望月吉彦先生
更新日:2017/6/26
このページには、医学的な資料として「冠動脈バイパス術に関する写真」がありますので、ご注意ください。
少し間が開いてしまいましたが、また、冠動脈バイパス術のことをお伝えしようと思います。
アルゼンチンの英雄 冠動脈バイパス術の創始者 ファバロロ先生(1)
アルゼンチンの英雄 冠動脈バイパス術の創始者 ファバロロ先生(2)
の2回で、冠動脈バイパス術のことをお伝えしました。今回はその続きです。
アルゼンチンからクリーブランドクリニックに留学していたFavaloro先生が1967年に冠動脈バイパス術を開始、1968年に論文を発表したことを紹介しました。
図1:冠動脈バイパス術の模式図
(心疾患の診断と手術:南江堂 新井達太著より引用)
上図が、冠動脈バイパス術の概略図です。この図で使われているバイパスグラフト(別な通り道)は、「大伏在静脈」という足の静脈です。Favaloro先生の論文発表後、さまざまな血管をバイパスグラフトに使用することが試みられました。「血管探し」の時代です。冠動脈バイパス術に「至適」な血管は次のような条件を満たす血管です。
以上のような条件を満たす血管は多くありません。
以下に示すような血管が冠動脈バイパス術に使われました。
などです。
「大伏在静脈」は静脈ですから、動脈と違い劣化しやすいという欠点があります。日本人の静脈は比較的細いので欧米人のそれに比して劣化は遅いのですが、それでも経年劣化します。現在はできるだけ、静脈よりは耐久性のある動脈を使って冠動脈バイパス術を行おうというのが流れです。なかでも「内胸動脈」が一番使われます。その理由として内胸動脈は心臓のすぐそばにあり使いやすいこと、鎖骨下動脈からほぼ直角に分岐するので動脈硬化が極めて少ないこと、十分な流量を得ることができることなどから多用されます。バイパス血管としては理想的です。内胸動脈は心臓外科医への“神様からの贈り物”であると評する先生もいるくらいです。
内胸動脈が冠動脈バイパス術に用いられるようになったのは、1968年米国でのことです。米国に千葉大学から留学していた廣瀬輝夫先生は、指導医だったCharles Bailey先生とともに論文を書いています(文献1.2.)。それも、なんとFavaloro先生が論文を発表した1968年のことですからごく初期のことです。Favaloro先生よりも先に、人工心肺を用いない方法で、内胸動脈と冠動脈とのバイパス術を世界で初めて行っています(文献11)。
右胃大網動脈を多用した冠動脈バイパス術を行ったのは、須磨久善先生とカナダのPym先生です(文献3.4.)。「多用した」とあえて書いたのは、最初に右胃大網動脈を用いた冠動脈バイパス術に用いたのは別の先生です(文献3)。しかし多数例に、右胃大網動脈を用いた冠動脈バイパス術を行い、結果も良く一躍世界中の心臓外科医に名を知られたのは須磨久善先生です。テレビや小説にもなったので知っている方もいらっしゃるかと思います(文献4.5.)。
橈骨動脈は前腕の親指側にある動脈です。この血管を用いた冠動脈バイパス術を世界で最初に行ったのはフランスのCarpentier先生です(文献6)。しかし、手術後のバイパスグラフト造影の結果はあまり芳しくありませんでした。しかし!橈骨動脈を用いた手術後10数年近く経過したある患者さんの血管造影を行ったところ、閉塞していたと思われていた橈骨動脈が実は開通していて、バイパス血管として機能していたのです。これに気づいたのが、Carpentier先生の部下だったAcar先生です。
偶然、そういう症例があることに気づき、橈骨動脈を用いて手術をした患者さんを片端から検査します。驚くべきことが起こっていました。Carpentier先生が用いた「芳しくない結果だった=閉塞または細くなっていた」橈骨動脈が良く開存していたのです。変だと思うかもしれません。Carpentier先生がこの手術を開始した当時、内服できる良いカルシウム拮抗剤がありませんでした。橈骨動脈は少しの刺激で細くなってしまいますが、それはカルシウム拮抗剤で予防できます。時代が進み、カルシウム拮抗剤が普通に内服投与されるようになりました。そのカルシウム拮抗剤が「閉塞したと思われていた橈骨動脈」を開存させたのです。1992年、Acar先生がこのことを発表した後、世界中で橈骨動脈がバイパス血管として使われるようになります。これも偶然から生まれた発見です(文献7)。
なお、これらは西洋世界の出来事です。当時、東西対立がありました。西欧世界には広く伝わっていなかったのですが、ソ連の中ではとんでもない手術が行われていました。1964年からすでに、人工心肺を用いない冠動脈バイパス術、それも内胸動脈を用いた冠動脈バイパス術が行われていたのです。ソ連のコレソフ先生(Vasilii Ivanovich Kolesov:1904-1992)が1967年に論文を発表しています(文献8)。しかし、当時のソ連には冠動脈造影を行う技術がありませんでした。ですから、評価も高くなく、あまり省みられませんでした。
1991年にKolesov先生は多数例の報告をします(文献9)。丁度、その頃から、世界中で人工心肺を用いない冠動脈バイパス術が、世界中で行われるようになります。オフポンプバイパス術(Off-pump CABG)と言われますが、Kolesov先生に敬意を表して「Kolesovの手術:コレソフの手術」とも言われます(注:ロシア語で書いた論文の英語表記は Kolesov ですが、英語で書いた論文での英語表記は Kolessov となっています。英語での名前は何故か「s」が一つ多くなっています。不思議ですね。その理由?は、本論から外れますので、本文最後に記しました。ご興味がある方は、お読みください)。
現在の冠動脈バイパス術は、
方法が主流となっています。
この流れは今後もあまり変わらないと思います。冠動脈バイパス術は「確立された」術式になり、そういう術式の確立に廣瀬輝夫先生と須磨久善先生という日本人外科医が大きな貢献をしているのは大変嬉しいことです。なお、バイパスに用いる血管ですが、人工血管や牛の血管などで代用しようとする試みがなされていますが、未だ成功していません。将来、代用血管が実用化されれば、手術は飛躍的に楽になると思います。
時代は流れ、この術式を脅かす方法がスイスで開発され、冠動脈の治療は、世界中でそちらの方法が主流となっています。その話にも悲喜劇が沢山あります。次回からは、そちらの話をしましょう。
以下、冠動脈バイパス術に関する写真を数枚紹介します。
写真1:内胸動脈を採取しています。
細長いヒモの様に見えるのが内胸動脈です。
写真2:内胸動脈を冠動脈に縫合しています。
写真3:大伏在静脈を冠動脈に吻合した状態です。
内胸動脈には「自己修復力」とでもいう力があります。いったん解離(動脈が裂ける)しても治る可能性があるのです。そういうことを世界で初めて発見しました。びっくりしたので論文にしました。
↓
Mochizuki Y, Okamura Y, Iida H, Mori H, Shimada K.
Healing of the intimal dissection of the internal thoracic artery graft. Ann Thorac Surg. 1999 Feb;67(2):541-3.
手術直後に造影した内胸動脈です。矢印部位で血管損傷が起こり、途中で血流が無くなっています。幸い、患者さんの症状が落ち着いていたので、経過を見ていました。そして一年後のことです。
一年後の造影では損傷して流れなくなった内胸動脈が見事に流れています。内胸動脈には「自己修復力」があるのだと思います。他の血管ではあまり無いことです。これを見た時は、本当に嬉しかったので、一生懸命英語の論文を書きました。論文を書いて投稿すると「査読」と言って専門家の先生が、評価をしてくれます。ダメ出しをされることも多いのです。この雑誌はアメリカの雑誌ですから、アメリカ人心臓外科医数人に査読して頂いています。皆さん、掲載にO.K.で高評価だったのですが、一人の先生は「こういう現象(内胸動脈の自己修復力)は自分でも数例経験している。珍しいことでは無い。でも論文になるのは初めてだ」と書いてきました。自分たちも似たような経験があったのでしょう。でも、書いたモノ勝ちですから、掲載してくれました。嬉しい出来事でした。
ロシア人であるコレソフ先生の名前は、ロシア語を表記するキリル文字では
Василий Иванович Колесов
です。これを英語表記にしたのが「Vasilii Ivanovich Kolesov」なのでしょう。
ここまでは、私にも解りましたが、その先は皆目見当もつきません。フランス在住の言語学者・小島剛一氏にご教示いただきました。
以下、小島氏からご教示いただいた内容です。
「Василий Иванович Колесов」の読み方は、なるべく原語に近いカタカナ転写にしようと思うと「ヴァスィーリィ・イヴァーナヴィッチュ・カリェソフ」です。「スィ」や「リィ」は広範に用いる表記ではありませんね。中の名前も「イバノビッチ」か「イワノビッチ」と書くのが普通でしょう。折衷案として「バシーリ・イバノビッチ・コレソフ」が考えられます。
英語名の綴りで「ss」となっているのは、ズ[z]でなくス[s]と発音してもらうための方策です。
以上、引用終了です。これで、すっきりとしました。言語のプロは、凄いですね。
小島剛一氏は、トルコ語およびトルコの少数民族諸言語が専門の言語学者です。今、トルコの少数民族諸言語のうち、特に消滅しそうな「ラズ語」の辞書刊行を目指しています。ぜひ、このサイトをご覧ください。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/
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