望月吉彦先生
更新日:2021/04/26
いささか旧聞に属しますが、2021年2月に「「黒い雨」訴訟控訴審が結審 広島高裁、7月14日判決」(日本経済新聞)との報道がなされました。これは、「2020年夏、「黒い雨訴訟」の広島地方裁判所での判決」(参考:NHK 解説委員室)に対して、国、広島県、広島市が控訴していたのですが、その判決が広島高裁で下されるとの報道です。 一審では原告側の勝訴でした。
終戦から、もう76年です。それでも原爆による被害の問題は続いています。原爆による被害者には、原爆被害者対策がとられています。対象となる方は限られています。
です。このうち、1.の直接被爆者とされるのは、
に在住だった方です。
参考:被爆者とは(厚生労働省)
被爆者援護施策の歴史は複雑です。
参考:被爆者援護施策の歴史(厚生労働省)
様々な施策がなされるなか、1976年には原爆直後に降った「黒い雨」を浴びた地域を「特例区域」としました。この「特例区域」に住んでいた住民は無料で健康診断を受けられるようになり、「がん」など原爆に由来すると思われる特定の病気の医療費は原則無料になる「被爆者健康手帳」が交付されるようになったのです。
この「特例区域」は原爆投下直後(昭和20年9月~12月)に広島管区気象台の技師6名が行った調査に基づいて決められました。この調査により「爆心地から北西に19キロ、幅11キロで大雨が降った」と認定され、大雨が降った地域を「特例区域」に指定したのです。
食糧事情も交通事情も悪い終戦直後、たった6名の気象台技師で、しっかりとした「降雨範囲調査」がなされたとは思えないです。原爆投下から35年も経ってから「大雨」が降った「特例区域」が指定された事情も私にはよくわからないです。
1976年、この「特例区域」が指定された時、その区域外でもザーザーと降る「黒い雨」を浴びたと証言する方々が多数いらっしゃいました。そしてこの区域指定に異を唱えたのです。
広島県、広島市は調査を行い。2008年には以下の図の如く、「大雨」「小雨」「推定降雨地域」を定めました。「大雨」とあるのは「特例区域」と重なります。
黒い雨が降った地域(公益財団法人ニッポンドットコム)
広島県、広島市が黒い雨が降ったのはもっと広範囲だったと推定しても「特例区域」は広がらず「特例区域」以外で黒い雨を浴びた方々に援護の手は差しのばされる事がありませんでした。
それが、2012年に始まる「黒い雨訴訟」に通ずるのです。今も続いています。控訴側には、国はもちろんのこと、なぜか「広島県、広島市」も入っています。この辺りまことに難しいです。
この裁判で井伏鱒二の小説「黒い雨」のことを思い出しました。原爆後に降った「黒い雨」の描写があります。黒い雨を浴びた人達がその後がどうなるかを知っているので読んでいると暗澹たる思いになります。この小説は英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、ペルシャ語など22の言語に翻訳され世界中で読まれています(文献4)。映画にもなっています。
「井伏鱒二」のこと、そしてCOVID-19治療に使われている「ECMO」の報道を聞いて、あることを思い出しました。「原爆」とは全く関係の無いことです。
ある病院で働いていた時、人工肺を作っている会社の方が新型人工肺の説明に来られました。
心臓の手術をする時、人工心肺という「一時的に心臓と肺の代用をする」機械を使います。その機械に人工肺を使います。人工肺は、静脈血に酸素を付加する装置です。COVID-19重症例治療でも使われているECMOにも人工肺は使われています。右房にもどってくる静脈血に酸素を添加するのがECMOの役割です。
話を戻します。新型人工肺の説明が終わり雑談となりました。説明に来た方の苗字は「依田」でした。「依田」という名前は山梨県の南部にある「富士川町(旧鰍沢町、増穂町)や下部町」に多い名前です。ちなみに私の「望月」という名前も同じ地域に多いのです。もしやと思い、
昭和43年1月号「俳句」(角川書店)に載っている井伏鱒二が書いた「飯田龍太の釣り」から引用します。
「ヤマメ床といふのは、ヤマメ釣りの上手な床屋である。三十年前、私はヤマメ釣りをはじめた頃、この床屋さんから釣り方を教はつた。私のヤマメ釣の師匠である。釣の技術が堂に入っている。川面を流れていく木の葉をねらって振り込むと、その葉の上に餌が乗っている。それほどの技術を持っている」
とあります。「ヤマメ床」は井伏鱒二の命名です。井伏鱒二の「川釣り」などにもヤマメ床のことが書かれています。
井伏鱒二の小説「山椒魚」が教科書に載っていた(る)ので「山椒魚」をきっかけにしてその著作を読んだ方も多いのではないかと思います。井伏鱒二は戦争中、山梨県の石和(当時温泉は出ていない)に疎開しています。太宰治に甲府の石原家のお嬢さんを紹介、太宰はその方と結婚しています。山梨在住の飯田龍太と交流が深く、戦後も度々山梨を訪れていることなどから、甲府出身の私には身近に感じられたこともあり、井伏鱒二の本はよく読みました。
ちなみに、前回ご紹介した朝日俳壇ですが、拙句が載った同じ日に
「岩魚釣る 鱒二龍太の よき日かな」 加田 怜
という俳句が載っていました。良い俳句ですね。井伏鱒二と山梨在住の俳人飯田龍太が岩魚釣りを楽しんでいる風景が浮かんできます。「黒い雨訴訟」や「ECMO」のことを聞いて、色々なことを思い出しました。
広島、長崎の原爆資料館を見学すると胸が塞がる思いがします。1959年、キューバ革命の英雄「チェゲバラ」は広島を訪問しています。原爆資料館や原爆病院を訪問しています。ゲバラは「なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのか」と言ったと報道されています。医師でもあったチェゲバラは広島市の原爆資料館、原爆病院を見て、何か感じることがあったのではないでしょうか?
毎年8月になると広島,長崎で原爆による犠牲者の慰霊ために平和祈念式典が執り行われます。2016年、オバマ大統領が広島の平和式典に来たのは記憶に新しいですね。アメリカの現職大統領が広島に来るとは思いもよりませんでした。オバマ大統領が広島で献花した後、原爆被害者の手を握り、肩を抱き寄せて慰めていた姿は感動的でした。
それはともかく、なぜ一般市民が生活する市街地(広島、長崎)に原爆を落とさなければならなかったのか、全く納得できません。オバマ大統領も原爆投下について謝罪したわけではありません。米国では「原爆投下は戦争終結のために必要不可欠だった」と言われていますが、納得できる話ではありません。
さて、話は変わります。今夏 2020 東京五輪は開催されるでしょうか?
平成28年 広報ふじかわ 12月号(No.81)
山梨県富士川町の広報より
上に示す赤いブレザーは1964年東京五輪の選手ユニフォームです。今のブレザーよりも格好いいと思います。
「このブレザーがなぜ『山梨県富士川町』の広報に載っているか」などを紹介したいと思います。次回に続きます。
望月吉彦先生
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