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日本で一番「危険な」国宝建築を見に行く(1)~本当に危険です~(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2019/10/07

なぜ「二十世紀梨」が鳥取県で多く栽培されているかもわかる司馬遼太郎の紀行文

昨年、鳥取県に行く機会がありました。5年ごとに開催される大学のラグビー部の同窓会があったのです。
折角行くのだから、久しぶりに色々なところを見ようと思い色々なところに行く計画をしました。
さらに折角行くのだから、司馬遼太郎の「街道をゆく 27 因幡・伯耆のみち(朝日文庫)」を再読しました。鳥取県の東半分は元は因幡国(いなばのくに)、西半分は元は伯耆国(ほうきのくに)です。「因幡・伯耆のみち」と題することで、鳥取県全体を歩いたことを示しています。
「街道をゆく」シリーズは司馬遼太郎が、1971年から腹部大動脈破裂で急逝する1996年まで、日本各地や諸外国を訪れ、訪れた土地の紹介やその土地に行って感じたことなどを記した人気のあるシリーズです。

20年ぶりに読み返しました。内容はほとんど忘れていました。再読してびっくりしました。かなり細かいところを丁寧に調べています。鳥取に行ったきっかけも面白いのです。司馬遼太郎はかかりつけの開業医・安住先生の人柄に興味を抱き、安住先生の出身地だった鳥取を訪れることにしたと記しています。書き出しが素晴らしいです。愛情とユーモアにあふれています。
司馬は「看護師が5人もいる」がゆえに「安住先生のところは儲からない」などと書いています。このように書くと嫌らしいですが、全く嫌みがありません。安住先生の人柄や医師としての力量をそれとなく褒めているのです。こういう書き方は普通の人にはできないです。すっと頭に入る書き出しです。

鳥取に関する調査も行き届いています。ええ?こんなことまでしらべるの?と思うくらいよく調べています。
一例をあげます。鳥取は「二十世紀梨」が有名です。普通の作家なら鳥取に行って梨を食べた。美味しかったくらいで済んでしまうのでしょう。しかし司馬はなぜ「二十世紀梨」が鳥取県で多く栽培されているかを調べています。実は「二十世紀梨」は千葉県で偶然に見つかった特別な梨です。
1888年(明治21年)、千葉県松戸市に住んでいた松戸覚之助氏(13歳)が親戚の家で見つけた梨の苗木を譲り受け、それを実家の梨園で育てたところ10年後に結実したのです。それが始まりです。
この特殊な梨はその美味しさゆえに、他の地域でも栽培が試みられます。千葉から遠い奈良県や鳥取県で栽培されるようになります。しかし、「二十世紀梨」は病気に弱いため育てるのが難しく、なかなか広まりませんでしたが奈良県の農家の方が発明した「梨を紙で包んで病害を防ぐ方法(袋かけ)」を鳥取で広く採用したことにより、二十世紀梨が鳥取で広く作られるようになったのだそうです
ここまで調べるだけでも凄いですね。普通の作家なら話はそこで終了になるのでしょうが司馬は違います。なぜ他県ではなく、鳥取県だけにそういうこと(袋かけを広く普及させること)ができたかを詳述しています。
司馬は小説を書く時には様々な資料を集め、とことん調べたそうです。司馬が何かを書き始めようとすると古書店から資料が失せる(=司馬が集める)という話があるくらいです。それくらい調べるから彼の小説、随筆、紀行文には厚みがあるので面白いのでしょう。

余談ながら、中学校時代の通学路にあったお寺が司馬遼太郎の随筆「余話として」に取り上げられていて、びっくりしたことがあります。私の通学路にあったお寺「清運寺」にあの坂本龍馬の「いいなづけ」のお墓があると書いてあったのです。
その紹介の仕方が実に「愛」に満ちているのです。なぜ、坂本龍馬と縁もゆかりもない甲府に坂本龍馬の「いいなずけ」のお墓があるのか。よく調べてあります。

写真1:甲府にある「坂本龍馬の許嫁(千葉さな子)のお墓」です
写真1:甲府にある「坂本龍馬の許嫁(千葉さな子)のお墓」です

話を戻します。
とにかくよく調べてある「街道をゆく 27因幡・伯耆のみち」は本当に面白い紀行文です。

多くの方が激賞する「三徳山三佛寺投入堂」

さて今回紹介する「三徳山三佛寺投入堂」は「みとくさん さんぶつじ なげいれどう」と読みます。鳥取県中部にある三徳山(標高900m)の断崖絶壁に作られた御堂です。学生時代に登ったことがあります。当時、投入堂の写真を撮っていなかったので今回は写真を撮りたいと思ったのです。しかし、理由は後述しますが、当時写真を撮らなかったのが実に残念でした。

この投入堂については多くの方が激賞しています。中でも建築家 藤森照信氏は彼の「目指す理想建築」の2つのうち1つが「投入堂」だと述べています。藤森氏は投入堂に登りそこから眺めた景色を見て
「日本の山には精霊がいると確信した」
と書いています。
私も学生時代投入堂に登り、そこから見える風景、景色を見て似たような気持ちを懐きました。「ああ、いいなあ」と思ったのです。
「精霊がいる」とは思いませんでしたが、何か清々しい思いをいだきました。その「眺望」をしかし今回見ることはできませんでした。

藤森氏が目指すもう一つの理想建築はポルトガルにある「Nas montanhas de Fafe, Portugal」です。

ポルトガルにある「Nas montanhas de Fafe, Portugal」

こちらはまだ想像ができますね。
しかし投入堂はどうやって作ったのか、全く見当がつきません。

同じく建築家の安藤忠雄も「投入堂」の素晴らしさを何度も説いています。「安藤忠雄が語る、子どもの感受性をくすぐるオススメの建築10選」などです。
他にも、五木寛之、磯崎新、土門拳、山下裕二らが「投入堂」を絶賛しています。
彼らが書いた本を読み、写真集を見て、

(1)もう一度行ってみよう、投入堂まで登ってみよう
(2)今度はきちんと写真を撮ろう
(3)司馬遼太郎が絶賛した豆腐を食べてみよう

と思い立ったのです。軽い気持ちでした。

司馬遼太郎は投入堂まで登っていません。「危ないから登るのを諦めた」と書いてあります。代わりに三徳山の山麓で「豆腐を食べてそれが美味しかった」と書いてあります。
学生時代に登った時、「危ない」と思った記憶がありません。また司馬が絶賛している「豆腐」を食べた記憶もありません。

ちなみに「投入堂 危険」と入れて検索すると、

「数年に何人か死者を出している。去年は死者が出なかったが27人もの人が病院送りになってしまった投入堂に参拝した」
「投入堂は伊達じゃない。本当に危険でした」
「舐めてかかったら事故します。 三徳山三佛寺」
「この10年間で3名滑落して死者が出ています」
「投入堂を登っていたらアクシデント勃発。崖から人が転落して、ヘリが出動していた。崖から転落された方は亡くなってしまったらしい。このような転落死は毎年数名出るらしい」

等々「投入堂に関する恐ろしい記事」や「怖い投入堂訪問記」が多数見つかります。
あれれ? 司馬遼太郎が登るのを止めるほど、そしてこんなに死者がでるほど危険だったかな?と思いました。

2016年の「鳥取県中部地震(最大震度6)」のために投入堂への道が崩壊し、クラウドファンディングで資金を募り、無事修復したとのニュースが報じられたことも記憶にありました。
それで今回は「投入堂に登って、お堂から見える景色を写真に撮ろう」と思ったのです。

話は逸れます。
昨秋のある日、羽田から米子鬼太郎空港に行き、その足で境水道を島根県美保関町(みほのせきちょう)に向かい、その美しさで「世界灯台100選」に選ばれている「美保関灯台」に行きました。安定の美しさでした。

写真2:美保関灯台
写真2:美保関灯台

美保関灯台を出てすぐの所に美保関神社があり、そこの青い色の石畳が有名です。

写真3:石畳がみどり色をしています。写真3:石畳2
写真3:石畳がみどり色をしています。きれいです。

久しぶりなので、投入堂登山の安全を祈願するために参詣しました。参詣後、境内にある神社の石製の手すりに刻してある文字を見て、少し感動しました。石に「何何県○○丸名前(船頭)」と刻してあります。
江戸時代、日本海は北前船のルートでした。今なら新幹線や東名高速道路に当たるルートだったのです。荒波を越えて美保関の港にたどり着いた船乗りの方々がこのように航行の安全を祈願して、神社に名前を刻したのでしょう。
なかには航海の途中で命を亡くした方もいらっしゃると思い、そう思うと少し胸が塞がるような思いがしました。

写真4:美保関神社
写真4:美保関神社

さて、本論です。
米子市に泊まり少し早起きをして車で投入堂がある鳥取県東伯郡三朝町に向かいました。
途中、国道九号線を通ります。
この道は古来からあり、途上に「後醍醐天皇が隠岐の島から脱出してたどり着いて休憩をとった岩」などの旧跡がたくさんあります。津々浦々にそういう名所があり、いちいち止まっていると本命の「投入堂」にたどり着きません。

写真5:後醍醐天皇が座った石
写真5:後醍醐天皇が座った石

というわけで、今回は終了です。次回に続きます。

追記1:

「街道をゆく」で取り上げられた「土地」は幸せです。ちなみに宮崎県、静岡県、山梨県、埼玉県、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県の8県は訪れていません。関東地方は最後に回る予定だったのだと思います。最後は栃木県佐野市で終わりにするつもりで関東地方は後回しにしたのだろうと思っています。なぜ、栃木県佐野市かは司馬遼太郎ファンなら解ると思います。

追記2:

司馬遼太郎は鳥取市郊外にある「湖山池(こやまいけ)」の辺を通ります。「池」とありますが、実際には「湖」です。
司馬はこの「湖山池」という名称が良くない。なぜ良くないかというと、

  • 重箱読みであること
  • 湖と池という類似の漢字が使われていること

から「良くない」のだそうです。私は大学時代、この湖山池の畔に住み、毎日湖山池を眺めて暮らしていましたが、そんなことは考えたことも無かったです。

注記3:

日本各地に国宝建築物があります。無い県もあります。
さて東京には何件? 神奈川には何件? あるでしょう。
参考:国宝建築物一覧(http://shirokokuho.shakunage.net/kokuhokenzobutsu.html)
東京には2件、神奈川には1件です。神奈川県には古都鎌倉がありますが、繰り返された戦争、紛争により古い建物はあまり残っていないのですね。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディング1階 プラザ 111 内
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URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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