望月吉彦先生
更新日:2017/8/7
前回、前々回で、
を紹介して参りました。さて、今回から数回にわたり「狭くなった冠動脈をカテーテルで広げる治療」についての様々なお話を紹介いたします。今回と次回は、この治療の創始者のお話です。
「狭くなった冠状動脈を広げる治療」のことを経皮的冠動脈形成術といいます。英語表記では、
percutaneous transluminal coronary angioplasty=PTCA
または、
percutaneous coronary intervention=PCI
と略称します。現在はPCIを使うことが多いですので以下、文中、PCIと略します。
注:percutaneous=経皮的 transluminal=経管的(管=くだ=カテーテルのこと) coronary=冠動脈の angioplasty=血管形成術 intervention=操作
PCIにより冠動脈疾患に対する治療は一変します。冠動脈疾患の治療に「革命」をもたらしました。
このPCIを創始したのはドイツ人医師、アンドレアス・グリュンツィッヒ(Andreas Grüntzig, 1939-1985)先生です。グリュンツィッヒ先生は1939年、ドイツのドレスデンで生まれ、ロクリッツ(Rochlitz)という小さな町に引っ越します。父親は気象学者で第二次世界大戦中、ここで働いていたのです。その父は戦争中に行方不明となり、グリュンツィッヒ先生一家は、1950年にアルゼンチンに移住しますが、1年で当時東ドイツだったライプツィッヒ(Leipzig)に戻って来ました。1958年に高校を卒業した後、東ドイツから西ドイツに脱出します。東西ドイツの国境が完全に閉鎖されたのが1961年です。もうすこし遅ければ西ドイツに逃げることはできなかったでしょう。後の活躍も無かったでしょう。東西ドイツが統一された今では考えられないような話です。それはともかく、西ドイツのハイデルベルク大学に入学、1964年にハイデルベルク大学を卒業し、皮膚科、内科、放射線科、循環器科などを学び、1969年からスイスのチューリッヒ大学病院で働き始めます。この病院には「Department of Angiology」日本語なら「脈管学教室か血管学教室」とでも呼ぶ世界でも稀な血管疾患専門の治療部門があり、この教室に属していたグリュンツィッヒ先生は、「ドッタリング法」を学びます(ドッタリング法については前回参照)。 そして、ドッタリング法では治療が困難な血管の治療に
「ドッタリング法で用いているカテーテルに風船を付けて、その風船を膨らませて狭くなった血管を広げたらどうだろうか?」
と思いつきます。彼が偉いのは思いついただけではなく、実際に彼の自宅の「キッチン」でドッタリング用のカテーテルに細長い風船を付ける工作をしたのです。奥さんミヒャエラさん(Michaela Grüntzig)と助手のシュルンプフさん(Maria Schlumpf)と一緒に、工夫に工夫を重ねます(図2、図3)。そしてついにポリ塩化ビニールの風船をカテーテルに付けることに成功します。
図1 右:ドッター医師 中央:グリュンツィッヒ医師
図2:グルンツィッヒ医師の自宅キッチンで、助手のシュルンプフさんが
カテーテルを試作している貴重な写真です。なんだか、楽しそうです。
図3:グルンティッヒ先生の考案したバルーン付きカテーテルと
その特許です(アメリカ、スイス、ドイツ、フランス、日本)
実は、バルーン付きカテーテルの作成を試みたのは彼だけではありませんでした。同じようなことを考えた人はたくさんいたのです。ドッター先生やポルストマン先生(Werner Porstmann:1921-1982 動脈管開存症をカテーテルで治療したことで有名)などカテーテルで有名な先生も、バルーン付きカテーテルを試作して実際に使ったりしていますが、いずれも良い治療成績は得られませんでした。
しかし、グリュンツィッヒ先生の考案したバルーン付きカテーテルは違いました。とても良い治療成績が得られたのです。他の先生の考案したバルーンよりも材質が良かったのです。このバルーンはポリ塩化ビニール製です。このポリ塩化ビニールの専門家が、グリュンツィッヒ先生のすぐそばにいたのです。これもある意味セレンディピティ(偶然)ですね。
その専門家はチューリッヒ工科大学のハインリッヒ ホフ(Heinrich Hopff)名誉教授です。グリュンツィッヒ先生と同じドイツ人です。この先生がグルッンツィッヒ先生のバルーン制作に関わっていたのです。ホフ教授が所属していたチューリッヒ工科大学はその出身者や教官からノーベル賞受賞者を21名も輩出する世界でも指折りの理系大学です(例えば、レントゲン、アインシュタインなど)。そういう大学で塩化ビニールを研究していたのがホフ名誉教授です。つまり、世界レベルの塩化ビニールの専門家が、偶然にもグリュンツィッヒ先生の病院のあったチューリッヒにいらしたのです。グリュンツィッヒ先生が偉いのは、全く縁の無かったホフ名誉教授の所に行ってバルーン制作について相談したことでしょう。ホフ先生も面食らったと思います。しかし、快くグリュンツィッヒ先生の申し出を受けて、一緒にバルーンを作っていたのです。これほど強い味方はいないでしょう。新しい治療器具の開発の裏にはこういう偶然が必要なのかもしれません。グリュンツィッヒ先生とホフ名誉教授はこのバルーン付きカテーテルについて一緒に論文を書いています(文献1)。この論文はカテーテル治療の歴史に燦然と輝く素晴らしい論文です。ホフ教授は医療とは関係の無い有機化学の専門家ですが、グリュンツィッヒ先生のお蔭で医学史に名前が残りました。「情けは人の為ならず」という成句を思い起こします。
バルーン付きカテーテルを思いついても、普通はそれで終わりになるのかも知れませんが、別の大学の先生に相談に乗ってもらい、そしてその試作を自宅のキッチンで奥さんや仲間と何度もトライするなど、普通の人には、なかなか、できません。バルーンの試作品は100個を越えたと、助手の方が書き残しています。このあたりは、前回でもお示しした治療用のカテーテルを自作したドッター先生と相通ずるモノがあると思います。
さて、このホフ教授と一緒に共同開発したバルーンを付けたカテーテルを用いて、先ず、下肢動脈の狭窄に対して治療を開始します。
図4
図5
少しわかりづらいかも知れませんが、ダブルルーメンとは2つの腔(くう:注:カテーテル内に二つの極めて細いトンネルがあると思って下さい)があるカテーテルです。一つの腔は普通の血管造影用で先端に穴が開いています。要するに普通のカテーテルにある腔です。それに加えてもう一つの腔があるのです。この腔はバルーンに通じています。この腔を通してバルーン内に造影剤を入れて、バルーンを膨らますことができます。
図6:ダブルルーメンカテーテルによる治療の血管造影像と
そのカルテです(1975年10月27日に行われています)。
図4は一つの腔しか持っていないバルーン付きカテーテルによる治療ですから、狭窄部位が膨らんでいく過程がわかりません。しかし、図6に示すようにダブルルーメンカテーテルを用いた治療では、バルーン部分に造影剤がはいっているので狭窄部位がバルーンで広がっていくのが解ります。図6の左から3番目の血管造影でバルーンが膨らんでいるのがわかると思います(黄色の矢印)。バルーンに造影剤が入っているというところがこの治療の「味噌」です。狭くなっている箇所が、広がるのが目に見えるのです。世界初の「偉業」です。現在、行われているPCI治療でも、もちろん、このダブルルーメンカテーテルが、普通に使用されています。
グリュンツィッヒ先生は、このバルーン付きカテーテルによる治療を下肢動脈狭窄だけでなく、冠動脈狭窄の治療にも使おうと考えたのです。これが、今のPCIの始まりです(文献2)。
運が良いことに、当時のチューリッヒ大学病院の心臓外科にはセニング(Ake Senning)先生という世界的に有名な心臓外科医がいました(注:ある複雑先天性心疾患(大血管転換症)の手術は「Senningの手術」と呼ばれます。永久的ペースメーカーの創始者でもあります)。グリュンツィッヒ先生はセニング先生にPCIについて相談します。怒られると思ったら逆でした。「グリュンツィッヒ君の手技が成功したら、将来、僕の患者はいなくなる。でも、是非やりたまえ!」と背中を押してくれたのです。そればかりか、PCIが成功した後、グリュンツィッヒ先生とセニング先生は連名でPCIに関する論文を書いています(文献3)。グリュンツィッヒ先生は当時30代後半でしたが、世界的には無名です。一方、セニング先生は世界的に有名な心臓外科医です。そのセニング先生が一緒に論文を書いてくれたのですから、グリュンツィッヒ先生は、とても心強かったと思います。セニング先生も偉いですね。そして、セニング先生の予言通り、その後はPCIが、広く行われるようになると心臓外科医が手術する冠動脈バイパス術はかなり減ってしまいます。
今回は、グリュンツィッヒ先生が、バルーン付きカテーテル完成させPCIの発案に至るまでをお話しました。グリュンツィッヒ先生の大活躍はまだまだ続くのですが、悲劇は突然訪れます。 それは次回、後編にてお話致します。
望月吉彦先生
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