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068:血管内治療について(5) 冠動脈疾患(19)(望月吉彦先生) - ドクターズコラム

メディカルコラム

望月吉彦先生

更新日:2017/9/4

冠動脈治療はステント治療の時代に
何百万人もの命を救ったステント治療法の裏にあった“経済”のお話

前回、前々回で「狭窄した冠動脈を特殊な風船(バルーン)で広げる治療を創始し、冠動脈治療に革命を起こした」グリュンツィッヒ先生の「栄光と悲劇」をご紹介しました。

しかし、グリュンツィッヒ先生が始めた風船(=バルーン)だけで、狭窄した冠動脈を広げる方法は廃れつつあります。廃れるというと語弊が有るかもしれません。補助になりつつあるといった方が正しいかもしれません。現在、狭窄した冠動脈の治療は狭くなった冠動脈をバルーンで広げ、そこにステント(STENT)を入れる治療が主に行われます。「ステント治療」と称されます。
バルーン単独での治療はPOBA(Plain Old Balloon Angioplasty:風船治療:ポバ)と呼称します。POBAのみでは再狭窄や冠動脈内に血栓を作る確率が高いので今は「ステント治療」が主流になっています。
今回は、このステント(STENT)にまつわる話を紹介します。

さて、そもそもステントとは何か?「血管内治療について(2) 冠動脈疾患(16)」で簡単にご説明しました。もう一度、おさらいをしましょう。
「ステント」は、ロンドンで開業していたイギリス人歯科医の Charles Stent(チャールズ・ステント)の名前に由来します。歯科医 Charles Stentが歯科治療用に考案した器具の商標が自分の名前をつけた「STENT」でした。

図1
図1:Charles Stentと彼が考案した中空状の治療器具

図2
図2:Charles Stent考案器具の商標

図3
図3:前立腺肥大治療器具などに使われていた「STENT」

現在血管治療に使われている「ステント」とは似ているような、似ていないような微妙な感じですね。泌尿器科領域などでは、中空状の金属治療器具を「STENT」と呼称していました(図3参照)。

「STENT」に「狭くなっている血管を広げるのに使う中空状金属性の管」の意味を持たせて使ったのは、血管治療を創始したドッター先生です。1983年、「Transluminal expandable nitinol coil stent grafting: preliminary report.」という論文を書いています(参考文献1)。この論文で初めて、「STENT」 という用語が使われます。以降、数多くの論文に「STENT」が使われ、定着しました。泉下の Charles Stentさんは、世界中の病院で毎日自分の名前である「STENT」が使われてびっくりしていると思います。

本題です。血管ステントの考案者は上述のごとく、ドッター先生です。当時さまざまな血管治療用のステントが開発されました。風船で広げた血管に金属製の足場を作り、再狭窄を予防するのがその目的です。私は冠動脈バイパス術を数多く行いました。手術の際、狭窄があると思われる箇所を触って確かめます。狭窄を起こしている冠動脈は、「硬い」のですぐに解ります。冠動脈バイパス術でバイパス血管を縫い付けるのはこの「硬い=狭窄を起こしている」箇所ではありません。狭窄の無い箇所にバイパス血管を縫い付ける必要があります。そういうわけで、冠動脈をよく触診しました。硬い部分はPCIだけでは再狭窄するだろうなと思っていました。ステントを使えば、硬くなっている血管を金属で押し広げるので再狭窄が減るだろうというのが、ドッター先生はじめ、ステントを考案した先生の考えです。

図4
図4
上左:ドッター先生のステント 上右:Wright先生のステント
下左: Maass先生のステント  下右:Palmaz先生のステント

図5
図:冠動脈治療用のステント各種

図4、図5にお示ししたごとく、たくさんのステントが開発され、実際に使われ、臨床試験が行われました。どのステントが良い成績(=再狭窄や合併症が少ない)を得られるかの競争でした。その中を勝ち抜いて、残ったのは「Palmaz-Schatz STENT(パルマス シャッツ ステント)」でした。
アルゼンチン人のフリオ・パルマス(Julio Palmaz:1945年12月13日生、以下「パルマス」と略)先生がその発明者です。アルゼンチンのラプラタ大学を卒業後、母国で研修を終えて、グリュンツィッヒ先生がPOBAの発表をした1977年に米国カリフォルニア大学デービス校へ放射線医学の勉強のために留学しています。

当時、グリュンツィッヒ先生は「このバルーンによる血管拡張術は良い方法だが、拡張術後急性期、慢性期に閉塞や再狭窄を生じること」を正直に発表していました。その再狭窄や急な再閉塞の話を聞いていたのが、当時32歳だったパルマス先生です。
パルマス先生の頭の中に「血管の内側に金属の足場を作れば再狭窄、再閉塞が防げるのではないか?」という考えが浮かびました。そして、ドッター先生やグリュンツィッヒ先生と同じく、自宅でこの「血管の内側に金属の足場」を試作します。
最初は鉛筆に銅線を巻いたステントを試作していました。原始的な加工方法ですね。誰でも最初はそうなのです。そういう工夫を始めるか、始めないか、そしてやり遂げるか、途中で止めるかで人生が大きく変わるのかもしれません。パルマス先生は、開発、工夫を途中で止めませんでした。しかし、金属の足場作りはなかなか上手くいきませんでした。そんなある日、自宅の壁工事に網目状の構造物が使われているのを見たパルマス先生は、それにヒントを得て(図6、図7)、網目状の構造を持ったステントを作ることを思いつきます

図6
図6:壁の“網目状”補強材

図7
図7:図6の“網目状”補強材の構造図です

1985年、パルマス先生は、ステントの基本設計を始めます。そしてこの年にブルック陸軍医療センターの心臓病医シャッツ(Richard Schatz)先生と運命的な出会いをします。シャッツ先生も同じくPOBAで生じる冠動脈の再狭窄や急性閉塞を何とかしたいと思っていた一人でした。
二人は意気投合し、共同でステント開発を目指しました。しかし、二人にはその研究開発資金がありませんでした。

この年(1985年)の暮れのことです。シャッツ先生はテキサス州サンアントニオにある「ドミニオン・カントリークラブ」でゴルフをしていました。偶然、そのコース上で有名なレストランチェーン「ロマノーズ・マカロニ・グリル」を経営する富豪フィル・ロマーノ(Phil Romano)さんと出会います。シャッツ先生はロマーノさんに、パルマス先生と開発していたステントのアイデアを話し、資金援助を頼みました。ロマーノさんの側近達は全員反対したのですが、ロマーノさんは「Palmaz-Schatz」チームに研究資金を出すことを決め、積極的に援助しました。その額、日本円にして、約2500万円。これを原資に、パルマス、シャッツ、ロマーノ3人で「Expandable Graft Partnership」という会社を立ち上げ、3年がかりで、「Palmaz-Schatz STENT」の原型を作り上げ「Expandable intraluminal graft, and method and apparatus for implanting an expandable intraluminal graft」という特許を提出し、1988年3月29日に特許が成立します。米国特許番号:4.733.665Aです。
発明者はパルマス先生で出願者が Expandable Graft Partnership社です。
当時、図5のごとく、さまざまな会社でステントが開発され、競い合っていました。その中で、「Palmaz-Schatz STENT」を用いた冠動脈治療の成績が良く、その競争をこの「Palmaz-Schatz-Phil Romano」チームが勝ち抜いたのです。

詳しい経緯は省きますが、1991年には下肢動脈への応用がFDAに認可されます。1994年に冠動脈への臨床使用も認可されました。なんと、日本での冠動脈への臨床使用許可は1993年で、米国より1年早かったのです。これは大変珍しいことです。
何れにせよ、「Palmaz-Schatz STENT」は、あっという間に世界中に広まります。一時、冠動脈の血管内治療の7-8割にこの「Palmaz-Schatz STENT」が使われました。時は流れ、今はあまり使われなくなっています。現在使われているのは、薬物溶出性ステント(Drug Eluting Stent:DESと略)です。DESについては次回でご紹介をしましょう。

図8
図8:Palmaz-Schatz STENTの模式図

図8は、バルーンにSTENTを付け、狭窄部で膨らませた後、バルーンを縮小させて、STENTだけ残しています。この編み目が、図7の壁工作に使う材料に似ているのがおわかり頂けますでしょうか?

FDAの認可が下りた1991年から約10数年は「Palmaz-Schatz STENT」の時代となりました。上記の特許は「20世紀を変えた10の特許」の一つに選ばれ、スミソニアン博物館にパルマス先生の開発したSTENTが展示されています。
「Palmaz-Schatz Phil Romano」のチームは経済的にも恵まれました。レストランオーナーであったロマーノさんの投資した2500万円は、なんと400倍の100億の利益を彼にもたらしました。そのロマーノさんは、今は「抽象画家」になっています。彼の趣味が高じたのか、長年の夢であったのか?本人曰く、俺のことは「artist」と呼んでくれとインタビューで言っています。

図9
図9:Phil Romano氏近影.自作品前

図10
図10:Phil Romano氏の作品群

パルマス先生はというと、現在もSTENTの開発を続けています。そして、同時に「カリフォルニア州ナパバレー」でワインを作ったり、ビンテージポルシェの収集もしているそうです。優雅な話です。

【参考文献】

  1. Dotter CT, Buschman RW, McKinney MK, Rosch J: Transluminal expandable nitinol coil stent grafting: preliminary report. Radiology. 1983; 147: 259-260.
  2. Palmaz-Schatz stent First coronary Palmaz-Schatz stent was placed in a patient by Eduardo Sousa in São Paulo, Brazil in 1987 with a US pilot study started in 1988,is the mother of all recent stents(Johnson and Johnson Interventional Systems, Warren, NJ)
  3. Palmaz-Schatz stent Palmaz-Schatz stent, the first stent approved by the USFDA was introduced by Johnson and Johnson(J&J)in 1994
  4. http://fortune.com/2015/03/28/phil-romano/

どうでもよい話1:

パルマス先生はアルゼンチン人です。冠動脈バイパス術の創始者もアルゼンチン人のファバロロ先生でした。
アルゼンチンの方にはそういう創意工夫の才能があるのかもしれません。

どうでもよい話2:

シャッツ先生が「ドミニオン・カントリークラブ」でゴルフをしなければ、ロマーノ氏と出会わなければ、出会っても資金援助を頼まなければ、Palmaz-Schatz STENTという「世紀の発明」は無かったかもしれません。かの大村智先生もゴルフに行った際に採取した土から得た放線菌が元で今回のノーベル賞を受賞しています。ゴルフをすると良いことがあるかもしれません。今から、習おうかしらと思いつつ。

どうでもよい話3:

ロマーノ氏は、自身の冠動脈には2個の Palmaz-Schatz STENTが入っているとインタビューで言っています。自分が開発を助けた器具に助けられているのですね。一寸良い話だと思います。

どうでもよい話4:

私も米国特許を持っています!番号: 7.264.626 B2です。これは、メスに関する特許です。このメスは製品化されています。自分が考えたモノが使われていると思うと、一寸、うれしいですね。

どうでもよい話5:

Palmaz-Schatz STENT は、最盛期には一年間に100万個使われていました。一個20-30万円ですから、凄い売り上げでした。それが約10年続きました。

望月吉彦先生

望月吉彦先生

所属学会
日本胸部外科学会
日本外科学会
日本循環器学会
日本心臓血管外科学会
出身大学
鳥取大学医学部
経歴
東京慈恵会医科大学・助手(心臓外科学)
獨協医科大学教授(外科学・胸部)
足利赤十字病院 心臓血管外科部長
エミリオ森口クリニック 診療部長
医療法人社団エミリオ森口 理事長
芝浦スリーワンクリニック 院長

医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/

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