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140:自分の身体を医学論文に載せる?(1)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2020/10/26

ミッション:インポッシブル

2年前「ミッション:インポッシブル/フォールアウト」という映画を見に行きました。「スパイ大作戦」というテレビ番組だったのをトム・クルーズが主演にして映画化した「ミッション:インポッシブル」シリーズの第6弾です。
不可能と思われる使命(mission impossible)を命ぜられた主人公のイーサンハント(トム・クルーズ)が仲間達とハイテクを駆使しつつ、ミッションを果たすという映画です。
「さて、君に与えられた使命だが…」とセリフと共に実行不可能と思われる任務(ミッション)の指令が下され、
「例によって君もしくは君のメンバーが捕らえられ、或いは殺されても、当局は一切関知しないからそのつもりで、なおこのテープは自動的に消滅する。成功を祈る」
そしてテープが白い煙と共に消える。そんな場面で始まります。この映画は音楽も有名ですね。少し聞いてみましょう。

『ミッション:インポッシブル/フォールアウト』本予告(YouTube)

「ミッション:インポッシブル」シリーズの第6弾の題名にある「フォールアウト」ですが原題は「Fallout」です。「Fallout」は「核爆発で地上に降る放射性粒子」だそうです。知りませんでした。
なお「fall out」なら「落ちる、仲違いする」という意味になります。この映画は核爆弾をめぐる物語です、それに加えて主人公が落下するシーンが多く(7000m上空から、ビルから、ヘリコプターからetc.)、おそらくは「fall out」と「fall out」を懸けているのでしょう。撮影当時56歳だったトム・クルーズが全ての危険なスタントシーンを自分で行って撮影したことも話題になりました。7000m上空からのダイビングも自分で何回も行って撮影しています。映画終盤にヘリコプターをトム・クルーズが操縦する場面があります。この場面を撮影するためにヘリコプターの免許をとっただけではなく、凄いのは一人で操縦する資格を得るのに必要な2000時間もヘリコプターを操縦してそういう資格を得たことです。一日8時間操縦しても、250日もかかります。ヘリコプターを操縦するシーンはもちろんのこと、ヘリコプターが回って落ちていくシーンも自分で操縦しています。あり得ないくらい気合いが入っています。こういう映画が面白くないわけがありません。

前段はそれくらいにして。。。。
真面目な?本論に移ります。大方の皆さんは学校(大学、高校etc.)を出て社会人になる時「目標」を立てると思います。何となくでも良いですが「目標」を立てないと何となく時間が過ぎてしまいます。元将棋名人の故升田幸三はプロの棋士を志して家を出た時、母親の物差しの裏に
「この幸三、名人に香車を引いて勝つために大阪に行く」
と書き残しました。升田は将来「名人と対局して香車駒落ちで勝ってやる」と宣言したのです。14歳の時のことです。後に本当に「名人と対局した時に連勝したので、香車を抜いて対局して(つまり、駒落ち)勝ってしまいます。夢を実現したのですね。今、このような厳しいルールは廃止されています。それはともかく、何か目標を定めて努力するのは良いですね。

私も大学卒業時、いくつか目標を立てました。自分に課したミッションです。
外科医として働き始めたので、自分の「ミッション」として

  • 基本的な心臓手術ができるようになりたい
  • 色々な心臓手術がしたい
  • できれば指導的立場で手術ができるようになりたい
  • たくさん手術を手がけたい
  • 成績の良い、質の良い手術をしたい
  • 英語で論文を書いて一流雑誌に掲載されたい
  • 教科書に載るような論文を書きたい
  • 教科書の執筆依頼が来るような外科医になりたい
  • 新しい手術方法を見つけたい
  • 新しい手術器具を作りたい
  • 自分の体(の一部でも)を論文に載せて後世に残したい

と思っていました。1-10は外科医を目指すなら、誰しもが思うことですが実はどれもかなり難度の高いミッションです。これらを達成するのに確実な方法論はありません。ミッションのうち1-10はモデルとなる外科医(数名)がいらしてその方々を目指しました。
真面目な「努力」と「運」と「根気」と「小さな知恵」「工夫」の積み重ねが必要です。真面目な話はまた何時か機会のある時にしましょう。

ミッション11は医学の本道とは別な話です。
「さて、君に与えられた使命は君の身体を論文に載せることだ。例によって君もしくは。。。。。」
と言われるわけもなく、なぜこんなことを自分で考えたのか説明しましょう。

「僕の背中は世界一有名」

2018年7月6日、IgEの発見者というか、今日の「アレルギー」と呼ばれる疾患の本体を解明した「石坂公成(いしざかきみしげ)」先生が逝去されました。奥様と共にノーベル賞を受賞するだろうと言われて数十年、ついに受賞することはありませんでしたが、そんなことは関係無く、真に偉大な一生でした。
ちなみに偶然でしょうが、公成はKimishIgEです。名前の最後に「ige=IgE」が入っています。IgEの命名者は石坂先生です。IgEの「E」というアルファベットはこの抗体が紅斑(Erythema)を引き起こすことに由来しているのですが、偶然でしょうか?
いずれにせよ、訃報を聞いて、自分は「ミッション11」を達成していたことを思い出したのです。石坂先生に命ぜられたわけではありません。

石坂先生のお弟子さんの一人に東大の名誉教授の故多田富雄先生がいます。多田先生は「抑制(サプレッサー)T細胞の発見」で有名です。また、文筆活動も活発で「免疫の意味論」「寡黙なる巨人」などの随筆もベストセラーになっています。「能」の作者としても有名で、脳死の人を主題にした「無明の井」や朝鮮から強制連行された人を主題とした「望恨歌」などの新作能を書いています。
その多田富雄先生の講義を学生時代に聞く機会がありました。もちろん免疫の話が主題です。その講演で多田先生は、

「僕の背中は世界一有名」
「僕の背中は天皇陛下も見ている」
「僕の背中は世界中どこでも見られる」
「僕の背中は後世に残る」

と仰いました。
石坂夫妻の発表した「IgE発見の論文」にはIgEの活性を試験する方法としてPK反応が用いられていました。PK反応はヒトの背中にIgEを皮下注射してその活性を調べると言う方法です。石坂先生御自身の背中はPK反応を何回もしており、もう注射するところが無かったので部下だった多田富雄先生の背中を用いて試験が行われ、それが論文に載ったのです(文献3:この論文は貴重で、IgE発見の基本となる論文です)。

写真1:文献3に載っている「多田富雄先生の背中」の写真
写真1:文献3に載っている「多田富雄先生の背中」の写真

それを多田先生は「僕の背中は世界一有名」だと言っていたのです。しかし、大変残念なことに、この論文に多田富雄先生の名前は載っていません。当時まだ研究助手だったからでしょう。学生時代、「僕の背中は有名」を聞いて面白く思いました。いつか、私も
「自分の体を論文に載せたい」
と思ったのです。
自分がごく特殊な病気にかかるか、自分の身体を使った実験をしなければ載りません。自分がそんな「特殊な病気」にかかるのは困ります。特殊な実験も嫌です。婦人科に進めばあり得ないし、泌尿器科も嫌ですね。というわけで、時が流れ幾星霜。なんと、それ(=自分の体を論文に載せる)が実現しました

次回へ続く。

【参考文献】

余話1:

トム・クルーズと言えば、1986年「トップガン」の主人公マーヴェリックを演じて有名になりました。つい最近、“リアル”マーヴェリックと言われた「マケイン元アメリカ上院議員」がお亡くなりになりました。マケインさんは元ジェット戦闘機のパイロットです。ベトナム上空で撃墜され、5年もベトナムに囚われて拷問を受けていたにもかかわらず後にベトナムと米国間の国交樹立に大きな役目を果たした事でも有名です。曲芸的な戦闘機操縦をしていた事でも有名だった事も相まって「マーヴェリック」の愛称で呼ばれていました。最近はトランプ大統領を厳しく非難し、話題を集めていました。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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