望月吉彦先生
更新日:2017/3/21
今回は、番外編です。心臓病、冠疾患治療薬のひとつが「ある皮膚疾患」を劇的に治すことの発見についてのお話です。ノーベル賞をとった「心臓のクスリ」がある種の皮膚疾患を劇的に治すことがわかったのです。これはぜひ知ってもらいたいので、番外編でお伝えしようと思います。番外といっても、冠疾患治療薬の話ですから、まったく関係無い訳ではありません。
※本号の途中に小児の「いちご状血管腫(乳児血管腫)」の治療経過を示すための写真がありますので、ご注意ください。
以前、冠疾患治療薬でもあり、心臓病治療薬でもある「β-ブロッカー」というお薬の紹介をいたしました。まだ、お読みで無い方は先にこちらを読んでから、本稿をお読みください。その方がわかりやすいと思います。
1964年に、このお薬の合成に成功した英国の薬理学者 James W Black先生(1924-2010)は1988年にノーベル医学賞を受賞しました。それくらい、このお薬の出現で心臓病治療が1歩も2歩も進んだのです。しかし Black先生の合成した「β-ブロッカー」の「プロプラノロール」というお薬は重い副作用が出ることがあり、今ではあまり使われなくなっています。
そのプロプラノロールに、赤ちゃんの皮膚にできる「いちご状血管腫(注:乳児血管腫とも言います)」を劇的に改善する作用があることが見つかりました。「いちご状血管腫」は、日本でも、年間約8,000~18,000人の乳児が発症すると推定されています。この病気は皮膚や内臓など、さまざまな場所に異常な毛細血管が増殖することで発症します。できる場所によっては、さまざまな障害を生じます。目の周囲にできれば視力障害や失明を、鼻腔内、口腔内にできると呼吸困難や開口障害などの機能異常を生じます。軽症のいちご状血管腫なら7歳までに70%は自然治癒します。しかし、できる部位や大きさによっては、重い機能異常を生じます。このような場合は、自然経過を見るわけにはいきません。早期の治療が必要です。ステロイド投与、インターフェロン投与、レーザー治療などが行われてきました。小さな子供にこれらの治療を行うのは大変です。副作用も心配です。しかし、上述のプロプラノロールが、この病気にとても良く効くことがわかり、2016年から、日本でも使えるようになりました。その「発見」のお話が本稿の主題です。
上述のプロプラノロールに「いちご状血管腫」を治してしまう作用があることを世界ではじめて発見したのは、フランスのボルドー大学病院皮膚科の Christine Léauté-Labréze先生(クリスティーヌ・レオテ・ラブレーズと読みます:以下、レオテ・ラブレーズ先生と略します)です。同先生は「The New England Journal of Medicine」誌の2008年6月号にそのことを発表しています。題名は「Propranolol for Severe Hemangiomas of Infancy」です。プロプラノロールを投与したら、乳児に発症する「重症のいちご状血管腫」が劇的に治ってしまったことを報告した論文です。この発見こそ正に「セレンディピティ:偶然」です。この論文では11例の「いちご状血管腫」を持つ乳児に、プロプラノロールを投与していますが、数週間から数ヵ月でこの「いちご状血管腫」が劇的に消退、消失することを報告したのです。
皮膚科医であるレオテ・ラブレーズ先生が、なぜ心臓病治療薬のプロプラノロールに目をつけたのでしょう?この論文には、記念すべき第一例目のことが詳しく書いてあります。第一例目は、偶然、プロプラノロール投与が行われたのです。この第一例目の患児は鼻腔にイチゴ状血管腫が生じていました。鼻の中に大きな血管腫(腫瘍)ができるのですから呼吸が苦しくなります。そこで、ステロイド投与が開始されましたが、血管腫には変化が認められませんでした。しかし、偶然!この患児は「Hypertrophic obstructive cardiomyopathy(HOCM):肥大型閉塞性心筋症」という心臓病を併発したのです。先天性のHOCMの発症率は極めて低く、0.47/100,000程度です。
ここで簡単にHOCMを説明します。心臓の左側の心室(=左心室)の心筋が肥大する病気です。HOCMは大動脈弁の下にある左心室筋の一部が厚くなり(左心室内に突出します)、そしてこの突出した心筋により、左心室から大動脈に出て行く血流に障害が起きます。それがHOCMという病気です。ひどくなると、左心不全が生じ(血液が左室から出るのが傷害されるためです)、さらにひどいと突然死することもある怖い病気です。その治療に心臓手術をすることもあります。色々な治療法、手術法がありますが、初期治療にはβ-ブロッカーが使われます。β-ブロッカーは大動脈弁の下にある左室心筋の突出を弱め、左室から大動脈に、血液がスムーズに流れように作用するのです。
前述のごとく、レオテ・ラブレーズ先生が報告した第一例目の患児は、鼻腔に生じたいちご状血管腫に対し、ステロイドを投与されていました。その時、この患児が偶然HOCMを合併していることがわかり、β-ブロッカーであるプロプラノロールが投与されたのです。プロプラノロール投与後数日で、強烈な赤みを帯びていた血管腫の色が紫色になり、柔らかくなったのです。当初はステロイドが効いたと考えて、その投与は中止されました。乳児への長期にわたるステロイド治療は副作用が多いのです。しかし、ステロイド投与を止めても、血管腫はどんどんと小さくなり、14ヵ月でほとんど、消滅したのです。この間、この患児に投与されていたのはプロプラノロールだけです。レオテ・ラブレーズ先生は、はっきりとは書いていませんが、「これだ!!いちご状血管腫はプロプラノロールで治るかもしれない!」と思ったはずです。
第一例目は写真が掲載されていません。おそらくは、あまりきちんと撮影されていなかったのだと思います。いちご状血管腫を劇的に改善する治療法は無かったので、レオテ・ラブレーズ先生は、あまり写真を撮っていなかったのだと思います。しかし、プロプラノロールの効果に気付いてから治療を行った2例目は違います、詳細な写真が残されています。図1がその2例目です。この2例目の患児の血管腫は、
そして、レオテ・ラブレーズ先生は、この患児の心エコー所見も記しています。
「Ultrasonography showed increased cardiac output.=心拍出量が増大している」としか書いてありません。第一例目のようにβ-ブロッカー投与が必要な心臓の病気は、この2例目の患児にはありません。心臓に関してはこの記述のみです。この患児にもステロイドが、最初に投与されました。しかし、ステロイドでは改善が認められませんでした。
そこで、プロプラノロールが投与されています。
※以下、医学的な資料として「いちご状血管腫(乳児血管腫)」の治療経過を示すための写真がありますので、ご注意ください。
4枚の写真は、この論文に載っている、イチゴ状血管腫のプロプラノロールによる治療経過を示しています(各写真左上に小さく A B C D 符号があります)。
Aは、プロプラノロールによる治療前の写真です。生後9週間の写真です。この時すでにステロイド治療が4週間なされていますが、改善は見られていません。目が塞がれています。
Bは、プロプラノロール投与7日目です。たった7日で血管腫が劇的に良くなっています。小さくなっています。目がうっすらと開いています。
Cは、プロプラノロール投与半年後です。まさに「劇的」です。
Dは、投与9ヵ月後で、この時点でプロプラノロールの投与は(必要が無いので)止められています。
“簡単には治らない”ような「重症のいちご状血管腫が、プロプラノロールで治る」可能性があることを確信したレオテ・ラブレーズ先生は、インフォームドコンセントをきちんと取って、さらに9例の「いちご状血管腫」の患児に投与しています。結果は“劇的”でした。どの症例もプロプラノロール投与24時間後に変化が現れ、どんどんと良くなっていったのです。それを2008年に発表したのです。そしてただちに世界中の病院で、「Randomized Controlled Trial」を行いました。フランス、ドイツ、アメリカ、オーストラリア、カナダ、ハンガリー、ペルー、スペイン、ニュージーランドで行われました。残念なことに日本は入っていません。
この「Randomized Controlled Trial」の目的は、
以上3点について検討が行われたのです。その結果「いちご状血管腫」に対するプロプラノロールの効果は世界中の病院でも確かめられました。一日あたりのプロプラノロールの最適投与量は患児の体重1kgあたり3mgであることや最適投与期間は6ヵ月ということがこの「Trial」でわかったのです。
このプロプラノロールの新たな効果に関する特許は、レオテ・ラブレーズ先生が発明者、フランスのボルドー大学が出願人で2008年10月16日に提出されています(参考文献3)。
フランスのPierre Fabre Dermatologie社は、乳児にも飲みやすいようなシロップ剤を開発し「ヘマンジオル」と言う名前で日本でも、2016年9月から発売されています(参考文献6)。
何れにせよ、
以上が、プロプラノロールによるイチゴ状血管腫の治療を短期間に世界中に認知させることができた要因だと思います。「あるお薬」を世界中に広める、「ある治療」を世界中に効率的にしかも安全に広めるにはどうしたらよいかという「答え」がここにあると思います。レオテ・ラブレーズ先生は、世界中の医師や患者さんの家族から大絶賛されています。当然ですね。同先生が講演している動画があります(参考文献4)。
この動画で、レオテ・ラブレーズ先生は「やらなかった やれなかった どっちかな」(相田みつを「にんげんだもの」:文化出版局)と言っています。冗談です。
長く使われているお薬は安全性、副作用などが充分に確かめられています。ですから、ある意味、とても安全だとも言えます。長く使われているお薬に新しい薬効が見つかるのは、なんとなくうれしいです(参考文献5)。
すでにある薬に新しい効果を見いだし、それを実用化することを Drug repositioning:ドラッグ・リポジショニングと言いますが、この代表例のような出来事です。
いちご状血管腫に別な新しい治療薬、治療法が出現するまで、プロプラノロールは使われるでしょう。なお、プロプラノロールには他にもさまざまな作用があることが見つかりつつあります。色々と面白い薬です。
静岡県立こども病院形成外科の木下佳保里先生が、2011年に日本で初めての「プロプラノロールによるいちご状血管腫の治療」について報告しています(参考文献7、8)。
木下先生が報告している第一例目は、レオテ・ラブレーズ先生の論文に載っている二番目の症例と似た経過をたどっています。右眼を塞いでいたイチゴ状血管腫は、プロプラノロール投与後3日で小さくなり、眼が開けられるようになっているのです。右眼が塞がれたまま経過すると、右眼が失明するかもしれない、そういう状態がたったの3日で無くなり、その後もどんどんと良くなっています。この患児の親にしてみれば、レオテ・ラブレーズ先生、木下先生は「神様」に思えたはずです。
前述のごとく、2016年からこの薬はいちご状血管腫に投与可能になっていますが、日本小児耳鼻咽喉科学会、日本小児血液・がん学会からの「未承認薬・適応外薬の要望」が早期から厚労省に提出されていたからです。こういう「要望」をきちんとした学会も偉いですね(参考文献8、9)。
さて、プロプラノロールという心臓病治療薬がなぜ「いちご状血管腫を小さくする」作用を持っているのでしょう?今のところ、正確な作用機序は不明です。いちご状血管腫を形作る異常血管の中にもβ-ブロッカーに対する受容体があるので、おそらくここに作用するのだろうと言われています。
なお、このイチゴ状血管腫に対するプロプラノロール治療ですが、「著効する」のは増殖期(生後数週間~20ヵ月頃まで)と推定されています。時期を誤らず、適切に使用することが必要です。
この治療を受けるためには、数日の入院が必要です。喘息発作などの副作用が出ないかどうかを監視するためです。都内にも、いくつか、この治療のために入院できる病院があります。何かありましたら、いつでもご紹介できますので、ご相談ください。
追記:プロプラノロールは副作用が多いため、心臓病治療薬としてはあまり使われないということをお伝えしました。今、いちご状血管腫の治療に、副作用が少ないタイプのβ-ブロッカーを用いた治療報告がいくつか出ています。数年で、また標準治療が変わるかも知れないですね(参考文献10)。 たとえ、プロプラノロールが使われなくなったとしても、β-ブロッカーに「いちご状血管腫を治す作用があることを発見した」レオテ・ラブレーズ先生の功績は消えません。
望月吉彦先生
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