新書)
    注:良い本です。よく調べてあります。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
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