望月吉彦先生
更新日:2019/07/29
承前。
当時勤務していた栃木県の病院から、特殊免疫染色を行ってくれる八王子の研究所まで160kmあり、高速道路を使っても、心臓腫瘍が入った特殊容器を2時間以内に届けるのは、ほぼ不可能で諦めてしまいそうになったところまでお伝えしました(参考:「論文を書く」ということ(1))。
心臓腫瘍を摘出してから2時間以内に染色をしないと インターロイキン-6(IL-6)の活性が低下し、免疫染色が出来なくなる可能性があるので、なんとしても2時間以内に届ける必要がありました。この特殊な染色のために米国から抗IL-6 抗体まで注文したので、なんとか免疫染色をしたかったのです。そこでなんとか腫瘍を摘出してから2時間以内に八王子の研究所まで届けることができるような方法を色々と考えました。
そういうわけで、私は「特殊免疫染色」を一端は諦めました。しかし、この患者さんの病気である「Carney complex(カーニー複合)」という病気を調べていると、これはとても珍しい病気であることが解りました。当時、日本では数例しか報告がありませんでした。世界でも100例程度です。こういう患者さんに巡り会うのも、ある意味、セレンディピティです。これを生かさない手はありません。内分泌異常、遺伝、皮膚病変etc.とにかく調べまくりました。それを見ていてくれた当時の上司が、手術の執刀医として私を指名してくれました。普通こういう珍しい病気の執刀は教授、准教授が行います。そういう稀な病気の執刀を私に任せてくれたので、さらにやる気が起きました。執刀を任せてくれた当時の上司には今でもとても感謝しています。
とにかく、色々な思いがあり、特殊免疫染色ができないのはとても悔しかったのです。この患者さんの心臓内には腫瘍が2個あります。放置すると合併症が起きるかも知れません。いつまでも手術を延期することはできません。早々に手術日が決まりました。もちろん休日ではありません。
手術日の数日前、手術手順を書き出して色々と考えていたら、自分(望月)なら、検体を2時間以内に栃木から八王子まで届けることができるかもしれないということに思い至りました。以前もお伝えしたように、私は大学時代、大型バイクに乗っていました。バイクなら渋滞があっても2時間以内に届けることができると考えついたのです。
しかし、すでに大型バイクに乗らないようになって、10年が経っていました。上手く運転できるとは思えません。首都高速を走ったこともありません。それより何より手術の執刀をしなければいけません。これも無理、非現実的な話だと思っていたのです。その時、悪魔のような知恵?が私の頭の中に降りてきました(笑)。
「バイク便!」とういうモノがあることを思い出したのです。大学生時代、バイク雑誌を見ていた時にバイクを使った物品輸送を行う仕事が始まり(注:1982年に始まっています)、それを「バイク便」と称し、バイク雑誌にバイク便ライダーの求人が載っていたのを思い出したのです。
この手術を行った1992年当時、インターネットは使えません。ですから、職業別電話帳(懐かしい)でバイク便会社を探して電話をかけてみました。幸い、摘出した心臓腫瘍の輸送を引き受けてくれる会社というか、引き受けてくれるバイクライダーの方がいらして、2時間あれば届けることができるだろうと言ってくれたのです。ライダーの方にすぐに病院に来ていただきました。そのライダーの方に
以上をお願いしました。実際に使う容器を見せてお願いしました。この容器を手術室から病院の入り口まで届けてくれることを引き受けてくれた臨床検査技師さんにも立ち会ってもらいました。
幸いこの特殊な輸送を快く、このライダーの方が引き受けてくれました。余程なこと(交通事故など)が道路上で起きない限り、検体を受け取ってから2時間以内に八王子まで届けることができると言ってくれたのです。輸送にかかる費用もたいした額ではありませんでした。
手術が始まって1.5時が経過する頃に液体窒素が入った検体容器が手術室に届くように手配しました。手術開始後、それくらいの時間で腫瘍が取れると考えていたのです。当日、手術の手助けをしてくれる看護師さんにそのことを伝えました。そしてその容器を私が合図したら、私の足下に持ってくるようにお願いしました。手術をして腫瘍を摘出したら直ちにその容器に腫瘍を放り込むよう手はずを整えたのです。
摘出した腫瘍を入れた容器は直ちに手術室入り口まで持っていくようにお願いしました。腫瘍が入った容器を手術室入り口で待ってくれている検査技師さんに渡してくれれば、バイク便のライダーに検体容器が渡ります。簡単なリハーサルも行いました。
「しつこい」「くどい」「やりすぎ」と思われるかも知れませんが、それくらいしないと「初めてのこと」は上手くいかないのです(余話参照ください)。
手術日には恩師の新井達太先生(当時、埼玉循環器病センター総長:https://cmic-career.com/dr-column/archive/5)が手術指導のためにいらしてくれました。新井先生も、この特殊な病気(Carney complex)は初めてだと仰っていました。
手術は滞りなく進行しました。無事心臓の中に二つあった腫瘍を摘出しました。心臓腫瘍はもろいので慎重に摘出し、足下に置いた液体窒素が入っている容器に入れました。それを病院入り口で待っているバイク便のライダーに渡してもらいました。腫瘍を摘出したのが午前11時半頃でした。手術は午後3時頃に終了し、八王子の研究所に電話したら、すでに検体は届いていて、特殊染色に取りかかっているとのことでした。そして無事、「抗インターロイキン-6染色」を行うことができたのです。
それがこの写真です(参考文献6)。
腫瘍内にIL-6があれば 抗IL-6抗体 と反応して茶色に染まると言われていました。この写真の茶色の部分がそれに該当する部分です。ここにIL-6があるから染まるのです。「心臓粘液腫に多量のIL-6がある= 腫瘍がIL-6を産生している」と思われる裏付けをこのような染色をして世界へ初めて示すことができたのです。
正確には世界初の発表ではありませんでした。似たようなことを考えついた方がいたのです。ただ、その先生は日本人の先生で、日本語で論文を書いていました。また、この特殊な「Carney complex(カーニー複合)」に伴う心臓腫瘍でこのような染色をしたのは、間違いなく私が世界初でした。
私はこの発見を英語の論文にしたのですが、心臓粘液腫に抗インターロイキン-6染色を行って「英語の論文」にしたのは、私が世界で初めてです。今の時代、英語で論文を書くのはとても大切です。英語でないと世界中の人に、この「発見」を届けることができません。
「バイク便」が無ければ染色はできませんでした。「バイク便」を使うことを思いついて本当に良かったです。今も「バイク便」が走っているのを見かけると当時のことを思い出します。
生まれて初めて英語で論文を書くのは、とてもとてもとても大変でした。
というお話は次回に続きます。
手術前にリハーサルを行ったと書きましたが、これは「塀の中の懲りない面々」で有名な作家「安部譲二」の本で読んだことがきっかけです。安部譲二氏によると警察に捕まるかもしれないような悪いことをしようとする際にはアリバイ作りのために悪事を行う予定の日と同じ曜日の日に「麻雀」をするのだそうです。捕まった時、「いやあの時間は誰々と麻雀をしていました。面子は誰々で、誰がどれくらい勝った、負けました。私が上がった手は何々で…」と言い訳するのだそうです。他の面子の方も実際に麻雀をやっているので、アリバイ作りとしては最高だったと書いていました。要するに、「事をなすにはリハーサル」が大切だと書いていました。ま、悪事をするわけではないですが何か新しいこと、面倒なことをするには入念なリハーサル、予習が大切ですね。
望月吉彦先生
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