望月吉彦先生
更新日:2018/05/07
前回、アメリカで2015年にいきなり多くの高価薬が出現し、その中には24時間点滴で投与すると約2,000万円もかかるお薬があることをお話ししました。
これだけの価格が付くなら「夢の新薬」だと思われるでしょう。違います、なんと70年前に合成された古いお薬でした。前回の続きをお話しします。
このお薬はウィーン大学薬理学教授のヘリベルト・コンツェット医師(Heribert Konzett:1912-2004)が1941年に合成した「イソプロテレノール(Isoproterenol)」というお薬です(参考文献1.2.)。イソプロテレノールは、あの高峰譲吉が合成に成功したアドレナリンを元にして作られたアドレナリン誘導体の一種です。高峰譲吉のこと、アドレナリンのことはこれまでにも紹介して参りました。
イソプロテレノールはそのアドレナリンに2つのメチル基(CH3)が付いた構造をしています(図1、図2参照)。
図1:イソプロテレノールの構造式
右側のCH3がアドレナリンと違います。
図2:アドレナリンの構造式
アドレナリンの受容体(受容体が無いとお薬は作用しません)にはαとβの2種類あり、β受容体はβ1、β2、β3と3種に分かれます。イソプロテレノールはβ1、β2、β3の全てに作用します。心不全、徐脈、気管支喘息の治療などに使われていました。現在はβ1、β2、β3にそれぞれに作用する薬があり、イソプロテレノールの適応疾患は極めて限られていますが、イソプロテレノールはある種の心臓病治療には欠かせない薬です。洞機能不全症候群、房室ブロックといった「脈が遅くなり、心臓が止まってしまうかもしれない」病気の治療に使われます。そういう病気の治療に使われるお薬です。洞機能不全症候群や房室ブロックは重篤になると心臓が停止することがあります。ペースメーカーでの治療が必要になることもあり、ペースメーカー移植までの「つなぎ」として私もよくイソプロテレノールを使いました。こういう病気の患者さんが来院しても、直ちにペースメーカーを入れるわけではありません。症状が重い場合は直ちに一時的ペースメーカーを入れることもありますが、外来受診時や病院に救急搬送された時に、このような疾患が疑われ、脈がゆっくりならイソプロテレノールの点滴をします。イソプロテレノールの点滴を開始すると直ちに脈は早くなります。効果は劇的です。実に良い薬です。多くの人命を救っている素晴らしいお薬です。それは日本でもアメリカでもヨーロッパでも世界中どこでも一緒です。ただし、ここが肝なのですが、長時間、高容量を使用することはありません。長くても数日、短いときは数時間しか使われません。イソプロテレノールは大量に使われることも無く、特許も切れているので、イソプロテレノールでは利潤が出なかったのです。普通の製薬会社は見向きもしないお薬でした。
そういう“特徴”を持ったお薬でした。
この“特徴”に目を付けた人々がいます。そして Valeant Pharmaceuticals という会社が、
イソプロテレノールを合法的に作れる会社が「Valeant Pharmaceuticals社」だけになった途端、一挙にイソプロテレノールの値段をつり上げたのです(参考文献3)。
数年前まで、イソプロテレノールは1バイアル(0.2mg/mL)あたり40ドル(約4,000円)程度でした。このお薬が2015年には1バイアル(0.2mg/mL)あたり1,472ドル(約16万円)になったのです(Hospitals remain skeptical about Valeant discounts on important heart drugs)。
実に一挙に約40倍にしたのですね。ちなみに日本での価格はたったの226円!です。誤記ではありません。
このお薬を体重80Kgの患者さんに投与する場合の標準的投与量は1時間あたり約1mgです。アメリカなら、1時間に5バイアル=80万円必要です。12時間で約1,000万円!です。24時間なら2,000万円です。オプジーボと違い、開発コストはゼロ、製造方法もわかっています。
この高価薬のおかげで、Valeant Pharmaceuticals社は莫大な利益を上げました。この功績(?)により、この会社の J. Michael Pearson CEOは「The 10 Best Performing CEOs Show What It Takes to Be a Great Manager」の8番にランクされています。因みに1番は、Amazonの創業者の. Jeffrey Bezosです。
イソプロテレノールはある種の疾患の治療には欠かせない治療薬です。ほかに選択肢があまりありません。医師は高価すぎると思いつつも使わざるを得ません。なぜこんなことがまかり通るようになったのでしょう。繰り返しになりますが、アメリカはお薬の値段を製薬企業が自由に決めることができます。普通はライバル企業があるので、お薬は「そこそこ」の値段に落ち着きます。しかし、このイソプロテレノールにはライバル企業が無かったのです。というか、ライバル企業を全て買収して製造権を独占してしまったのです。今から他の企業が、イソプロテレノールの製造権を獲得するのは難しいのでしょう。これぞ、アメリカ!と思ってしまいます。もちろん、皮肉です。当たり前ですが、この状況をアメリカの世論も政府も黙ってはいません。
このような仕組みで儲けるビジネスモデルは“Valeant Pharmaceuticals' Business Model”と名付けられ、社会問題となっています。アメリカ上院では特別委員会が開かれて糾弾されます(参考文献4.5.)。この特別委員会で糾弾されても、Valeant Pharmaceuticals社はイソプロテレノールの値段を30%下げただけです。Valeant Pharmaceuticals社はイソプロテレノールだけではなく、ニトロプルシド(Nitroprusside)という点滴で使う降圧剤を約2倍に、メトフォルミンという糖尿病治療薬を8倍に値上げしています。イソプロテレノールの値段を吊り上げたのと同様な手法をとっています。
そして、“Valeant Pharmaceuticals' Business Model”を真似する(?)企業(人)も現れました。
これらのご紹介を簡単にしましょう。
(1)のコルヒチンについては、URL Pharmaという会社がコルヒチンの値段を50倍にしました。ハーバード大学のPharmacoepidemiology(薬剤疫学) && Pharmacoeconomics(薬剤経済学)教室のアロンケッセルハイム准教授(Aaron S. Kesselheim)は、2010年のNew England Journal of Medicine誌上で警告を発していましたが(参考文献6)、効き目は無かったようです。
(2)ピリメタミンの値上げを行ったのは Turing Pharmaceuticals社 です。この会社の経営者は、まだ年若いマーティン・シュクレリ(Martin Shkreli:1983-)氏です。ほかのお薬でも同様なことを数多く行っています。
このような手口の商売を非難する人々に対して、シュクレリ氏は、
“If there was a company that was selling an Aston Martin at the price of a bicycle, and we buy that company and we ask to charge Toyota prices, I don't think that that should be a crime.”
訳)アストンマーティンを自転車の値段で売っている企業があるなら、我々がその企業を買収して、トヨタの値段でアストンマーティンを売る。それが犯罪とは思わない
と言ったものです。つまり、本来なら高額で売るべきアストンマーティン(=ピリメタミン)をトヨタ値段で売っているのだから、良いだろうと言っているのです。なんだかトヨタが馬鹿にされているようで嫌な感じですね。車に興味が無い方のために申し添えると、アストンマーティン社はイギリスのスポーツカーメーカーで、1番安価な車でも2,000万円します。007のボンドカーのほとんどはアストンマーティン社の車ですね。
それはともかく、余計なことを言ったマーティン・シュクレリ氏には、“The Most Hated Man in America.(アメリカで一番嫌われている人間)”という不名誉な称号が与えられています。なお、シュクレリ氏はお薬の販売とは別件の詐欺容疑で、FBIに逮捕され、裁判中でしたが、冒頭でも紹介したように、
“ついに禁固刑「米国で最も憎まれる男」に禁錮7年 証券詐欺で”という報道が2018年3月10日のAFPで報道されています。
でもお薬の値段をつり上げたことでは捕まったわけではありません。そちらは「合法」だからです。
さて、色々と紹介してきました。さすがの資本主義国家アメリカでもこのような「商売」は尊敬されていません。しかし、法律に違反しているわけでは無いというのが、「薬を法外に値上げしている」彼らの言い分です。マスコミや政府がいくら値段を下げろと言っても聞く耳は持たず、とどのつまり値段はあまり下がっていません。日本なら、厚労省が薬価を決めるのでこのような「非道」なお薬の値上げはあり得ないですね。
前回、今回と、国内外の薬のお話をご紹介し、薬の値段を考えてみました。如何だったでしょうか?
最後になりますが、前回の冒頭で「モノの値段」は、「売り手良し 買い手良し」で決まると書きました。この言葉は、もう一つの成句「世間良し」が加わることで完成します。「売り手良し 買い手良し 世間良し」という言葉です。「三方良し」とも言われます。
この言葉は、商売上手で有名な近江商人の間で使われていました。近江商人の中村治兵衛が70歳の時に幼い跡継ぎに遺言として残した家訓「宗次郎幼主書置(かきおき)」全11条の一節です(参考文献7)。商売繁盛を願うなら「売り手、買い手」の満足だけではなく、世間様への貢献(=社会への貢献)も必要だと説いているのです。今日のCSR(corporate social responsibility:企業の社会的責任)という言葉ができるより遙か昔の江戸時代に、CSRを先取りした商売哲学を説いていたのです。
「世間良し」って良い言葉ですね。古い薬で「売り手」しか満足しないような“あこぎ”な商売をやっている人々に聞かせたいものですね。
イソプロテレノールが毛包の幹細胞を心筋細胞へ誘導することができるという要旨の論文が2016年に発表されています。
このようにイソプロテレノールは今でも色々な実験にも用いられています。
Isoproterenol directs hair follicle-associated pluripotent (HAP) stem cells to differentiate in vitro to cardiac muscle cells which can be induced to form beating heart-muscle tissue sheets.
Yamazaki A, Yashiro M, Mii S, Aki R, Hamada Y, Arakawa N, Kawahara K, Hoffman RM, Amoh Y.
Cell Cycle. 2016;15(5):760-5.
実は、このような特殊薬ではない糖尿病治療に欠かせない「インスリン」の価格が急上昇して社会問題となっています。
Insulin price spike leaves diabetes patients in crisis
アメリカ糖尿病学会も「STAND UP FOR AFFORDABLE INSULIN(適正価格のインスリンが使えるように立ち上がろう)」という運動を起こしています。
STAND UP FOR AFFORDABLE INSULIN
インスリンの価格は、インスリンの種類にもよるのですが、8-32倍も上昇しています。
よく使われる長時間作用型インスリン500単位の値段は1987年には170ドル(19.000円)だったのですが、2017年1月時点で1400ドル(150.000円)に上昇しています。インスリン価格急騰の原因は不詳です。誰かがどこかで、「世間良し」に背くような行為をしているのでしょうか。ちなみに、メキシコやカナダでは全ての薬価が安価で、国境を越えてお薬を買いに来るアメリカ人が絶えないそうです。
Mexicans go to the United States for a better quality of life. Americans go to Mexico because they can't afford quality of life.
「メキシコ人はアメリカに行けば生活の質が向上するだろうと思ってアメリカに行く。アメリカ人は、アメリカで生活の質を向上させるには費用がかかりすぎるので、メキシコに行く」。皮肉な話です。
望月吉彦先生
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