望月吉彦先生
更新日:2016/10/31
感染症に纏わる随筆は一時置いておき、今回は私が感銘を受けた学生時代の「恩師」についてエピソードとともにご紹介したいと思います。幼小中高大学、そして社会人になってからも多くの「先生」に習ってきました。反面教師の先生もいましたが、多くの先生は真面目で良い先生方に恵まれました。その中である意味、とても強烈な印象を残している先生がいます。高校の同窓会で皆が集まると、決まってその先生の話になります。そして、「あの先生は偉かった」、「あの先生に教わって良かった」となります。それほど皆に強烈な印象を与えた先生です。本当は実名を出したいのですが、今号の内容を誤解されると困るので実名は差し控えます。その先生はA先生といい、数学の先生で、高校1年から3年まで数学を習いました。40代の先生です。
高校3年になり、数学は一段と難しくなりました。教えるA先生自身も四苦八苦していました。
教える先生が四苦八苦してはいけないだろうと思いますが、A先生は正直なので、「今日の授業は難しい」と正直に我々生徒に話すのです。A先生の手に負えない(解けない)問題が模擬試験などで出題されることもあり、その問題の解説をする授業で、彼は文字通り四苦八苦していました。
ある時、A先生が黒板に向かって、かなり難しい問題の解法を黒板に書いていたのですが、突然、唸りはじめ、授業が止まってしまったのです。そして、後ろを向いておもむろに「B君、ここはどう解いたら良いかなぁ?」と僕たちの同級生のB君にその問題の解説をすることを求めたのです。B君は数学の天才で、後に東大数学科に進学し、今では某超有名国立大学理学部数学科の教授になっています。そのB君ですが、高校時代、数学のテストはいつも100点でした。指名を受けたB君はすたすたと黒板に向かって、「エレガントでわかりやすい」回答を書いて皆に解説してくれたのです。
誰もがA先生のとった行動に最初はびっくりしていましたが、その後も時々、B君に助けを求めることがありました。生徒が教壇に立ち、先生と我々がそれを聞いているという極めてシュールな光景でした。前代未聞?の話だと思います。今でも教育現場ではあまり聞かない話だと思います。生徒の我々は、当時、そんなA先生のことを「数学がろくにできない数学教師」だと馬鹿にしていました。
しかし、我々生徒も長ずるに従い考えが変わります。A先生の行動、「あれはなかなかできないこと」だと思うようになりました。高校の同級会があるとA先生の思い出になります。「一生懸命、自分で調べたり勉強したりしてもわからないことは何でも聞いて良い。そうやって聞くのは恥ではない。」と言うことを教えてくれたのだと心の底から思うようになったのです。
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」と言います。しかし、「言うは易く行うは難し」です。それを、身をもって教えてくれたA先生に、皆、感謝していました。A先生も模擬試験の解答は持っていますので、適当に解説をすることはできたはずです。しかし、それでは「真の解説」にならないので、もっと理解度が深いB君に解説をさせたのでしょう。そういう正直な良い先生だったと思い皆で感謝しています。目的は数学をわかりやすく生徒に教えることであり、自分(教師)の体面は後回しにしていただと思います。なかなかできないことです。
同窓会でそうやって思い出してもらえる先生もあまり無いと思います。あれからもう何年が経ったでしょう。遥か昔の学生時代を思い出しつつ、そんな恩師のことを考えていました。
皆さんにも心から感謝している恩師やご友人はいらっしゃいますか?
忙しい毎日の中で忘れがちになりそうですが、自分を育ててくれた、世話になった方々を思い出してみる機会を作ってみるのも良いことです。
次号は、また話を感染症に戻して参ります。
望月吉彦先生
医療法人社団エミリオ森口 芝浦スリーワンクリニック
東京都港区芝浦1-3-10 チサンホテル浜松町1階
TEL:03-6779-8181
URL:http://www.emilio-moriguchi.or.jp/
※記事内の画像を使用する際は上記までご連絡ください。