望月吉彦先生
更新日:2020/03/16
高速道路の逆走、高齢者の運転による事故、スマホ使用による脇見運転による事故、突然発症した病気(症状含む)による交通事故が話題になっています。今回は、
をします。私は20歳から今まで車を運転してきました。運転について色んなことを学びました。多少とも皆様の交通安全に役立つかもしれません。ご笑覧ください。
皆さんの物心がついてから「最初の記憶」は何でしょうか?色々あると思います。親との旅行や幼稚園での思い出etc. 比較的平穏な記憶がほとんどだと思いますが、私は違います。
物心がついてからの最初の記憶は「自動車が田んぼに向かって転落していく」シーンです。
今でもスローモーションのように思い出します。事故を起こした場所を今でも覚えています。今でもそこを通ると少し怖いです。
親戚のお兄さんが運転する車の助手席に乗せてもらっていたのですが、急に車が浮いたと思ったら右側の田んぼに車が転落していったのです。4歳頃の話です。ああ!と思ったら、車は田んぼの中でした。助手席に座っていたので膝を強く打ちましたが、大したことは無かったと思います。
事故後のことはよく覚えていませんが、車が転落して水田に落ちるまでの恐怖感と車が水田に落ちていく様子はスローモーションのように今でも、まざまざと思い出します。
次の交通事故の記憶はバイクに轢かれたことです。これは小学校低学年の時です。
信号待ちをしていたら左折してくるバイクに足を引かれました。幸い大した怪我ではありませんでしたが運転をしていた方が、何度も家に謝りに来たのでそのことをよく思い出します。
小学校2年生の時、1つ下の学年にいたHJ君一家4人全員が交通事故でお亡くなりになりました。富士スバルラインを降りてくる時に、ブレーキが効かなくなりカーブを曲がりきれず、車が崖から落ちてしまったのです。
富士スバルラインは前回の東京五輪の年(1964年)に開通しました。開通当時の事故です。スバルラインは急カーブがあり急坂もあります。当時の車はブレーキの性能があまり良くなく、長時間ブレーキをかけていると突然ブレーキが効かなくなることがあったのです。だから
「長い時間ブレーキをかける時は「エンジンブレーキ」を使わないといけない」
と父母が話していたのを覚えています。「エンジン付きブレーキ」なるモノがあると思っていました。バイクの免許を取るとき、初めてエンジンブレーキの意味がわかりました。今でも、長い坂道が続く時は意識して「エンジンブレーキ」を使っています。
HJ君の家は近所にあり通学路が一緒で、HJ君の弟や両親も顔見知りでした。そういう一家4人がいきなり全員お亡くなりになりました。この時大げさに言えば「死」とはこういう風なことなのだと“うっすら”思いました。
今でも交通事故の報道があるといつも、ニコニコしていたHJ君を思い出すことがあります。それくらい衝撃的でした。
高校時代は原付のバイクに乗っていました。通学や登山路までの交通手段に使っていたのです。今から40年前、原付バイクは年間200万台も売れていました。今は年間10数万台しか売れていません。1/10以下です(自工会調べ)。
現在、高校生がバイクに乗ることはほとんど禁じられていますが、私たちの高校時代、バイクに乗る高校生は多かったのです。今では考えられませんね。
高校3年生の正月1日の払暁、同級生のFM君はバイクに乗って初詣に出かける途中に車と衝突し、翌日には帰らぬ人となってしまいました。
葬儀が終わり、憔悴しきったFM君のご両親が「お坊さんに書いてもらった小さなお守り」を私たちに渡し、
「FMの代わりにこれを持って、あちこちに行ってください」
「FMが経験できなかった色んな経験をしてください」
と仰って一人一人にお守りを手渡されました。私は今も持ち歩いています。受験の時、国家試験の時、山に登る時、手術をする時、海外に行く時、あの時もこの時もです。
この時にはっきりと「交通事故による死」とはどういうモノかを実感しました。悲しい出来事でした。
話は変わります。東日本大震災の時、車が渋滞して逃げられず津波に巻き込まれる映像を見ながら「バイクがあれば逃げられる」と思っていました。大地震が起きたらバイクで一目散に山の方に逃げれば良いのです。バイクなら渋滞はしません。震災復興の案を東北各県で募集していた時、
「地震や津波が予想される地域で各戸にバイクを配置すべき、津波が起きそうになったらバイクで逃げるべきだ、バイクが運転できないなら、あるいは雪が降る地域なら“バギー”を配置したら良い」
という案を真面目に書いて応募しましたが「没」でした。しかし、今でも、津波が起きる地域ではバイクやバギーの活用を積極的に推し進めるべきだと思っています。
話を戻します。大学時代:2回、交通事故に遭ったことがあります。
大学生時代、父から譲ってもらった車を運転していました。自分で事故を起こした事はなかったのですが、希有な経験をしました。
大学時代1回目の事故です。
一度は、鳥取県米子駅の交番前の交差点での出来事です。赤信号で一番前に停車していた時のことです。正面から車が私の方に向かってきてそのまま私の車に衝突しました。対向車の運転手は私の車の右側の歩道に立っていた友人に手を振っていたのです。運転手の顔は左を向いていて、正面にある私の車を見ていませんでした。そしてそのまま私の車に衝突したのです。
幸い、そんなにスピードは出ていませんでしたのでケガはしませんでした。しかしそれでも車は結構壊れました。私の車は古い車でしたが相手の車は「スカイラインの新車」で運転していたのは免許取り立ての19歳の青年でした。
後日、車の修理費用について相談をしたら「過失割合は2:8だ。あなたも2割負担すべきだと言われました」。私は赤信号で止まっていたので私に過失は一切ないはずです。交番の前でしたので、事故の一部始終を、警察官が見ていてきちんと調書を書いてくれていたのが役立ち、結局、全て相手が負担して車を修理してくれました。この時、学んだのは
「事故を起こしたら警察官を呼んできちんと処理すべき」
ということです。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/
※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。