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巨人「武見太郎」を「作った」寄生虫(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

大人の健康情報

望月吉彦先生

更新日:2019/01/28

今回は「寄生虫」に関わる一人の医師の出世話と食べ物のお話を書いてみたいと思います。
生きるためには食べ物が必要です。日本の場合、宗教にまつわる禁忌食品がほとんどありません。つまり何を食べても良いのですが、「食べたら病気になる」そういう食べ物は避けた方が良いですね。食べ物で人生が終わったり、変わったりするかもしれません。
ある食べ物がある有名な医師の一生、ひいては日本の「医療行政」を変えたのかもしれないというお話をしましょう。

美味しい寒ブナの刺身に…

私が一番尊敬する科学者は、「雪の結晶」の研究で有名な物理学者の中谷宇吉郎博士(1900-1962)です。

「雪は天から送られた手紙である」
「一片の 雪の中にも 千古の 秘密がある 
一粒の 芥子に 秋三界が 蔵されるやうに」
「何時までも舞い落ちて来る雪を仰いでいると、
いつの間にか自分の身体が静かに空へ浮き上がって行くような錯覚が起きてくる」

など、数々の詩的でとても素敵な言葉を残したことでも有名です。
その中谷は一時期、健康を害しました。中谷が北海道大学で人工雪の研究をしていた昭和11年のことです(37歳頃)。中谷は胃が痛むようになり、2年間北大を休職して伊豆の伊東温泉で療養に努めます(この折のことは参考文献1.2.3.に詳しいです)。
しかし、なかなか病気の診断がつきません。北大病院、東大病院に入退院を繰り返しますが、診断不明のまま、段々とやせ衰えてきます。当たり前ですが、診断ができなければ治療ができません。そんな中谷は伊東温泉での療養中に科学随筆を書き始めます。そして随筆を通して岩波書店の岩波茂雄社長との親交を深めます。その岩波茂雄が中谷の病状について相談したのが、当時の慶応義塾大学医学部 寄生虫学教室の小泉丹(まこと)教授でした。
小泉教授は、当時慶応義塾大学病院の若手内科医だった、まだ無名の武見太郎医師(1904-1983)に中谷の病状について相談します。武見医師は慶応義塾大医学部の学生時代、小泉教授の寄生虫学教室に出入りし、夏休みには教室員と一緒に日本各地で寄生虫が引き起こす病のフィールドワークも行っていました。そういう関係で余程「できる医師」だと小泉教授から思われていたのでしょう。実際、武見医師は中谷の病気の診断と治療に成功します。
中谷の病気は「肝臓ジストマ症」という病気でした。これは「ジストマ」という寄生虫(肝吸虫)が人間の体内で増殖して発症する病気でした。
武見太郎が後年、中谷宇吉郎の病気のことについて「病気の方は次第に解明されて、結核性のものでないことは確定できたし、肝臓ジストマがたくさんいることもわかり、ほかに腸内寄生虫も発見され、それ等の治療の順序も決めることができた。全身の衰弱がひどいので、肝ジストマの駆除に使うアンチモン剤の使用は小泉教授から慎重にやれと云われたが、これも成功した。次第に症状が消退した。そして全身状態もよくなったことは勿論である」と書き残しています(参考文献4)。
まだ無名時代の若手の武見太郎医師が、当時まだよくその用法用量もわかっていなかったアンチモンを使って中谷の病気を治したのです。

寒ブナの刺身

この一件で面白いことがわかります。「面白い」というと語弊があるかもしれませんが、中谷の肝臓ジストマ症の感染の経緯がわかったのです。それはこういうことでした。
入院している中谷宇吉郎の所にお見舞いに来ていた岩波出版社長の「岩波茂雄」は、大変な食通でした。岩波茂雄は、

  • 後に埼玉大学学長や山梨大学学長を歴任する世界的物理学者の「藤岡由夫」
  • 後に文部大臣になる哲学者「安倍能成」
  • 夏目漱石の三四郎のモデルで有名な独文学者「小宮豊隆」
  • 後に岩波書店会長となる「小林勇」

といった面々と中谷同様に親交がありました。いま挙げたこれらの方々全員に症状の軽重はあれ、中谷と同じ「肝臓ジストマ症」の症状があったのです。
食通で知られた岩波茂雄がここに挙げた皆さん+中谷宇吉郎に「美味しい寒ブナの刺身」を振る舞っていたのが皆に「肝臓ジストマ症」が発症した原因だったのです。「寒ブナの刺身」に「ジストマ」という寄生虫がいてそれを食べて、全員が同じ病気にかかった(寄生虫に感染した)のです。

「肝臓ジストマは、私にとって『恩虫』かも知れない」

武見医師は、中谷をはじめ前述の肝臓ジストマ症にかかった方々の治療をしたおかげで、中谷から当時の理化学研究所(以下、「理研」)の所長だった物理学者の仁科芳雄を紹介されます。中谷宇吉郎は理研の研究者でもあったのです。
理研に紹介された若き武見医師は理研の自由闊達な様子に魅了され、それまで勤めていた慶応義塾大学病院内科を辞して理研での研究を始めます。武見医師が34歳のことです。
彼の研究テーマは大きく言えば「医学を科学する方法論の確立」だったというから凄いですね。実際に理研の物理学者の力を借りて国産心電計を作っています(注:世界初の心電計を作りノーベル賞を受賞したアイントホーフェンも医師ですが、その論文は物理学の論文かと見間違うほどです。要するに物理の知識が無いと心電計は作れなかったのです)。理研で放射線を使った実験をしている研究者の白血球減少症の治療に関する研究をして、放射線障害による白血球減少の治療薬を作ったりもしています。理研で色々な研究を手がけました。
武見医師は、理研での研究と並行して、岩波茂雄の紹介で銀座に診療所を開設し、独自の方法を用いて色々な人の治療をしています(週2日だけの診療だったようです)。その患者さんの中に、当時の政界の大物だった牧野伸顕伯爵(吉田茂首相の義父)の知人がいて、その縁で武見医師は牧野伯爵の娘さんと結婚。武見医師は、吉田茂元総理大臣と縁戚になり、世に言う吉田茂人脈に連なったのです。
元より武見医師は医師として研究者として優れていて、それに吉田人脈があり、理研での科学者人脈もあり、「丸善で日本一 洋書を買う」とも言われた勉強家でもありました。
つまり武見太郎医師は、一流の知識人でもあり、一流の科学者でもあり、一流の医師でもあり、政界をはじめとした広い人脈も持っているという希有の「巨人」になっていったのです。

武見は後に日本医師会会長を長年勤めますが、武見と真っ当に対峙できる政治家、官僚、医師はいませんでした。25年も日本医師会々長を務め、厚生行政において官僚と徹底的な対決を辞さなかったために「ケンカ太郎」として有名でした。今では、「武見太郎」と言えばそのことばかり取り上げられますが、実は武見は、簡単にはまとめられないほどさまざまなことを成しています。世界医師会々長も務め、その影響は世界にも広まり、ハーバード大学公衆衛生大学院には「武見国際保健プログラム」があり、今もその下で多くの医学者、科学者が学んでいます。

その武見太郎医師が後年、「肝臓ジストマは、私にとって『恩虫』かも知れない」と書いています(参考文献4)。そうです、中谷宇吉郎が肝臓ジストマ症にかからなければ、武見医師は理研で研究することも無く、吉田茂人脈に連なることも無く、慶応義塾大学出身の優秀な一内科医で終わっていたかもしれません。そう思うと武見太郎医師にとって「肝臓ジストマ様々」だったかもしれません。しかし、学生時代から寄生虫学教室に出入りして寄生虫の勉強をしていたから、ほかの医師には診断できなかった中谷宇吉郎の肝臓ジストマ症を診断できたのだと愚考します。以前にも書いた「チャンスは備えあるところに訪れる」の格言を想起しますね。

ある食べ物とそれに寄生していた寄生虫が一人の医師を日本の医療界の巨人にまでしたのかも知れないというお話でした。

寒ブナや ひとしれずして 医師作り

【参考文献】

  • 中谷宇吉郎全集 岩波書店
  • 中谷宇吉郎随筆集 岩波文庫
  • 中谷宇吉郎雪の物語 雪の科学館
  • 武見太郎回想録 日本経済新聞社

注:

現在、肝臓ジストマ症はビルトリシドR(プラジカンテル)というお薬のたった1回の投与で治ります。武見医師が使った「アンチモン剤」は使われていません。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディング1階 プラザ 111 内
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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