望月吉彦先生
更新日:2018/08/13
ジギタリスというお薬(何回も書きますが、「ジギタリスという植物の葉っぱから得られた薬」です)は、イギリス人医師ウィザリングが、1785年に「An Account of the Foxglove and Some of its Medical Uses: With Practical Remarks on Dropsy and other Diseases.」という本を出版して(参考文献 1)、「Dropsy:=水腫、浮腫、身体のむくみ」という病気にジギタリスが効くことを「世界で初めて」明らかにしたのです。
しかし、ウィザリング医師がこの本を出版する直前に、別の人も「ジギタリスがDropsyに効くことを書いた論文を発表していました。「種の起源」で有名なダーウィン(Charles Robert Darwin:1809-1882)の祖父エラズマス・ダーウィン(Erasmus Darwin, 1731- 1802)です。エラズマス・ダーウィンは1785年1月14日に、「ジギタリスがDropsy(水腫)に効く」という論文を書いて、発表したのです。一方、ウィザリング医師が本を出版したのは1785年7月のことです。
図1:ウィザリング医師の書いたジギタリスに関する本の初版にある出版年
前回、少し触れましたが、ウィザリング医師に水腫の患者さんを紹介した医師の一人がエラズマス・ダーウィン医師でした。ウィザリング医師がジギタリスを用いてDropsy(水腫)に効くのを横目で見ていたエラズマス・ダーウィン医師は、ウィザリング医師よりも先に論文を書いたのです。
"An Account of the Successful Use of Foxglove in Some Dropsies and in Pulmonary Consumption " という論文です(参考文献 2)。
しかもその論文にはウィザリング医師のことはどこにも書いてありません。自分(エラズマス・ダーウィン)が「ジギタリスという植物が水腫の治療薬となりうる」ことを最初に発見したと主張しているのです。
しかし、当時すでにウィザリング医師が「ジギタリスという植物を用いてDropsy(水腫)の治療をしていること」は有名でしたので、「ジギタリス発見」の功績はウィザリング医師に与えられます。ウィザリング医師はその功績により、英国の王立協会、リンネ協会の会員にも選出されます。一方、エラズマス・ダーウィン医師には「優先権を盗もうとした」不名誉な記録が残ってしまったのです。
それはともかく、当時、ジギタリスという植物の葉っぱを乾燥させて粉末にして飲ませれば、Dropsy(水腫)に効くことだけは解りましたが、その使い方はよくわかっていませんでした。つまり用法や用量が解らないのです。前々回で「猫単位」を紹介しましたが、それはジギタリスの効力判定(力価判定)のためでした。効く量、効く葉っぱがわからなかったから「猫」を利用してジギタリスの効果判定を行ったのです。
投与量が多すぎると副作用が生じ、胸焼け、嘔吐、下痢などの消化器症状に加えて、目の異常も生じます。視力障害(光がないのにチラチラ周りが光って見える・視野が黄色く見える(黄視症:後述の余話を参照))、複視(モノが二重に見える)、不整脈も生じます。重いジギタリス中毒でお亡くなりになることもあります(参考文献3など)。
つまり、ジギタリスは「効くけれど厄介」な薬だったのです。
現在、「ジギタリス葉末」は使われていません。化学合成した「ジゴキシン」というお薬が使われています。ジギタリス投与中はそのジギタリスの血中濃度を測定することが簡単にできます。心電図、血中濃度、身体所見を見て投与すればジギタリス中毒はほとんど生じません。良い時代です。
ジギタリスは今、観賞用植物になっていると記しましたが、一部野生化して野原にも生えています。それを間違って食べると、ジギタリス中毒を生じます。
厚生労働省が発表している「ジギタリス中毒例」を紹介します。
「症例:200○年4月富山県:コンフリー(注:一時健康食品として流行しましたが、今は食品として摂取するのは禁止されています)と間違えてジギタリスの葉6枚をミキサーにかけて飲んだ8時間後に悪心・嘔吐が出現したため、近医を受診し、心臓の刺激伝導系の房室結節の機能が低下した状態であったため、体外式ペースメーカー植え込み術で対処した。
また、悪心、嘔吐のため食欲が全く無かったので点滴で全身管理を行った。翌日娘さんから話を聞き、ジギタリス中毒と診断した。第5病日から食欲が回復し、第12病日にようやく房室ブロックが改善しペースメーカーをはずした。入院日の血中ジギトキシン濃度は、81.6ng/ml、翌日は 72.8ng/ml 第7病日でも 35.0ng/ml と高値を示した。」
とあります(注:治療域は一桁ですから、10倍以上)。
このようなことは、ウィザリング医師がジギタリスという植物を治療に使い始めた当時、普通に見られたと思います。
さて、話は変わります。Dropsy(水腫)は全身がむくむ病気です。
ウィザリング医師がDropsy(水腫)の治療にジギタリスを使用し始めた当時、Dropsy(水腫)の原因は不明でした。
今でこそ、浮腫の原因はたくさんあることが解っています。列挙します。全身性浮腫と局所性浮腫(体の一部が浮腫む場合)の2通りあります。
以上、さまざまな原因で体がむくみます。
ウィザリング医師の時代には、こういうことが全く解っていなかったのです。今、お示ししたように「浮腫=水腫」はさまざまです。このなかでもジギタリスが効くのはたった一つです。そうです、「心原性浮腫」にしか効きません。そもそも「水腫」の原因がわからなかったので、Dropsy(水腫)があると「ジギタリス」が投与されていたのです。効く人は心臓に原因があるDropsy(水腫)だけでした。今から思うと、ひどい話です。
その後、心臓病学が発達します。大きい出来事が4つあります。
このような心臓病に関する大きな発見、発明があり、「心臓病が進行してくるとDropsy(水腫)を生じること」がわかるようになりました。英国、フランス、ドイツ、オランダの医師に交じって日本の田原淳先生の大発見も貢献しているのが少し誇らしいですね(田原先生のことは以前にも紹介しました)。
1.の「聴診器の発明」により、弁膜症や心臓に孔が開いている病気、心不全の時の心臓の音が解るようになりました。心不全の時には、呼吸の音も変わります。今でも聴診器は役に立っています。
2.の「X線の発見」は、医学の歴史上の大発見です。心不全になると、(1)心臓が大きくなること、(2)肺に水がたまることが解りました。
3.4.の「心電図と刺激伝導系の発見」が相まって、(1)心臓がどのように動くのか、(2)心臓のはたらきが悪くなると心電図はどう変化するか、なども詳細に解ってきたのです。心電図でジギタリスの効果判定もできるようになりました。
具体的に言うと、ジギタリスを服用すると、心電図に以下のような変化が現れるのです。
(1)ST盆状降下 (2)PQ時間延長 (3)QT時間短縮
図2:ジキリタスによる心電図の変化
ジギタリス投与中の患者さんの心電図にこういう特徴が現れたら、それは「ジギタリスが効いている」証拠なのです。ジギタリスは中毒量になると、房室ブロック、脚ブロックなどを生じます。そういう所見が出たらジギタリス投与は中止です。心電図のお蔭で、ジギタリスの効果判定が容易になり、どうやら「猫単位」は不要になりました。
つまり、以上のような研究が進み、「心臓が原因以外のDropsy(水腫)にはジギタリスは効かない」ことが解り、随分と治療が変わりました。
一方、ジギタリスの葉っぱのうち、何が効いているのかの研究も進みます。それを発見したのはフランスの薬理学者ナティベユ(Claude Adolphe Nativelle)です。
彼はジギタリスの葉っぱから、純粋な活性成分の結晶の分離に成功します。この成分はジギトキシン(digitoxin)と名付けられます。このdigitoxinはウィザリング医師が用いた「キツネノテブクロ、英語=foxgloveラテン名=Digitalis purpurea」の葉っぱから抽出されました。しかし現在、ジギトキシンは使用されていません。ジギトキシンよりも作用が強いジゴキシンが発見されたからです。ジゴキシンは「ケジギタリス:woolly foxglove:Digitalis lanata」というジギタリスの近縁種から見つかった成分です。ケジギタリスの「ケ」は「毛」です。綿毛が茎や花より目立つので「毛」がついています。
写真:ケジギタリス Digitalis lanata
確かに花の周りに綿毛が見えます
ジギトキシンは、日本では2005年から販売が中止されていて、日本薬局方からも消失しそうです。
現在、日本で使用できるジギタリス製剤は「ケジギタリス」から抽出されたジゴキシンとメチルジゴキシンの2種類だけです。ところが、ジギトキシンが手に入らなくなったことで、ジギタリス中毒が一時増えました。背景は、次の通りです。
「使用できるジゴキシン」は、腎臓から排泄されます。一方、「(廃止された)ジギトキシン」は、肝臓で代謝されます。腎機能が悪い方には「ジギトキシン」投与が一般的でしたが、ジギトキシンが販売中止となり、腎機能が悪い方にもジゴキシンが投与された結果、ジゴキシン中毒になる方が多発したのです。腎機能が低下している患者さんに対するジゴキシン投与には注意が必要です(用量を抑えて、血中濃度を測定しながら投与すれば中毒が生じることは稀です)。
ジギタリスが心不全患者さんに効くかどうかという研究は、今でも継続されています。古くて新しい課題です。
なかでも有名なのが、1991年から3年をかけて北米で行われた「Digitalis Investigation Group Trail(DIG traial)」という研究です。心不全治療にジギタリスを使った群と使わない群で比較しています。その結果、全死亡率と心臓血管病による死亡率では両群で差は無く、入院率、症状の悪化はジゴキシン投与群で良好でした。
つまり死亡率に差は無くても、少なくともQOLはジゴキシンで改善しそうです。また、この研究ではそれまでの常識が覆るような大発見がありました。「ジゴキシンの血中濃度が、たとえ治療域に入っていても、高いほど死亡率が高いこと」が解ったのです。治療域のジゴキシン血中濃度は0.5-2.0ng/mlとされています。2.0ng/mlを越えるとジギタリス中毒症状が出る恐れがあります。この「DIG traial」で解った血中ジゴキシン濃度と死亡率の関係を示します。
血中濃度 | 死亡率 |
---|---|
1. 0.5~0.8ng/mL | 29.9% |
2. 0.9~1.1ng/mL | 38.8% |
3. 1.2ng/mL以上 | 48.0% |
血中濃度が高かった群ほど、死亡率が高かったのです。衝撃的な結果でした。
この研究が行われるまでは、治療域(0.8-2.0)で血中濃度が高い方が治療の成績が良いと思われていました。私も、そう教わっていました。このDIG traial以降、ジギタリスは「低容量の方が、治療成績は良い」という研究結果が多数出ています。ですから私も、ジゴキシンを投与するときは、ジゴキシン血中濃度が 0.5-0.8ng/ml になるようにジゴキシンの投与量を調整しています。
ここまでくるのに、ウィザリング医師の発見から、200年もかかっています。ジギタリスの薬理作用の本体が解ったのが2002年のことです。
お薬のことは、簡単ではありませんね。なお、心不全治療の第一選択は、β-ブロッカーAce阻害薬、ARB、抗アルドステロン剤です。進行してくるとジゴキシンも使います。
猫単位から始まり、ジギタリスの発見とその歴史について3回に渡ってお伝えしてきました。
如何だったでしょうか? 「ジギタリス」は、お薬を考えるのにとても良い材料だと思います。
「ジギタリス中毒」にかかると、回りが黄色く見えるようになります。黄視症と言います。
ゴッホの絵は、黄色が多用されています。そこから、ゴッホは「ジギタリス中毒」だったのではないか?という説を唱える人もいます(Medical Practice vol.22 no6 2005 1009―など)。ゴッホは「てんかん」を患っていました。ゴッホが生きた時代「てんかん治療」にジギタリスが使われていたのです。また、ゴッホの主治医だったガッシュ博士はジギタリス治療を得意としていたので、こういう説が出るのですね。ですから、ゴッホはジギタリス中毒となり、黄視症を患い、周りが皆黄色く見えたのでという話です。
確かにお話としては、面白いですが、ゴッホがジギタリスを服用していたという証拠は残っていません。ガッシュ博士が書いたゴッホの処方箋でも、発見されたら面白いですね。
ジギタリス中毒は時に死に至ることもあります。「毒薬」としても使われたことがあるのでしょう。色々な小説や映画で「ジギタリスを用いての殺人、自殺」が描かれています。
ネタバレになるので、ジギタリスが「毒」として使われた小説と映画を1個ずつ挙げておきます。
1.アガサクリスティ「死との約束」
2.007 カジノ・ロワイヤル
望月吉彦先生
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