望月吉彦先生
更新日:2017/2/6
北海道以外の日本には、他国では見られない特殊な「梅雨」という「雨期」があります。梅雨時は、じとじとべとべとして、体に負荷がかかります。カビが生えやすいので難渋しますね。ロンドンに行かれた方もあるかと思いますが、ロンドンの夏は湿度が低くとても気持ちが良いです。もちろん、カビも生えづらいのです。そのロンドンで、ある年の夏、繁殖した「カビ」が歴史的大発見につながります。今回から、そのカビにちなんだ話をします。
感染症治療の大きなトピックは、「バイキン」を殺すお薬、化学療法剤ができたことでしょう。
最初は1910年に梅毒の治療薬としてサルバルサンの合成(独:エールリッヒと日本人:秦佐八郎による)です。次は1935年のサルファ剤の合成(独:ドーマク)、そして1928年のフレミング(英国@ロンドン)による「ペニシリンの発見」と続きます。この順番は、お薬として使われるようになった順番です。ペニシリン発見がなんと言っても真打ちでしょう。ペニシリンの発見は、サルファ剤の合成より時期は早かったのですが、フレミングが「ペニシリンの発見」をしてから、この「発見」は無視に近い扱いをされていたのです。そのため、実際にペニシリンが「お薬」として使われるようになったのは1940年のことです。化学療法剤としては、3番目です。サルバルサンは、ヒ素から合成された薬で、副作用も多く、あまり使われませんでした。今では「歴史上」のお薬になっています。もちろん、使われていません。サルファ剤やペニシリンは今も現役で大活躍しているお薬です。
今回から数回にわたって、「ペニシリンの発見からお薬に至るまで」をご紹介いたします。
いまさら、ペニシリンか?
「ペニシリンは、フレミングが実験に使っていた細菌培養皿にたまたまカビが生えて、そのカビ周囲の細菌が死滅していたのに気づき、そこからペニシリンの合成が始まった」
と思われているようです。確かに、そう書いてある本も多いのです。しかし、実際はそんなに単純な話ではありません。「史上最高の偶然」とも言える出来事が次々に起こらなかったら、「ペニシリン発見」も「ペニシリンをお薬にすること」もできなかったのです。それについて、縷々、ご説明しようと思います。
「ペニシリンの発見、および種々の伝染病に対するその治療効果の発見」に対して、1945年のノーベル医科生理学賞が授与されました。受賞したのは、3人です。
フレミング以外の、フローリーとチェインの名はあまり知られていないと思いますが、ペニシリンという「お薬」の合成に成功したのは、実はこの二人なのです。だから3人の受賞なのです。
さて、その「偶然」です。「ペニシリンの発見からお薬に至るまで」には、ペニシリンの発見には、私は少なくとも10数個の「偶然」が重なったと思っています。皆さんもこれからの話をお読みになれば、「そんな事はあり得ない!」と思われるでしょう。
フレミングはスコットランドに生まれ、1906年イギリスのセントメリー医学校を卒業、卒後第一次世界大戦に従軍します。そして戦闘で負傷した兵士がキズの感染に苦しめられるのを目の当たりにします。そして、そこで、最初の大発見をします。それは「消毒薬は傷に効かないどころか有害で、白血球をも殺してしまうので感染予防にならない」ということを発見したのです。それを論文に書いて、British Journal of Surgeryという雑誌に載せています。1919年の事です(The action of chemical and physiologicalantiseptics in a septic woundという論文名です。参考文献7参照)。
今から、約100年も前に、消毒薬を使うとキズは治りにくくなること(消毒しても、キズの感染予防にならないどころか感染を助長し、キズの治癒を遷延させること)を論文にしています。この論文を読むと、その実験の精緻さに、ため息がでます。フレミングが38歳の時に書いた論文です。
第一次世界大戦が終了し、フレミングは細菌について研究を始めます。1921年11月のことです。最初の偶然が彼を訪れます。フレミングは風邪を引いて鼻水を垂らしていました。その鼻水がある細菌を培養しているペトリ皿に落ちたのです。ちょっと「うっかり屋さん」ですね。さて、その鼻水が落ちたペトリ皿内で、凄いことが起きていました。培養していた細菌が死滅!したのです。
この発見に驚いたフレミングは、細菌混濁液を作り、そこに自分の鼻水を垂らしてみます。そうすると、2分ほどで細菌により濁っていた混濁液が透明の水のように透き通ったのです。細菌が死滅したからです。
鼻汁だけではなく、涙、唾液にも細菌を死滅させる物質が含まれていることを発見します。同僚や研究室の訪問客の鼻水を採取したりもします。自分の助手には目にレモン汁を垂らして涙を流させて(この辺が常人と違う!)実験を行いました。
その結果、ある種の細菌は鼻汁や涙に含まれている物質で死滅することを発見します。これが「リゾチーム(lysozyme)」の発見です。しかし、この「リゾチーム」は病原性の低い菌には効くのですが、強い感染力を持っている菌には効かなかったのです。なお、フレミングはこの時、すでに細菌実験室の責任者でした。もし、彼が実験助手だったなら「鼻水をたらすな」と怒られて、この発見は無かったかもしれないと、彼自身、記しています。
フレミングは1922-1927年にかけてリゾチームに関する論文を5編書いています。ちなみに今も「塩化リゾチーム配合!」と銘打ったかぜ薬が薬局で売られていて、かぜ薬の定番ですね。しかし、フレミングは、発表が下手だったため「何を喋って何を伝えたいのかわからない」と周囲から言われてしまうほどでした。そのため、一時、この大発見は埋もれてしまいます。しかしフレミングの頭の中には、「細菌を殺すような物質が身近にも存在する可能性があること」が強くインプットされます。そして、何千枚ものプレートを用いて、ひたすら細菌を培養し研究します。フレミングは発表こそ下手でしたが、彼の頭脳は冴えわたり、どんなに小さな変化も見逃さなかったと言われています。キズと消毒の関係を見つけたのもその証左でしょう。
2番目の大きな偶然がまた彼を訪れます。1928年7月のことです。フレミングは当時、化膿したキズ、感染した皮膚から採取した「黄色ブドウ球菌」の研究をしていたのです。実はこの「ブドウ球菌」も偶然が作用していました。これはとても重要な偶然でした。彼が研究していたのが大腸菌などのグラム陰性菌なら、大発見に至らなかったからです。
フレミングは夏休みをとり1ヵ月ほど実験室を留守にしました。この時、実験に使っていたブドウ球菌を接種した細菌培養用のプレートを50枚ほど実験台に放置したまま出かけていたのです。これも彼が「うっかり屋さん」だったからでしょう。普通、長い間、研究室を留守にするなら細菌培養用のプレートは洗って片付けていくでしょう。でもそれが幸いします。
9月3日に休暇から帰った時、さすがに1ヵ月も放置した細菌培養プレートにはブドウ球菌がたくさん繁殖していました。そのうちの1枚がカビに汚染されていたのです。普通なら、「カビてる! 早く洗え!」とでも言うところです。しかし、そのカビの周囲にブドウ球菌が見当たらないことにフレミングは気付きます(図1参照)。
図1:フレミングのペトリ皿でおこったことを再現した実験写真
青色部分がカビで白い部分がブドウ球菌。
彼は心の中で「ビンゴ!」と叫んだかもしれません(冗談です)。「リゾチーム」研究で、細菌を殺す物質がこの世に存在することに気づいていた(ここ、とても重要です)フレミングは、この発見を見逃しませんでした。カビ周囲の物質がブドウ球菌を殺していると気付いたのです(実際には殺していません、繁殖を抑えていたのです)。
さて、問題のカビです。一般には窓から入ってきたカビが生えたと言われています。このカビの正式名称はペニシリウム ノターツム(Penicillium notatum:現在の正式名称はP. chrysogenum)という青カビです。実はこのカビは珍しいカビでどこにでもいるようなカビではありません。フレミングの研究室の階下に「菌類学研究室」があり、そこでこの[ アオカビ「Penicillium notatum」を育てていた!のです。この研究室では、ある喘息患者の家で生えていたこのアオカビ「Penicillium notatum」を育てていたのです。なぜ?と思われるでしょう。フレミングが勤めていたセントメリー病院の医師が「この患者の喘息の誘因は、この患者の家に生えているアオカビではないか?」と考え、このアオカビをこの「菌類学研究室」で繁殖させて、カビからの抽出物を喘息治療の減感作療法に使っていたのです。このアオカビが大気中に舞い上がり!フレミングのペトリ皿の上に落ちたのです。凄い偶然です。この「菌類学研究室」でこのアオカビを、治療のために、わざわざ繁殖させていなかったら、フレミングのペトリ皿にこのカビは繁殖しなかったでしょう。元はといえば、喘息患者の家にこのカビが生えていて、それが原因の喘息だと考えたこの患者の主治医がいなかったら、そしてこの医師が減感作療法を思いつかなかったら、フレミングのペトリ皿に青カビは、はえなかったでしょう。なお、このアオカビは普通のアオカビではありません。ペニシリンを分泌する能力を持っていたのです!
これら一連の偶然だけでも凄いのですが、さらに凄いことがあの年の夏、ロンドンに生じていたのです。
多分、お話ししても「え!本当?作り話ではないの?」と思われるようなことが実際におきていたのです。次回に続きます。
望月吉彦先生
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