望月吉彦先生
更新日:2020/11/09
前回の続きです。
ある日、ある時、超重症の心不全患者さんに人工心臓を装着しました。こういう手術後の患者さんの管理は大変です。毎日、たくさんの処置や検査が必要です。
多くの検査のひとつが「心電図検査」です。心臓の状態を検査するために、毎日3回、心電図を取っていました。心臓の状態が良くなると心電図でもわかります。
皆さんも心電図検査を受けたことがあると思います。普通の心電図検査なら簡単です。数分で終わります。しかし、人工心臓を装着している患者さんの心電図検査は結構大変です。
※以下に心臓に装着した管の写真があります。血が苦手な方はお気をつけください。
写真1:心臓に装着した管
この管を通して人工心臓に血液を送り、人工心臓から血液を駆出することで心臓は休むことができるのです。
なぜかというと、この写真のように心臓を補助するために、心臓と血管に管が入っています。この管は胸壁を通して、外部の人工心臓につながっています。ここから細菌が入り込み人工心臓に感染することがあるので、それを予防するため、ポリエチレン製のフィルム(通称をサージカルドレープと言います)で覆っていました。
ポリエチレンは絶縁体です。心電図検査に使う電極をこの絶縁体であるポリエチレンフィルムの上に置いても電気は流れない(と思われていた)ので、このポリエチレンフィルムを日に3回剥がし直接患者さんの胸に心電図の電極を付けて心電図記録を行い、再度新しいポリエチレンフィルムを貼るという作業を毎日繰り返していたのです。
看護師さんと一緒に行うのですが結構面倒です。1回の処置に15分くらいかかります。胸には血液が流れる管が数本入っているのでそれらの管に障害が起きないように神経を使っての処置を行います。ドレープを剥がして、患者さんの胸に電極を置いて心電図検査を行うのです。かなり面倒です。ずっと病院に泊まり込んで、そういう処置や追加手術などを行っていました。
そういう日々が続いたある日、大学時代に「有機物質にハロゲン化物を添加すると、本来導電性がない有機物質に導電性が出現する」ということを有機化学の授業で習ったのを思い出しました(余話2を参照ください)。上記のポリエチレン製フィルムには2種類あります。
の2種類です。感染予防にはヨードが糊に含まれている方が良いだろうと思って1. の「糊にヨードが含まれている製品」を使っていました。ヨードは「ハロゲン」です。ポリエチレンは、有機物ではありませんが何となく
「ポリエチレンにヨードが含まれているなら電気が通るかも知れない」
と思いつきました。今でも何でこんな突飛も無いことを思いついたのか、良く解りません。
患者さんに害を与える処置では無いので、糊面にヨードが含まれているポリエチレンフィルムの上に心電図の電極を置いて心電図記録を試みました。そうしたら、なんと絶縁体であるはずのポリエチレンフィルムの上で心電図が記録できたのです。
「ええ! 何なんだろう! 凄い!」
と思いました。一緒に心電図を記録していた看護師さんもびっくりしていました。翌日、糊面にヨードが含まれていないポリエチレンフィルムの上に電極を置いて心電図記録を試みました。心電図は全く記録できません。これは面白い現象です。導電性のないポリエチレン製フィルムの糊面にヨードが含まれていると絶縁体であるポリエチレンに導電性が生じるのです。特殊なテスターを借りてフィルムの表裏で電気が通るかどうかを試しました。たしかにヨードを糊面に塗ったポリエチレン製フィルムではわずかながら導電性が生じていることが確認できました。
気合いを入れ、この現象を論文にして「N」という頭文字の雑誌に投稿しましたが掲載不可の知らせが来てがっくり、「S」という頭文字の雑誌に投稿しましたが、こちらも掲載不可でした。
私が発見したことは「特別な現象では無い」というのが掲載不可の理由でした。「N」も「S」も科学者なら憧れの雑誌です。投稿しただけでも良い思い出です。
こういう現象は、化学者には常識なのでしょうが医師には知られていません。 糊面にヨードが含まれているポリエチレン製フィルムの製造元のアメリカの会社に問い合わせましたが「このフィルムにそのような機能があることは知らない」と言われました。
この現象を使えば特殊な状態(人工心臓装着者など)での心電図記録が楽になります。そこでこの発見を「The Annals of Thoracic Surgery」というアメリカ胸部外科協会雑誌に投稿しようと思いました。
この時「ミッション:インポッシブルのテーマ」が頭の中で鳴ったのです。冗談です(笑)。
この論文に載せる心電図は患者さんの心電図である必要は無いので「私自身の心電図」と「私自身の胸をヨード入りポリエチレン製フィルムで覆っている写真」を撮って論文に載せよう、もし論文が掲載されれば「ミッション11」は達成できるかもしれないと思いついたのです。心電図室に赴き臨床検査技師さんに頼んで、
論文を練りに練り、英文をネイティブスピーカーに直してもらい、勇躍、投稿しました。タイトルは
[Iodine-impregnated drapes enable recording of precordial electrocardiogram]です。
和訳するなら「ヨードを含有するドレープを用いれば心電図胸部誘導が可能になる」でしょう。実はタイトルを決めるのが一番大変でした。
写真2:この論文を書いたときのタイトル案です。
10数個の題名を考えました。この中から英語が母語であるネイティブスピーカーの方と相談して、タイトルを選びました。
論文を投稿してから約1ヵ月「アクセプト(掲載可)」との通知がFAXでアメリカから届きました。アクセプト(掲載可)とされる場合でも通常は色々とコメントがつき、それに沿って論文を修正するのですが、この論文はほぼ修正をしないで載せてくれました。3名の査読者の内、1名からは
「This report from Japan is intriguing.」(この日本からの論文はとても興味深い)
というコメントを頂きました。嬉しかったです。論文掲載が決まり、実際に論文が掲載された雑誌が送られてきて、自分の胸と自分の心電図が載っているのを見て「ミッション11終了」と思いました。冗談です。
写真3:論文(文献1)に載っている「私の胸」です。
茶色いのはポリエチレン製フィルムの糊面の糊にヨードが含まれているからです。
図1:同論文に載っている「私の心電図」です。
心臓病の研究者、胸部疾患の研究者は世界中にいますが、自分の「胸」と「心電図」を論文に載せている研究者は多分いないと思います。仮に私が心筋梗塞になっても、インターネットで私が41歳の時の心電図を見ることができますので比較することが可能です。100年後、200年後に私の子孫がいたら、先祖(私)の「胸と心電図」を見ることができます。だから何?という話ですが…
ミッション(夢と置き換えても良いです)を持っていて、何か考え思いついたら直ぐに実行してみると良いことがあるかも知れないという良い見本だと自分では思っています。
思いついたら、理屈を考えるよりも直ぐに実験をしたら良いと中谷宇吉郎博士の随筆「立春の卵」に書いてあります。これを読んでいたから、こんな実験を行い、それが論文になったのです。中谷宇吉郎博士に感謝です。今年(2020年)は中谷宇吉郎博士の生誕120周年です。石川県加賀市にある「中谷宇吉郎 雪の科学館」で様々な催しがあります。行ってみたいです。
2000年のノーベル化学賞は白川英樹先生が受賞しました。「導電性プラスチックの発見」が受賞理由です。「通常は電気を通さない絶縁体のプラスチックにハロゲン化物をドーピングしたら電気が通るようになる事を発見した」事を発見したのですね。どこかで聞いたような話でした。
有機物に導電性を加えた論文を調べて見ました。1950年頃から論文になっているのです。日本人研究者の発見です。
有機化合物は絶縁体であり、電気が通るなど考えられていなかった時代に、赤松秀雄先生、井口洋夫先生、松永義夫先生などが、有機物にハロゲンにドーピングすることで導電性が生じることを発見しています。こういう発見がノーベル賞を受賞した白川英樹先生の発見につながったのでしょう。それなら、赤松先生、井口先生、松永先生もノーベル賞を受賞してもおかしくなかったのだと素人の私は愚考します。
何れにしても私が学生時代の1977年頃、一般教養の「有機化学」の講義で多分このことを聞いていて、それを思い出したのです。
望月吉彦先生
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