疾患・特集

076:心筋梗塞合併症(6) 冠動脈疾患(26)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

メディカルコラム

望月吉彦先生

更新日:2017/12/18

すべての冠疾患治療の恩恵を受け、米国副大統領になった患者さんの物語

前回で冠動脈疾患については終了しようと思っていましたが、最後にちょっとだけお付き合いください。
冠動脈にまつわる診断や治療についてお伝えして参りましたが、これまでに紹介した冠動脈疾患の診断や治療のほぼ全てを受けて、今も元気で活躍している方がいます。それは、チェイニー元米国副大統領です。
そのチェイニー氏が引退後に心臓病治療について書いたのが、ディック・チェイニー、ジョナサン・ライナー共著『心臓』です。同書によると、チェイニー氏はカテーテル、PCIは元より、スタチン投与、β-ブロッカー投与、ARB投与、ICD装着、冠動脈バイパス術、心臓移植など、ありとあらゆる冠動脈治療を受けています。そのような治療を受けつつ、副大統領にまでなり、心臓移植を受けた後も元気で活躍しています。もう少し、生まれるのが早ければその恩恵を受けることはできなかったと思います。ある意味とてもラッキーな人生を送っています。

彼は1941年生まれです。元々、ヘビースモーカーでした。なんと、12歳から煙草を吸っていた!と自ら書いています。彼が高校生だった頃、米国では高校生(!)の喫煙率が50%だったのです。周りにたくさん喫煙者がいたので、喫煙が特に悪いことだとは思わなかったそうです。
28歳でホワイトハウス入りして、34歳で大統領補佐官になります。ホワイトハウス内では当時、喫煙が普通でした。また、大統領専用ヘリコプターのマークが入ったマッチがあり、それを用いて大統領の紋章が入った煙草に火をつけて吸うのが「格好良い」とされていた時代です。隔世の感があります。日本でも同様に、菊の紋章入りの煙草があり、「恩賜のたばこ」と呼ばれ、珍重されていました。健康増進法が制定されたこともあり、2006年に廃止され、今は「恩賜の金平糖」になっているそうです。1回食べてみたいですね。

それはともかく、チェイニー氏の話にもどします。彼は37歳の時、下院議員選挙に立候補します。その選挙運動中に、心筋梗塞を発症します。1978年のことです。下壁梗塞を起こし、夜中に意識が無くなり病院に搬送されています。下壁梗塞というのは右冠動脈の閉塞で起きるのです。右冠動脈の閉塞は心臓を動かす元の電気信号を発する洞結節や房室結節への血流低下をおこし、心拍数が遅くなったり、ひどいと心臓が止まってしまうこともあります。つまり、チェイニー氏は下壁梗塞で心拍低下、血圧低下などを生じて、意識消失したのだと思います。氏は当時、高脂血症も指摘されていました。この時のデータを元に、以前ご紹介したフラミングハムスタディに基づいた心筋梗塞の10年における発症予測率は8.2%で、37歳の男性にしてはかなり悪かったのです。
※心筋梗塞の発症予測率はこのサイトで簡易計算ができます。皆様も一度、ご自分の心筋梗塞発症予測率を計算してみてください。
Framingham Coronary Heart Disease Risk Score

運が良いとしか言いようが無いのですが、選挙運動中に心筋梗塞になったことを公表した結果、知名度が上昇し、選挙に圧勝します。それまでは不利だと思われていたのに、正直に病気を告白したことが反って良かったのです。
それからの彼の病歴は物凄く長いのです。カルテの病歴風に記載すると、

1941年生まれ 男性。エール大学を二度退学し、ワイオミング大学を卒業。20代の時、2回も飲酒運転で逮捕されたことがある。
冠疾患危険因子 1.高血圧(+) 2.高脂血症(+) 3.肥満(+) 4.喫煙(+) 5.糖尿病(-) 6.家族歴(+:父も冠動脈バイパス術を受けている)
1978年 最初の心筋梗塞、この時、意識消失。その後下院議員に当選。
1979年 1回目のカテーテル検査を施行、冠動脈に2箇所狭窄あり。
1984年 2回目の心筋梗塞で7日の入院。
1987年 狭心症発作を生じ、ニトログリセリンを舌下したが、血圧が低下して意識消失。同年、2回目のカテーテル施行。カテーテル施行中に3回も心室細動(心停止状態)となり、3回電気ショック(DC)を施行。この年に奇しくも、世界で最初のスタチン製剤(高脂血症治療薬)であるロバスタチン(商品名:メバコール)が発売され、チェイニー氏はメバコール投与を受け高脂血症は著明に改善した(LDLが163から、65まで改善)。

注1:日本製のプラバスタチン(日本での商品名:メバロチン、米国での商品名:プラバコール)は、日本では1989年に米国では1991年に発売開始。
注2:プラバスタチンは世界初のスタチン製剤。当時、三共製薬の遠藤章先生が世界初めて合成に成功、ただし、商品化はロバスタチンに先を越された。
1988年 3回目の心筋梗塞を発症。冠動脈バイパス術を受ける(4枝バイパス)。術後4ヵ月でスキーを楽しむ。
1989-1993年 国防長官に就任(父ブッシュ大統領に任命される)。
1995年 ハリバートン社CEOに就任。
2000年11月 4回目の心筋梗塞を発症、カテーテルを施行。初めて、PCI治療を受ける。
翌月、副大統領に就任(子ブッシュ大統領時)。
2001年3月 5回目の心筋梗塞、2回目のPCIを受ける。
2001年6月 ホルター心電図にて心室細動を生じていることがわかり、植え込み型除細動器(ICD)を移植。
2001年9月11日 航空機によるテロが勃発(ニューヨークのワールドトレードセンターなど)。
2005年 膝窩動脈瘤が見つかり、ステントグラフト治療を受ける。
2006年 痛風発作を起こして、インドメタシンを投与されたが、その副作用で心不全になる。
2009年 副大統領を退任。同年12月9日、車を運転中に意識消失を生じるもICDが作動して意識が戻る。心不全症状が強くなり、β-ブロッカー、ACE阻害薬、利尿剤の投与を受けるも次第に心不全が進行。
2010年7月 心不全が進行し、左心補助人工心臓(LVAD)を移植される。LVAD装着しても旅行や釣りを行う。移植待機リストに登録。
2012年3月 心臓移植を受ける。そして、今も元気に暮らしている。

トランプ大統領候補への支持をいち早く表明してニュースになったりもしていました。
こんな風に重要ポイントだけの病歴を抜き出して書くと素っ気ないし、簡単そうに見えます。しかし、これまで皆様に紹介したとおり、冠疾患の診断や治療は、文字通り、年々歳々、進歩してきました。その成果を、リアルタイムで甘受してきたのが、チェイニー氏です。皆さんは、治療を受けた患者さんの話を聞くことはあまり無いと思います。私ども医師は、患者さんの話(病歴)を聞くことが診断や治療の第一歩です。米国の有名な内科医オスラー(1849-1919)の言葉に

"Listen to the patient. He is telling you the diagnosis"
「患者さんの言うことを良く聞きなさい。患者さんはあなた(医師)に診断の手かがりとなることを話しているのです」

という有名な言葉があります。
この本を読むと、素晴らしい病歴を聞いているようで、実に面白いのです。時々の、政治に対する感想も入ります。それに加えて主治医(ライナー医師)から見たチェイニー氏の様子や実際に行った治療や診断法についてその歴史を交えて描いているのですから面白くないわけがありません。ある意味、チェイニー氏と共同作業で書いた「究極のカルテ」とも言えます。それも完璧なカルテです。苦しかったことや重職にあったときのストレスや報道に対する意見などが正直に書いてあり清々しい感じを受けます。両者ともにそれぞれの分野でトップレベルまで上り詰めていますので、記述もそれなりに「深い」のです。アメリカの医療事情の細かい部分やホワイトハウス内の医療事情も解かります。副大統領という、あまり知られていない仕事のことも書かれています。心臓病に興味がある方は、是非、お読みください。

チェイニー氏は、自分でも書いていますが、

「この35年間、心臓の治療を受けてきたので、心臓病治療の発展の恩恵(新薬、診断法、治療装置、手術など)に与ったことがとてもよくわかる。今は、心臓移植を受けたお蔭で、20kgの飼料を持ってピックアップトラックに乗せることもできる。孫と遊ぶこともできる。自分は、この時代に生まれてラッキーだった。」

そうしみじみと記しています。そうです、今、正にこの時代に生きているのは、とてもラッキーなのです。
どうか、そういう良い時代に生きていると思いつつ、心臓を労るような生活をなさり、冠疾患に罹らないようにしましょう。

今回で冠疾患にまつわるお話は終了とします。長い間、お読みいただき有り難うございました。

ICD:模式図(SJM社のサイトより)
ICD:模式図(セント・ジュード・メディカル株式会社のサイトより)

植え込み型人工心臓の模式図(国立循環器病センターのHPより)
植え込み型人工心臓の模式図(国立循環器病センターのサイトより)

左心室から血液を人工心臓に導き、人工心臓から上行大動脈に血液を拍出する。人工心臓も小型化され、人工心臓の工藤も電池で出来る様になり、人工心臓を装着して歩行や外出、仕事も出来る様なレベルまで進んでいる。

チェイニー氏 近影
チェイニー氏 近影

注:

医師として興味深いのは、

  • 1987年、彼にスタチンが投与されてから12年間にわたり心臓発作を生じていないということです。
    それまでの10年で3回も心筋梗塞を発症し、3割も心機能が低下していたのに、スタチン投与後に発作は生じなくなっています。そのスタチンは日本発(遠藤章先生の発見)のお薬です。
  • 職務と発作との関係です。
    最初の選挙の時や副大統領就任直前に発作が起きています。やはり、ストレスが強いのでしょう。
  • 煙草を、最初の発作が起きた時にきっぱりと止めて良かった」とも書いています。
    止めなかったら、間違いなく早死にしていただろうと述べています。

【参考文献】

  • ディック・チェイニー、ジョナサン・ライナー共著『心臓』 国書刊行会 2014年11月刊

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。