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日本の銀杏とイギリスの「家族計画」を結ぶ縁(3)~「銀杏」の話(4)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

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望月吉彦先生

更新日:2018/07/02

研究者の専門領域さえ変え、世界的ベストセラーを生み出した源泉は、「失恋」「怨念」「執念」?

前回は、今から100年以上前に、日本人植物学者 藤井健次郎と結婚するために来日、しかし藤井にはふられてしまい結婚できなかった英国人女性植物学者 マリー・ストープスがその仕返しとして「Love-letters of a Japanese / edited by G.N. Mortlake」(1911年)という藤井との往復ラブレター集を「偽名」で出版したことを紹介しました。
植物学者、化石学者であったストープスがなぜ、後に「Married Love or Love in Marriage」(1918年)という本を書き、「結婚、性生活、避妊、生殖」を専門とする活動家になったのかの理由の第一は「この成就しなかった恋愛」にあったと思います。マリー・ストープスが藤井健次郎と結婚していたら、世界的ベストセラーとなった「Married Love or Love in Marriage」も書かれなかったでしょう。歴史に“if”は禁物ですが、色々と考えさせられます。

マリー・ストープスが「結婚、性生活、避妊、生殖」の専門家になった理由ですが、ほかにも2つあると思います。

2番目の理由は「銀杏の精子を東京で見て生殖に関する不思議を感じた」からだと思っています。彼女が1910年に出版した「A Journal from Japan」での同書にそれに関する記述があります。

図1:A Journal from Japan:1907/09/17 図1
図1:A Journal from Japan:1907/09/17(国会図書館蔵)

図1は彼女が書いた「A Journal from Japan(日本日記)」の1907年9月17日の記載です。1907年9月17日の記載に銀杏の精子がゾウリムシのように動いていることを書いています。9月17日の部分だけ以下に翻訳してみます(注:逐語訳ではないです)。

「いよいよ銀杏の精子が泳ぎ出す。私は、銀杏の精子がゾウリムシと同じように繊毛を動かして動くのをみて、研究室で幸せな数時間を過ごした。それにしても、瑞々しい銀杏の種子を切ってみるのは、なんて楽しいの!」

そしてその一年後、次のような記述が残っています。

図2:A Journal from Japan:1908/09/09
図2:A Journal from Japan:1908/09/09

この図2は、1908年9月9日に記されています。銀杏の精子が運動していることを生き生きと書いているのです。図1同様に翻訳してみます。

「朝早く、研究所に行くと銀杏の周りに興奮した人々がいた。丁度、銀杏の精子が動き始めたところだった。銀杏の精子は1年の内で1日か2日しか泳がない。だから精子の動く瞬間を捉えるのは容易ではない。一番良いタイミングでも、100個の銀杏を見てもたったの5個しか精子が入っていないこともある。一個しか見つからなくても感謝しなくてはいけないくらい大変なことなの。一日中、研究室で観察して、3個しか見つからないこともある。未熟な花粉管の中ではいくつか見ることができる。けれど、何よりの楽しみは精子が泳いでいるのを見ることで、繊毛が力強く動いているのを見るのは楽しい。」

要するに、前々回で紹介したように東京帝国大学の画工だった平瀬作五郎が1896年9月9日に「イチョウの精子」を発見、その論文はあっという間に世界中に広まり、世界中の植物学者を驚かしていたのです。その一人がマリー・ストープスだったのです。世界で初めて「精子」が観察されたまさにその「東京帝国大学の銀杏」で「精子」を見られるのですからマリー・ストープスが興奮するのもわかります。銀杏の生殖を見て、「生殖」について考えるところがあったのでしょう。それが、後年の「結婚愛」に結びついたと思います。それが、マリー・ストープスが「生殖」の専門家になった理由の2番目だと思っています。

第3の理由は、「ストープスの最初の結婚の失敗に起因」すると思います。
前述のごとく、1911年にマリー・ストープスはゲイツさんと最初の結婚をします。しかし二人の間には子供ができませんでした。妊娠しないことを不審(?)に思ったマリー・ストープスは「大英博物館」に数ヵ月通って、本格的に人間の生殖、妊娠について研究し、夫が「性的不能」であると結論づけます。そして、彼女は1914年にそれを理由に離婚訴訟をおこします。ゲイツさんは、結婚して直ぐに前恋人とのラブレター集を出版した本を読んで、それが原因で「性的不能」になっていたのではないでしょうか? ゲイツさんは、後に別人と再婚して、子供にも恵まれているので「性的不能」は一時的なモノだったのでしょう。

ストープスはゲイツとの離婚後の1918年に実業家で航空機製造業者のHumphrey Verdon Roe(ハンフリー・ヴァードン・ロー)と再婚します。
新しいご主人はストープスが「Married Love or1 Love in Marriage」を出版する際、経済的に援助しました。そして再婚の年に同書を出版、たちまち世界的ベストセラーになります。その後ストープスは「結婚、性生活、避妊、生殖の専門家」として世界的に大活躍したのです。

「藤井健次郎との恋」と「東京帝国大学での精子の発見」がマリー・ストープスを東京に呼び寄せ、そこから世紀を代表する著作が生まれたとも言えます。そう思うと、マリー・ストープスが少し身近に思えます。

余談:

下図はマリー・ストープスを「ふった」藤井健次郎が発見した、銀杏の葉っぱに直接銀杏の実がなる「オハツキイチョウ」の写真です。イチョウの葉に実が付いている変わったイチョウです。世界的にもとても珍しい植物です。山梨県の身延町にあります。

図3:オハツキイチョウ
図3:オハツキイチョウ

【注と参考文献】

  • マリー・ストープスの日本滞在記には細菌学者ロベルト・コッホ(1843-1910)と会ったことも書かれています。
    「細菌学で世界的に有名なコッホが東京の私たちの施設に来た。藤井教授は、病気治療のために山に籠もっていたはずなのに、この時だけは山から下りてきた。コッホは太って愛嬌があった。だけどあんまり知的には見えなかった。私の顕微鏡にセットしてあった植物化石の代わりに銀杏の精子を見せた。植物化石にも興味を持っていた。日本人の記者はコッホの一挙手一投足を書いている。もしコッホが富士山の頂上に登ったら、頂上まで電話を持って行って記事を書いてやるぞ!そう思うくらいの執念で記事を書いている。」
  • Marie Stopes Collection [Marie Stopes:1880-1958] というマリー・ストープスに関するコレクションが何故か日本で売りに出されています。マリー・ストープス研究者の遺品なのでしょうか?
  • 生殖の政治学 荻野美穂(著) 山川出版

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-1-1 浜松町ビルディング1階 プラザ 111 内
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